誠実であること

第38期(2018年4月-5月)

「ここ数ヶ月、何度か面談でフィードバックしてきたことって、同じことだと思って」
「そうですね、おっしゃる通りですね」

彼が、おっしゃる通りですね、と返すとき、僕はきっと少しずつ、イライラしていた。

「これからどうしていこうか」
「そうですね、やっぱりこう、知識も経験も足りない部分もあって、でも方向性としては間違ってなくって、もっとしっかり結果を出してチームを大きくしていって…」
「えっとね、いつも質問したとき、すごく色々話してくれるんだけど…僕が聞きたいのはそういうことじゃなくって」

厳しくある、というのはやっぱり苦手だ。
というか、上司と部下という関係性が好きではない。
なるべく放牧式でやっていきたい。

とか言ってみるけど、それはそれで僕の都合であり、逃げであって、なるべく面倒くさいコミュニケーションは避けていきたいのだよな。

「誠実でありたいよね」と口にするのは容易いけれど、誠実さとはいったいなんであろうか。

誠実さというのはたぶん、平時においていつも顕現するもんでもなくて、こういう「めんどくさい」ときに自分がどうあれるか、というところに現れてくるものなんだろう。

「君はちゃんと吃ることができるからいい」

そう言ってもらったときのことを、いまこの瞬間に思い出した。
(アパートメント, 吃ることが「いいこと」だなんて、思えなかったあの頃)

最近は朝早くから夜遅くまで仕事が続いていて、脳みそがあまり働いていない感じがする。
だけどそういう時には無意識下から色んな記憶がぽこぽこと思い浮かんでくる。

さくさくスラスラと書ける文書仕事と、ぜんぜんまったく筆が進まない類の書きものと、そのギャップがますますと大きくなっている。

吃ることもない、という方が危うい気がして、自分のお腹のなかの気持ちとことばと格闘するような、これかな、あれかな、この人に自分が言いたいことはなんだろう、僕が伝えたいことはどれだろう、とそういう深層での居心地の悪さ、面倒臭さと辛抱して付き合うということを、そもそもしないで済むレベルで日々をやり過ごしている方が、そう、よっぽど危うい。

コミュニケーションが上手になったと思う。

前向きでポジティブで、って同じことを二回いったけど、とにかくそう、前向きでポジティブで問題解決思考で生産的でサポーティブで…と、概ね「良い」とされる方向への言葉の出力を、困ったことに30年生きてきて、ようやくと体得できてしまったのか、なんたることだ。

いや、それが悪いと言いたいわけじゃないのだけど、それはそれできっと前進なのだと思う、けど。

僕が僕としての誠実さを問われるのは、言葉が簡単に出てこない、どうしたらいいんだろう、と途方に暮れてしまうような場面で、それでもどうあるか、ということであって、それは結局、冒頭のような「面倒くさい」場面で、相手と、いや自分とどう向き合うのかってことなんだろう。

「言葉が出ない」場面というのは、その瞬間、僕が「正解」を持っていないということだ。

「正解」というのは未来に予め待っているゴールテープのようなもので、それが見えているなら届くように手をぐいっと伸ばせば良いわけで、わざわざ道に迷うこともない。

だから、「正解」を持っていないというのは、未来がわからないということとほとんど同義で、そういうときに何ができるかって、自分の全身で、いま目の前の現実と向き合って、正解・不正解ではない「何か」を絞り出すしかないわけで、それがきっとたぶん、誠実さというやつなんだろう。

「えっと、正直、僕もどうするのが良いかわかんない」
「…はい」
「わかんない、というのは、匙を投げてるわけじゃなくて、今のままじゃ良くないと思っているのは確かで、一緒に良くしていきたいし、君が向かっていく方向を応援したいと思っているんだけど、それがどうしたら良いのかわかんないってことで。その、なんというかほんとの根っこのところを知りたい」
「…」

訥々と話している僕の心の中に、久しぶりにポツポツと泡立ちを感じる。
彼の心境は知るよしもない。
でも、2人でいるこの小さな部屋の中に、いま、ぞわっと波が立ったことは確かだ。

この先どうなるだろう。わからない。
ここで僕が踏み込んだのは良かった?悪かった?
そつなく面倒見の良いコミュニケーションもできたかもしれない?
裏目に出るかな。ちょっとドキドキもする。

…でも、ちょっと生きている感じがする。