心の真ん中

第39期(2018年6月-7月)

面白いことができる人は、勢いがある人。
勢いがある人は、よく転ぶ人。
よく転ぶ人は、そのたびに、周りの人と向き合ってきた人。
周りの人と向き合ってきた人は、周りの人の居場所を、自分の心の中に持っている人。

それが、私の憧れる人です。
これを全部、反対にしたのが自分だ、と思っていました。
そんな自分は、父みたいだな、とも。

父は、母とあまり折り合いが良くありませんでした。
今は別れていて、それが二人にとってベストだったと私は思っています。
一緒に幸せになるのは、残念ながら難しかった。
家の中には、軽蔑が充満していました。

父は、私は、転ばない人。
周りの人と向き合わない人。
周りの人の居場所を、自分の心の中に持っていない人。

それをやめたいと思っていたから、高校生のとき、周りの「面白い人」たちを腹の底で軽蔑している自分が、どうしようもなく嫌だったのです。
それを、父のせいにしようとしている自分も嫌でした。

さて、前回お話しした通り、私の戦略は「面白くなろうとあがくこと」と「真面目を盾にとること」でした。
そのふたつがパズルのように結合した選択が、私にとっては、NHKのディレクターになることだったのです。
NHKだって、テレビはテレビ。
みんなの欲望を満たすような、面白いこと、なんなら下衆なことがしたい。
でも、そうはなりきれないから、高尚ぶってみる。
そうやって自分の立場を確保しながら、本当は、面白いことへ振り切ることができる人たちを羨み、妬んでいる…。
合同説明会にブースを出していたNHKの人たちが、そんなふうに見えて(ごめんなさい、これは当時の私の思い込みです)、自分に重なって、「ここが自分の巣だ」と思ったのです。
自分はここにしか入れない。
そしてここには、絶対に入れる。
そんな確信がありました。

「生きることは、逃げること。」
この頃から、そんなフレーズを使うようになりました。

実際にNHKに入れてもらえて、やっぱりそういうふうに生きろということかと思って、半分は悲しい気持ちで納得しました。
でも、O君がくれた「宮下はそっち極めるしかない」という言葉をお守りにして、自分が可能な範囲で一番幸せに生きられる道がこれなんだと、半分は前向きな気持ちで納得しました。

そして、NHK山形放送局に着任して3年目の秋。
私は、ある家族に出会います。

坂井家

豊かな田園が広がる村山市で、農業を営む坂井家です。
兄・陽一郎さん、妹・奈緒さん、それに陽一郎さんの妻と息子と娘、奈緒さんの夫と娘、そして二人の両親、合わせて9人の大家族。
米屋だった建物を改装したゲストハウス「こめやかた」の主でもあります。
客は、普通にお金を支払って泊まることもできますが、「ヘルパー」として滞在し、農作業を手伝えば、食事や宿泊は無料になり、坂井家の一員となります。
その代わり、手加減はなし。
朝5時から昼寝を挟んで夕方5時まで、「農業体験」の域を超えた本物の野良仕事をします。
リアルジャパンが知れるうえにお金がかからないとあって、海外のバックパッカーの間では知る人ぞ知る宿になっており、いつ行っても、外国人のヘルパーが長期滞在しています。

私は、彼らの日々をどうしても番組にしたかった。
それは、一家がほとんど一日中、一緒に過ごしていたからです。
みんな一緒に早起きして、みんな一緒に仕事をして、みんな一緒に食事をとる。
自営業の夫婦ならまだ分かるけれど、今どき兄夫婦と妹夫婦までもが一緒に、というのは聞いたことがありませんでした。
「プライバシーってもんがないのよ、うちは」と笑う陽一郎さんは、私の憧れでした。
私が育った家は、一緒に過ごさない時間と、すれ違いと、隠し事ばかりだったから。
半年に渡って、自分の憧れを坂井家に伝え続け、とうとう2015年の初夏、取材を許してもらえました。

私の上司(プロデューサー)は、「この番組はきっと宮下の転機になる」と、他の仕事を外して、好きなだけ取材をさせてくれました。
私はヘルパーとして坂井家に1ヶ月滞在し、ひたすら農作業に明け暮れました。

