山小屋日記〈1〉7月末〜8月中旬

第35期(2017年10月-11月)

この日記は、長野県の山小屋で働いた3ヶ月の記録です。
趣旨は第一回「海から山へ」。


7月27日 山へ

2年3ヶ月過ごした高松を出発し、宮城の実家に一時帰ってきた。
実家、平和すぎる。あらゆる決心をして高松をはなれたつもりだったのに、どこに気持ちを向けたら良いのかわからなくなってきた。感覚が鈍るというか。そして姪っ子(1歳)と遊んでいるとあっという間に時間が過ぎてしまい、同時に外への関心や意欲がどんどんなくなっていく。野心が目減りしていくのを感じる。
わたしが産んだ子ならばそれで良いのだろうけれど残念ながらそうではないので、これ以上心がゆるゆるになってしまったらと思うと焦る。

あとは、目的もないのにずっとついているテレビの音や、お腹が空いていないのに3食しっかりご飯を食べることも、今のわたしには少し違和感があった。特にテレビ。ついているとなんだか思考が働かなくなって落ち着かない。五感が閉じていく感じがする。
でも、ここにいたらあっという間にそんなことにも慣れてしまう気がして、慣れたくないって必死になってしまった。

早く自立しなくてはと強く思った。もう子供じゃないのに今更何言ってるんだって感じだけれど。自分がしっくりくる場所をちゃんと持たなくては。もう、すでにある誰かがつくった環境には、なかなかすんなりと順応できないのかもしれない。

そんなことを思いながら、今朝実家を出た。仙台からバスに乗り、東京で乗り継ぎをして、今日中に長野へ。明日から約3ヶ月、山小屋で働くのだ。

何も調べずに決めてしまったので、ここ数日で体験者のブログなどを読んでみたのだけど、「狭いコミュニティの中で人間関係のいざこざが起こり、途中下山してしまう人も多い」ということが書かれていて「なにそれ、めんどくさ…」と思ってしまった。これまでそういういざこざに巻き込まれないように気をつけながら生きてきたけれど、きっと山の中では逃げようがない。
ただ粛々と働きたいだけなのに。
山小屋がサークルみたいなノリじゃないことを切に願う。


7月28日 山小屋生活スタート

昨夜長野県に着いてゲストハウスで一泊し、今朝バスに乗った。山に向かう唯一のバスだ。乗客は登山の格好をした人たちばかり。山登りの楽しみをわたしはまだ知らない。これを機に人生の楽しみが増えるといいな。行動の選択肢が増えたらうれしい。未知の世界に踏み入れるのはワクワクする。

バスが出発し、山道を登っていく。車窓から景色を眺めながら、わたしは日本のいろんな場所を全然知らないんだな、と思った。これからはもっと行きたい場所に行きたい時に行こう。どこにも行けないなんて思い込んでいただけだ。思い立てばどこにでも行けるんだということが、ちゃんと腑に落ちればいい。

バスを降りてから山小屋までは、森林帯の中の一本道を歩く。
空気が本当においしくて、道なりに流れる小川の水はどこを見ても透き通っている。風がひんやりと頰に当たって気持ちが良い。今日からこんなところで生活をするなんて、なんだか夢みたいだ。

時折、木や葉の匂いがむっと立ち込める場所があって、そのたびに身に覚えのある匂いだなと思う。 幼いころ、家族でキャンプに行った時だろうか。でももっと身近な匂いのような気もする。小学校の脇の森でどんぐりを拾った時かもしれない。立ち止まって目を閉じて、すーっと鼻で息を吸いながら遠い記憶の中にその匂いを探してみたけれど、ただ懐かしくて幸せな感覚だけが残った。

山小屋につくと、ちょうど宿泊客のチェックインが重なる時間帯ですごくバタバタしていた。今年はGW明けから最近までずっと暇だったのに、昨日あたりから急に忙しくなりだしたらしい。わたしはちょうどバタバタの真っ最中に参戦するのだ。心配。

