やさしい人に笑ってほしい②

第39期(2018年6月-7月)

心の真ん中で、自分が本当に面白いと思う人に会う。
そうするなかで、番組がどんどん「自分ごと」になっていく。
私にとっての、いちばんの「自分ごと」。
それは、選べなかったことに、人がどう納得を見つけようとして生きているか、なんだ…。

人生の風向きが変わってきている気がする。
そう思わせてくれた、大学院生でアルビノの神原由佳さんとご一緒した「見た目の症状」の番組が、今年2月27日に放送されました。

その翌日。
私は、漫画家・歌川たいじさんのご自宅を訪ねていました。

きっかけは、「見た目の症状」の番組の制作終盤、上司から次の仕事を指示されたことでした。

「宮下くん、5月のプライドウィーク(あらゆるセクシュアリティの人が自分らしく生きられる社会を目指して、渋谷などでパレードが行われる週間)に合わせて、過去にハートネットTVに出てくださった、セクシュアルマイノリティの方の『その後』を取り上げる番組をお願い。」

普段なら、番組のために人とお会いするのではなく、自分の気持ちでお会いした人とのつながりのなかで、番組を提案していたのですが、今回は「過去の出演者」という縛りがありました。
でも、過去の出演者の中から、自分の気持ちで、いちばん会いたい人に会えばいいのなら、それもいいか…そう思って、局内のアーカイブスから、セクシュアルマイノリティの方が出演しているハートネットTVを見漁りました。
そうして見つけたのが、歌川たいじさんです。

「しまった。」

最初にそう思いました。
こんなにも、自分のど真ん中に響いてしまう人が…。

2015年11月30日放送のハートネットTV。
漫画家でゲイの歌川さんは、かつて漫画にも描いた、幼い頃から母親に虐待を受けて育った過去を話していました。
彼が何度も強調したのは、「自分の脳に生まれる、自分を攻撃する装置」の恐ろしさです。

母さんがどんなに僕を嫌いでも

熱い味噌汁を顔にかけられ、腹を踏まれ、タバコの火を手に押し当てられ、腕を包丁で切られ、「あんたなんかいなくていい」。
幼い歌川さんは、自分がみっともなくて気持ち悪いから、母を怒らせるのだと思い込み、いつしか自分のことを「ブタ」と蔑むようになります。
自分が太っているから。
肌が荒れているから。
ゲイだから。

しかし、歌川さんには味方がいました。
実家の工場で働いていた女性、通称「ばあちゃん」です。
歌川さんは、虐待を受けると、ばあちゃんのもとへ行き、自分が描いた絵を見せていました。
いつも「たいちゃん、上手ね」と褒めてくれるばあちゃん。
彼女がいれば、たいていのことは大丈夫だと思っていました。

そして時は流れ、歌川さんが17歳になったとき。
母と絶縁し、家出して食肉市場で働いていた歌川さんのもとに、「ばあちゃんが末期がんで倒れた」という知らせが届きます。
お見舞いに行った歌川さんは、ばあちゃんを笑わせようとしますが、口から出てくるのは自虐ばかり。
「今、食肉市場で働いているんだ。ブタみたいな僕がブタに囲まれて、お似合いだよね。」

ばあちゃんは、笑いませんでした。

「たいちゃんにお願いがあるの。『僕はブタじゃない』って云って。」

僕はブタじゃない。

僕はブタじゃない。

僕はブタじゃない。

僕はブタじゃない。

僕はブタじゃない。

心がべろっと裏返しの袋のようになり、何もかもがぼたぼた落ちてくるような気がして、私はNHKの自分の席で、怖くなるほど泣きました。
周りに見られたら心配されるかもしれないと思ったけれど、どうしようもなくて、泣いて泣いて、でもそれがどうしてなのか、分かりませんでした。

会うしかないんだ。
私は少し休んでから、メールを送りました。

当日、私は、初めての気持ちを味わっていました。
それは、「取材先に会いたくない」という気持ちです。
会ったら、きっと泣いてしまうから。
会ったら、きっと自分の人生が、決定的に変わってしまうから。
でも、今日会わなかったら、きっともう永遠に、「生きることは逃げること」だと思ったままになってしまうんだ。
今日しかない、そう自分に言い聞かせているうちに、気づくと歌川さんのご自宅に着いていました。

「あ、はじめまして、歌川と申します。」
驚くほど穏やかで、柔らかで、そして、出会ったことをその時点から喜んでくれているような(思い上がりだったらごめんなさい)声に、私の心はほぐれていきました。

私は、いつもしているように、自分がなぜ相手に会いに来たのかを説明しました。
両親の仲があまり良くなかったこと。
こんな家に生まれたいなんて、頼んだ覚えはないと思っていたこと。
その影響をずっと感じながら、今も逃げるような気持ちで生きていること。
自分が同じような親になってしまって、子どもが同じように、納得できない気持ちを抱えるのが怖いから、子どもは絶対につくらないと思っていること。
だから、選べなかったことに、人がどう納得を見つけようとして生きているかに関心があること。
そうした人がつかみとり、守っている優しさ、輝きを撮りたいこと。
だから、歌川さんが、家庭環境という「選べなかったこと」に対して、一度は「自分自身を攻撃する装置」に苦しみながらも、ばあちゃんや、たくさんの人たちとの出会いのなかで、自分が生きていることに価値を感じられるようになった、その生き様に感動したこと。
歌川さんが見つけてきたことを、もっと教えてほしいと思っていること。

ただの一度も口を挟まなかった歌川さんは、私が話し終えると、一言、こう言いました。

「宮下さん。今、ご両親の仲を説明するときに、『僕の力不足で』って何回もおっしゃったでしょう。」

え?