しかし何日経っても、なぜか大切なところに触れているという手応えが湧いてきませんでした。
なぜ坂井家は一緒に過ごすのか。
プライバシーがないことは、嫌ではないのか。
このユートピアのような空間に、挫折はないのか。
それを維持するために、いちばん大切なことは何なのか。
聞いても聞いても分からない。
このままでは、番組が成立しない。
それに、何だかプレッシャーを感じる。
いつも隠し事なく、正直に話していなければならず、面白いと思っていないときに愛想笑いなんかしようものなら、たちまち排除されてしまうような…。
おおらかで、自由を絵に描いたようなのびのびした一家にいながら、なぜこんなにも、見えないルールの存在におびえているのだろう。

溶け込み方が足りないのか?
信頼関係が構築しきれていないのか?
そんな焦りから、ますます農作業を積極的に引き受けるようになっていきます。
肥料を作ること、撒くこと、雑草を刈ること、防草シートを回収すること、野菜を収穫して仕分けること…様々な作業を覚えました。
しかしある日、昼寝の時間の終わり際のこと。
2階の部屋で寝ていた私は、午後の農作業にギリギリ間に合うように起きて、皆の集まっている1階のロビーに降りようとしていました。
すると下から、「宮下くん来ないね」という声が聞こえてきました。

「起こしてきます?」

「いや、疲れてるかもしれないから。それにまあ…宮下くんは農作業するために来てるわけじゃないから」

一瞬、息が止まりました。
心臓がねじれて、ちぎれるような感覚。
今日までやってきたことは、全部、無駄だったのか。
あれだけやったのに、まだ、ヘルパーとして認められてすらいないのか…。
しかし、迷っている暇はありません。
何も聞こえなかったかのように、「お待たせしました」と急いで階段を降りました。

どうすればよいのか分からないまま、「ヘルパー」として過ごす期間は終わり、今度は取材や撮影のために、散発的にこめやかたを訪ねるようになりました。
そんなある日、ヘルパーではない宿泊客の中に、農作業を手伝ってみたいという人がいました。
彼は畑から帰ってくると、「ごはんどうしようかな」とつぶやきました。
ヘルパーは坂井家の母屋で食事をとりますが、宿泊客はゲストハウスのロビーで自炊することになっています(置いてあるお米と野菜は使い放題)。
その日は作り置きもなく、彼は何を作るか考えていたのでした。
私は、「農作業を手伝ったんだから、母屋に行けば一緒に食べさせてもらえると思いますよ」と言いました。
以前、坂井家が母屋ではなくゲストハウスのロビーに料理を持ってきて、宿泊客と一緒に食べたことがあったので、大丈夫だろうと思ったのです。
彼は「本当ですか?」と顔を輝かせ、母屋へ向かっていきました。

しかしこれは、間違いでした。
自分は坂井家に溶け込んでいる…溶け込んでいるはずだと思いたい気持ちから、私は経験者らしく振る舞おうとし、曖昧な状況で勝手な判断をしてしまったのです。
しばらくして、しょんぼりした彼がロビーに戻ってきました。
「だめでした」
「えっ」
「宮下さんのせいですからね」

彼は、楽しみにしていた坂井家のごはんが食べられなかったこと以上に、大好きな坂井家に、食事を断るという気を遣わせてしまったことにショックを受けていました。
彼が身を委ねていたユートピアは、壊れてしまいました。
せっかくの特別な時間が、台無しです。
私は彼に謝り、そして、坂井家に謝るため、母屋へ向かいました。
キッチンにいた陽一郎さんの妻・育美さんに「申し訳ございませんでした」と言うと、育美さんはこちらを向かずに「はい、お客さんに迷惑かけないでください」と答えました。
もうだめだ、終わった…と思いながら、私は局に戻りました。

数日後、陽一郎さんの妹・奈緒さんから、Facebookメッセージが届きました。

「昨日から宮下くんが私の中でいい意味で変わったのでお知らせです
正直いままで宮下くんは取材してる人で私は取材されてる人という感覚が否めなかったのですが(中略)なんとなく友達が来てくれて嬉しいな〜という感覚に変化しました
これからは同じ作品を作り上げる仲間として楽しんでやっていけそうです
宮下くんも楽しんで仕事してもらえたら嬉しいです
面と向かっては恥ずかしくて言えないのでメッセージにしました
今後ともよろしく!」