挨拶を済ませ、社長から従業員としての心得などの説明を受ける。社会人として当たり前、というような、「挨拶をする」とか「サービス業としての自覚をもつ」とかそういうこと。でも「お土産を買ってくるときは特定の誰かにではなくて、全員に」と言われた時に違和感というか、そういうことで人間関係が崩れたりするんだな、と察してちょっと息苦しくなった。ここでは人に嫌われてはいけないのだ。気遣い、心配り、大事。そういうの、わたしにできるだろうか。
ここで楽しくやっていけるのか、すこし心配になってきた。


7月30日

疲れた。昨日が初出勤で、めいいっぱい気疲れした。ちなみに朝5:45出勤で、21時過ぎ解散だった。

決まったルールを一から十まで人に教えてもらうのって、結構大変だ。これまでは自分で考えて進める仕事をすることが多かったから、決まりごとの多さになかなか慣れない。ルールを守ることにばかり神経を使ってしまい、なんだか動きもぎくしゃくしてしまう。そのあたりは、仕事に慣れればある程度は楽になるのかもしれないけれど。

それより問題は、集団生活や人間関係。
狭いコミュニティの中で挫折する人がいるというのがうなずける。
苦手な人とも毎日一緒に働かなくてはいけないなんて、つらい。社会人なんだからそんなの当たり前と言われそうだけど、もうできるだけ好きな人たちとしか関わりたくないと思って生きているので、仕方がない。
今朝起きたとき「なんでわざわざ自分からこんな辛いところに来なければいけなかったのか」と、大きなため息をついてしまった。
こんなに自然に囲まれた環境の中にいるのに、鬱々としてしまうなんて。

結局、どんなところにいるかより、誰といるかの方が何百倍も大事なんだよな、と思う。
分かっていたようで、分かっていなかった。

ここでの生活、いまのところ修行でしかない。人生の1ページにほんのちょっとこういう経験が加わることは大歓迎なのだけど、もしいま死んだらものすごく後悔すると思う。それが一番ひっかかっている。明日死ぬなら今日ここにはいないって断言できるような場所に、ほんの少しの間でも、いていいのかな。

まだ慣れていないし、きっと心も体もすごく疲れている。 慣れてきたころに何を思うのか、まずはそれを観察してみようと思う。


7月31日

ここに来てからというもの、朝起きてから夜眠るまで、基本的にずっと誰かと一緒にいる。自分の時間というものはものすごく限られていて、1日1〜2時間を断片的に与えられるのみ。
そんな環境に身を置いてみて思った。会いたい人と会う約束をすることも、夜に友達と電話をすることも、気になる本を買いにいくことも、あれらは「自由」だったんだな。これまでは当たり前だと思っていたけれど。
わたしにとってそんな自由はものすごく大事だ。

夜、同室のAちゃんと話をした。Aちゃんは、今の仕事がストレスフリーで幸せなのだと言う。前職では人間関係が複雑で、心を病んでしまう人もたくさんいたらしいのだ。それに比べてここはとても平和なのだそう。
そうか。わたしにとってはつらい環境も、人によっては幸せなのか。なんだか敗北感…。感じ方はそれぞれだから、仕方がないけれど。


8月1日

夕食後、厨房の流しで皿洗いをしているとき、窓の外からひんやりとした風が入ってきた。その風の匂いを嗅いだ瞬間に急に泣きそうになり、ぐっとこらえた。岩手の里山にあるおばあちゃんの家の台所と同じ匂いだったのだ。いつの記憶かわからないけれど、夏の夜に夕食の片付けをしているときに感じた、心地よいさわさわとした風の匂い。
またあの場所に行きたいけれど、おばあちゃんは去年亡くなり、もうあそこには生活がなくなってしまった。なぜかそのことが急にさみしくてたまらなくなった。

お風呂に入った後、外に出て空を見上げると、星空がきれいだった。
ぼーっと見ていると目が慣れてきて、さらにたくさんの星が浮かび上がってくる。すると、ひゅんっと空を横切る流れ星が見えた気がした。うっすらとしていたから、確信はないけれど。
子供のころに家族でキャンプに行った夜、同じように星を見上げたことがあった。そのとき、目の前を何かがすばやく横切った。流れ星かと思いきや虫だとわかったときに、みんなで大笑いして、それからしばらく「あ、流れ虫!」と言い合って盛り上がったことを思い出した。なんという平和な思い出。