そうでしたっけ?

自分の言葉にはこだわりがある方だと思いますが、そんな記憶は、

…いや、言った…確かに、何回も言った…。

「子どもをつくるかどうかは、他にもいろんな事情が絡んでくるだろうから、こうした方がいいとか言えないけど、せめて、」

やめてください、

「子どもの頃の宮下さんのことだけは、もっと高く評価してあげてもいいんじゃないですか。」

あーあ。

やっぱり泣いちゃった。
もうだめだ。
これもう止まんないや。
あとはもう泣くだけ。
気絶するまで泣くだけ。

鼻水が口を通り過ぎて、顎まで流れていくのを感じながら、私は自分が小学生の頃、会話のない両親の仲を取り持とうとして、毎日、夕食のたびに、司会進行のように振る舞っていたことを思い出していました。
一人っ子なんだから、それをするのは、自分しかいないと思っていました。
面白いことを言わないといけない。
なぞなぞを出して、下ネタを言って、頭のなかの変てこな生き物の話をして、アニメの物真似をして、架空のでたらめな言語で歌を歌って・・・。
子どもの私は、何よりも無言の食卓を拒んでいました。
そして、それに成功した気になるたび、ベッドに横になったあと、リビングから聞こえてくる言い争いの声に、自信をなくしていきました。

無言で涙を流すことしかできない私に、歌川さんはさらに続けました。
「子どもの頃の宮下さん、すごくグッジョブだったんだと思うよ。」

そうか。

そうか…。

私は、初めて、自分がずっと、子どもの頃の自分を責めていたのだということを知りました。

不思議なことです。
神原さんに出会って、赤ちゃんポストの話を聞いて、「人は理不尽―選べなかったことのもとで、自分を責める」ということを知ったはずなのに、それがなぜ、自分に照らし返せなかったのか。

自分はけっこう、自信のある人間だと思っていました。
つまらない人間として生きていくんだということを決めて、大学の軽音楽サークルではことさら真面目ふうに振る舞い、演奏はまずまず評価され、自分の帰るべき巣だと思ったNHKに入って、今日までやってきた。
私は自分の望みを、自分でつかみとる力がある人間なんだ。
そう思っていました。

でも、本当はそうではなくて、私は、自分のことが大嫌いだったのでした。

そして、大嫌いの始まりは、両親に楽しい会話を提供できない自分を責めたことでした。

私は、母に心から笑ってほしかったのでした。

「やさしい人に笑ってほしい」。
かつて心にふと浮かんだあのフレーズは、思っていたより、比喩的な意味ではなく、そのままの意味でした。

私が「自分の望み」だと思ってしてきたひとつひとつのこと―「面白い人間にならなければ生きる価値がない」と思ってあがくこと、それを諦めて、真面目を盾にとって生きること、すべては、面白い人間ではないありのままの自分を、恥じて、責めて、亡き者として塗り固めようとすることでした。

私の、本当の望み―子どもの頃の、最初の望みは、「面白いことが言えなくても、安心して家にいられること」だったのでした。

ごめんね。

怖かったから、面白いことが言えるようになりたかったんだよね。

がんばったね。

「取材先に会いたくない」という初めての気持ちを抱えて歌川さんに会った私のなかに、もうひとつ、初めての気持ちが芽生えていました。
それは、たぶん、「許し」と混じり合った「自信」だったと思います。

コンプレックスは、克服しなくてもいい。
「ならなきゃいけない自分」を心に敷き詰めるのではなくて、亡き者にしていた最初の望みに、「いていいよ」と、部屋をひとつあげること。
それが、本当に自分が喜ぶ選択をしていけるようになるために、必要だったのだと気付きました。

歌川さん、そして、ここまでに登場したすべての人たち、それから、お読みくださった皆様に感謝します。
子どもの頃の自分にも。
ありがとうございました。

さて、歌川さんは、「まだまだドラマがあるかもしれないよ」と言いました。
「僕の場合は、過去がオセロみたいに、パタパタと黒から白にひっくり返っていく感じだった。」
私は嬉しいというより、ちょっと怖いという感覚でその言葉を聞きました。
というのも、すでに心当たりがあったからです。
前日、つまり「見た目の症状」の番組の放送日の夜、感想をお聞きしようと神原さんに電話した私に、彼女がこんなことを言ったのです。
「実は、宮下さんの高校の同級生が、いま大学院で私と一緒でして、宮下さんの話をしたら、会いたいって言っているんですが、どうですか?」

その同級生とは、私が面白い人間になろうとしてあがいていた頃、周囲からの「ゲイいじり」を求めて、これみよがしに追いかけ回していたIくんでした。
第5回は、そのお誘いの結末をお話ししたいと思います。