私は、こめやかたで、「転んだ」のでした。

そのとき、やっと私は、坂井家と向き合い始めることができたのです。
そして、奈緒さんが取材に答える言葉ではなく、私に向けてくれた言葉によって、私は坂井家の核心が、「相手の『ありのまま』を尊重するからこその、気兼ねのなさ」であることに気づけたのです。

自分の家族のネガティブな話を引き合いに出したことも、坂井家と同じように汗水を流したことも、私としては、自分を守らず、転ぶことをいとわず、相手の懐に飛び込んでいたつもりでした。
しかしそれはどこかで、坂井家へのアピールでしかなく、「取材者としての模範的な姿勢」をトレースしただけだったのです。
根っこの部分が「番組のための付き合い」であるのを覆い隠すための信頼構築なんて、いくら巧妙に、あるいはがむしゃらに、積み重ねたところで無駄なのでした。

私は、坂井家を「番組にしたい」のではなく、坂井家を「知りたい」のでした。
それが、私の心の真ん中でした。
番組になるかどうかなんて関係ない。
私に教えてほしい。
どうしたら、そんな家族を築けるのか、「私に」教えてほしい。

もちろん、坂井家に対して、「すれ違いばかりの家で育ったから、あなたたちに憧れる」と伝えたのは、嘘ではありませんでした。
嘘ではなかったけれど、でも、心の真ん中から出た言葉ではなかった。
だから伝わらなかったのです。

心の真ん中と、言葉の真ん中を、一列に揃えて話すこと。
それが、人と向き合うことなんだと知りました。

番組は結果的に、「気兼ねのなさ」という観点で坂井家を切り取るものになりました。
そこには、私のクリエイティビティなど何も反映されていないし、おしゃれな映像も、奇抜な編集もありません。
でも、坂井家が、ただただ輝いている。
私が自分で触れた坂井家の輝きが、限りなく少ない取りこぼしで、封入されている。
何度見返しても、優しい気持ちが湧いてきて、かたくなな心がほぐれるような番組になりました。
「我ながら」という謙遜を付けなかったのは、「我」という感覚ではないからです。
坂井家の輝きが、この番組なのです。

放送後、私は、上司であるプロデューサーに質問をしました。
「つまらない人間には、つまらない番組しかできないんでしょうか。」
もしかしたら、そうでもないのでは、という気持ちが芽生えていたからです。
私は、プロデューサーを信頼していました。
彼が「参考までに」と書いてみせてくれた、坂井家の番組のナレーションの一文に感動したからです。
「常にみんなの声が聞こえ、誰かがそっと気にしてくれる。そんな家を目指しています。」
私が坂井家に感じたことを、心の真ん中から、まっすぐ言葉にしてくれていました。

彼は、私の質問を予感していたかのようでした。
「宮下が、もし自分をつまらない人間だと思っているとしても、面白い番組はできるんだよ。どうすればいいかっていうと、面白い人に会えばいいんだよ。俺もそうだから。俺もそうやってきたから」

つまらない人間でも、大丈夫。
心の真ん中で、誰かの面白さを、分けてもらえばいいんだ。

「でもそれは、番組的に面白い人じゃなくて、お前が本当に面白いと思う人じゃなきゃだめだよ。」

分かっています。
それは、できます。

長いトンネルの出口の光が、ちらりと見えました。

坂井家の皆さん、プロデューサー、そして、ここまでに登場したすべての人たち、それから、お読みくださった皆様に感謝します。
ありがとうございました。

第3回は、ここ数ヶ月の私の発見―なぜ私がそもそも「面白さ」にこれほどまでに執着するようになったのか、気づいたことをお話ししたいと思います。

※ちなみに…私のアイコンは、番組の放送後、再会した奈緒さんに、顔を塗ってもらったときのものです。
こんなふうに日頃から、人の面白さを分けてもらうようになりました。