ここにきてから、ふとした瞬間にいろんな記憶が頭をよぎる。ずっと奥底にしまってあった何気ない瞬間の記憶。こんな自然の中で夜を過ごすのが、久しぶりだからかもしれない。
わたしは夏の山の夜が好きみたいだ。


8月2日

今日は朝6:10集合。いつもより遅め。だんだん仕事の流れが見えてきて、気持ちが楽になってきた。すこしは心に余裕が出てきた気がする。

消灯前にAちゃんが、周りの人から聞いた山の情報を共有してくれた。初心者でもこの山なら日帰りできるらしいとか、ここは山小屋に泊まって1泊2日で行けるらしいとか。
そんな話をしていたら、かなり元気が出てきた。
休日に近隣の山に登るのは本当に楽しみ。
少し前の自分は、本格的に山に登ることなんて考えてもいなかった。でも今では、山には何か重要なヒントが詰まっている予感がする。もっと身軽に、もっとシンプルに、自然や、生活や、人の営みについて感じ考えるヒントがあるような気がするのだ。


8月5日

朝4時前にトイレに起きてしまい、懐中電灯片手に外に出る。いま住んでいる寮にはトイレがないので、宿まで少し歩かなくてはならない。

用を足し、また寮に戻るために外に出て、ふと上を見上げると、目が醒めるような星空が広がっていた。見たことないほどの星の数に驚いてしまう。天の川もしっかり見える。真上にはカシオペア座が。
夜明け前の空はこんなに星が綺麗に見えるのか。すごい。いつも23時前に寝てしまうから知らなかった。自分の心臓が早いリズムで脈打つのが聞こえて、興奮しているのがわかる。
目の前の光景を自分の中に落とし込みたくて、息を大きく吸ったり吐いたりした。そうすれば何となく、この圧倒的な星空をちゃんと記憶にきざみこめるような気がした。

胸いっぱいのまま布団に戻り、冷えた体を丸めながら、暗闇の中で思わず星座アプリをダウンロード。スマホを空にかざすと、その方角の星座を教えてくれるのだ。以前高松で、四分儀座流星群を見るときに港で使ったことがある。灯台まで歩く途中の道に寝転んで、流れ星を探した。あれはたぶん、もう一年近く前のこと。


8月6日 休日

はじめての休日は山に登ると決めていた。
ここで働く人の多くは、休日に登山に出かける。 そのために山小屋で働いているという人が多い。わたしも周りの人に相談して、初心者でも登れる山を教えてもらった。いくつか候補があったのだけど、まずは気持ちを高めるために景色のいい場所を選んだ。

早朝5時に出発し、片道5時間ほどの道のりを歩き、10時前に山頂に到着。
これまでに見たことのない景色に、脳内の処理が追いつかない。どこを見ても山しかない。こうしてみるとどの山も近くに感じる。難関と言われている山々のピークがすぐそこにある。
アルプスとか連峰とかいう言葉を聞いて想像していたスケールと、目の前に広がる光景は、どこか違っている気がした。自分には行けそうにないと思い込んでいる場所も、目指せば手が届くのかもしれない。自分の足を一歩一歩前に出すことだけで、ここまで登れたのだから。

山頂の山小屋でカレーとホットコーヒーを注文し、しばらくぼーっとする。 山の上は寒い。最初は涼しくて気持ちがいいと感じたけれど、あっという間に汗が冷えて震えるほど寒くなり、ダウンを着込む。
2時間ほど滞在して、山頂をあとにした。

何かを掴みかけた気がしたけれど、まだまだ腑に落ちない。自分の中で消化して言葉にするには少し時間がかかりそう。山のことをもっと知りたい。いろんな表情に触れてみたい。
次の休みはどこに登ろうか。


8月10日

例年なら蒸し暑さと戦っている時期だけれど、山はずっと涼しい。
ここには真夏の暑さも、お盆の祭りの賑わいも、高校野球の盛り上がりもない。
そういうものが、ちょっと恋しい。


8月12日

お盆の繁忙期真っただ中。朝5:40集合で、21時前に解散。バタバタの一日が終わった。

今夜は流星群の日だった。夕食後に厨房の掃除をしているとき、誰かが教えてくれた。外に出てみると星がすごくきれいに見えて、疲れていたけれど一気にテンションが上がる。その場にいた何人かでしばらく空を見上げていた。街で見るのとはやっぱり全然違う。見える星の数が圧倒的に違う。

流星は朝方の3時ころがピークらしいけれど、疲れも溜まっているし明日も早いので、その時間に起きるのは無理そう。でもせっかくなのでお風呂上がりに、同室のAちゃんと夜空を見に行くことにした。まだ22時前だけれど、運がよければ流れ星が見えるかもしれないと期待して。

宿の明かりから遠ざかるために、近くの川辺まで歩いた。昼間は森林浴をしながら歩ける気持ちのよい道も、夜は本当に真っ暗で何も見えない。熊とか猿とかが出てきたらどうしよう(日中はよく猿に遭遇する)。懐中電灯で前方を照らしながら、早足で歩く。
川にかかる橋の真ん中まで歩き、空を見上げる。最初は真っ黒な空に星がたくさん見えていたのだけれど、だんだん曇ってきて、少しするともう霞んで見えなくなってしまった。それでもしばらく2人で空を見上げていた。
水の流れる音が心地よく響く。夜でも川の水は流れ続けているんだなと、当たり前のことを思った。

朝方4時前に目が覚めてしまったので、外に出てみた。空気が澄んでいて、夜よりもクリアに見える。するとすぐに1つ、流れ星を見た。少ししてもう1つ。

いつの記憶か定かではないのだけれど、子供のころに学校の合宿か何かで、山で夜をすごしたことがある。その日も星がとてもたくさん、はっきりと見えた。寝そべって空を見ていると、視界の隅に入り込んでいたはずの木々が影を潜めて、星空だけが見えていると錯覚する瞬間があった。あのとき、自分がいる場所も他の星の仲間なのだなとわかった。宇宙に浮いている惑星の表面にいるのだという感覚が腑に落ちて、すごく興奮したのを覚えている。
大人になってからも時折、星が綺麗な日に、あの感覚を再現しようと試みることがある。心を落ち着けて想像力を働かせるけれど、ほとんどうまくいかない。
でも今日は一瞬だけ、あの感覚が蘇った気がした。本当に久しぶりに。

5分くらい見上げていただろうか。あと10秒数えたら部屋に戻ろうと思い、ゆっくり10数え終えた瞬間、ちょうど目線の先に、短い流れ星がひゅんっと流れた。

願いごとを、と思ったけれど、こういうときいつも自分の願いごとがわからない。七夕の短冊を書くときもそう。とっさに願掛けできるほどの明確な願いって、みんな持っているんだろうか。


8月15日

5:50集合。今日も多忙な一日。

朝食の盛り付け準備をしているときに、人から言われた小さな一言にうっかり傷ついてしまった。一人になった瞬間にぼろぼろ涙が出てくる。とっさにTシャツの襟ぐりの部分を目に押し当てた。

すごく些細で、ふつうなら傷つくような言葉ではなかったのに。きっと自分が不安定なのが原因だ。言葉は引き金になっただけ。ここに来て友達もできたけれど、まだ味方はいないって思う。そのことに気づいてしまったからかもしれない。
他人に何を言われようが、家に帰れば心強い味方がいたりすれば、もう少し余裕でいられるんだろうか。自分の居場所が明確だったら、ぐらつかずに済むのだろうか。

山小屋は3ヶ月だけのアルバイトだし、この仕事に関してはプライドがあるわけじゃないので(ごめんなさい)、仕事のことでうまくいかなくたって別にいいやって思っているのだけど。
じゃあわたしのアイデンティティはどこにあって、何にならプライドを持てるのかって考えてしまうと、だんだんわからなくなってきて情けなくなる。
ここは本来の居場所ではないんだから、とか思ってみたところで、わたしには帰るべき場所も、誇れる何かもあるわけじゃないんだった。

山小屋生活、来てよかったと思う瞬間もあれば、しんどすぎて今すぐ帰りたいと心が折れる瞬間もあり。それがぐるぐるとめまぐるしく入れ替わり続けている。
とりあえず今わたしにできることは、ここで考えたことや感じたことを、言葉で残しておくことくらいだ。と思って今日も休憩時間をつかって日記を書いている。心もとないけれど、いまは自分の中から出てくる感情以外に残せるものが何もない。
いや、残すというよりも、書いて吐き出すことでどうにか自分を保とうとしているのかもしれない。


8月16日

今日は5:55集合。昨日より5分遅くなった!

世間ではお盆休みが終わる頃だろうか。朝から雨が降り続いているせいもあってか昨日よりかなり人が少なめ。繁忙期のバタバタがひと段落ついた様子。

次の休みは7日後で、16連勤明けの貴重な休み。山に登ろうかと考えていたのだけど、心も体も疲労困憊なので、ちょっと休養が必要かもなぁと思っていた。
そうしたら宮脇さんから連絡がきて、ちょうどわたしの休みのタイミングで長野にくる用事があるというので、山を下りて会うことになった。宮脇さんは高松で親しくなった写真家だ。

約1ヶ月ぶりの下界、たのしみ。というか、いろいろ切実な買い出しをしてくる予定。休憩中に飲むコーヒーのドリップパックとか、生理用品とか。山では何も手に入らない。
そういう生活の不便さや、情報の入らなさ、娯楽の少なさ、虫の多さ、朝が早いことなどは、全く苦にならない。でも、好きな人たちに会えないこと、話したいことが話せないこと。そういうことが、じわじわとわたしを追い詰めている。

興味のあることについて人に話したときに、それについてちゃんと会話ができるのって、すごく幸福なことだ。ここでは何度か試みてみたけれど手応えがなかったので、自分のことを話すこともなくなった。
好きなことについて臆せず発言できる環境って、何にも代えがたいことなのかも。今まで当たり前だと思っていたから、そのありがたみに気がついていなかった。


8月19日

今日は晴れの予報だけど、雨が降りそう。山の天気予報は本当に当たらないなと実感する日々。

女性スタッフがこそこそ話をしている現場にときどき遭遇する。たぶん誰かの噂話。内容が聞こえてしまうときは、聞いていないふりをして過ごす。聞かない方が楽なことは、できるだけ聞きたくない。

でも今朝は、わたしのことを話されている現場に居合わせてしまった。
悪口とも言えないような内容ではあったけれど、わざわざ陰で言わなくてもいいことをわたし不在のところで言われていたことで、いとも簡単に傷ついてしまった。自分のことは結構タフだと思い込んでいたけれど、とんだ勘違いだった。

情けないけれど、この一件であっという間に嫌気がさしてしまった。女性が多い職場ってどうしてこんなに面倒なんだろう。いますぐ下山したい。初めて本気でそう思った。
涙ぐんで目が赤くなってしまったので、トイレの洗面台で顔を洗った。冷たい水でばしゃばしゃ洗えばすぐに気持ちを切り替えられるかと思ったけれど、そういうわけにもいかず。
今日は頭の中でずっと、途中下山を正当化する材料を探していた。「閉鎖的な人間関係に挫折してしまいました」っていうのも、わたしらしいかもしれないな、とか考えてみたり。

小さなことでいちいち傷ついて落ち込んで。何やってるんだろう。
こういうことが全部どうでもいいって思えるようなすごく大事なことが、わたしにあればいいのに。


8月20日 

今日は同室のAちゃんの最終出勤日だった。

山小屋にきて頼れる人もいなくて、かつ人間関係が面倒だったりもして、もし一人だったらきっとすごく心細かっただろうと思う。最初のひと月がAちゃんと一緒でラッキーだった。おかげでなんとか(ぎりぎり)今日までは続けられている。
趣味も全然違うし、こんな場所で働かなければ出会うこともなかったであろう友達。もしかしたら、山を下りちゃえば共通の話題なんてないのかもしれない。
でも今度一緒に山に登ろうと約束をした。ほかにそんな約束ができる友達はいない。そうやって少しずつ、これまでになかった繋がりが広がっていくんだな。

明日から念願の一人部屋。やっと自分の時間が持てるから、これからのことをじっくり考えよう。
せっかくだからもう少し、続けてみよう。

_R009626