準備

第39期(2018年6月-7月)

いちばん面白い男。
彼は私にとって、いちばん恐ろしい男でした。

Yくんは、高校1年生のとき、私と同じクラスになりました。
「眼球舐め」をはじめとする彼の面白い行動の数々は、とにかくいつも「突発的」であったことが強く記憶に残っています。
それまでの会話の流れからはとても予想できない、時空の切れ目から飛び出してくるような仕草や発言。
それなのに、その場にいる人に笑いや興味をもって受け入れられてしまうという、とんでもない芸当でした。

そしてもうひとつ、彼はとても友達思いでした。
なんとなく取り巻きがいる、というのではなくて、ひとりひとりの友達の人間性の、いちばん深いところに触れて、それを愛しているような、
そして周囲も彼を信頼して、自分の内面を預けているような・・・
平たく言ってしまえば、それぞれの友達の家庭の事情や悩みをYくんが把握していることが私は羨ましかったし、それと比べて「僕には友達がいないんだ」と思っていました。

私はいつも、自分の挙動のひとつひとつが彼に判定されているかのような気持ちで過ごし、なおかつ、彼を避けていることがあからさまにならないように、ほどよく関わろうとしていました。

ただし、Yくんと、声を荒げて喧嘩をするようなことは、一度もありませんでした。
それをすることが、一番ダサい負け方だと思っていたからだと思います。
私がすべきだと思っていたのは、真面目さ、真っ当さで静かに勝ること。
でも、そんなの無理だということも、よく分かっていたのです。
それは、彼の方が真っ当だったからです。
文学に明るく、美術に明るく、まだ「サブカル」という言葉が流行る以前のことですが、アンダーグラウンドなアートやエンターテインメントの世界にも通じていた彼は、誰よりも「本物」を知っている人でした。

たとえば、音楽が好きだったのは、私も彼も同じです。
でも、私がそれまで聞いていたのは、「歌手」という存在が立っている音楽。
彼が聞いていたのは、バンドの音楽でした。
私は小さい頃から時代劇のテーマ曲が好きで、演歌が好きで、それとちょっとリンクするところのあるR&Bなどの黒人音楽が好きで、今となっては、それらの音楽でもバンド演奏が非常に重要なことを理解しているつもりですが、当時は「歌」ばかりが私の関心でした。
バンドの音楽は、なんだかよく分からなくて、ボーカルの技術だって、私が好きな歌手たちに劣るような気がして(今では別の種類の表現だと思っています)、そんなの「真っ当じゃない」と言いたかったけれど、自分が何か重要なことを見落としている、聞き落としているのだろうと、本当は焦っていました。

当時の彼との関係を簡単に言うと、「嫌な緊張感」に尽きます。
互いににこやかに関わりながら、私はいつも、彼を腹の底で否定しようとしている自分をいなそうと必死で、そんな私の状態を見抜いてのことなのか、妙に優しくしてくる彼をさらに恐れる・・・といった感じです。
彼がBUGY CRAXONEやBLANKEY JET CITYなどのアルバムを貸してくれて、それに好意的な感想を言うことに、精一杯の力が必要だったことを覚えています。

象徴的だったのは、文化祭で、彼がバンドのボーカルとして講堂で歌っているのを観に行ったときのことです。
選曲は―当時は曲名も知りませんでしたが―エレファントカシマシの「奴隷天国」。

太陽の下 おぼろげなるまま 右往左往であくびして死ね
オロオロと 何にもわからず 夢よ希望よと同情を乞うて果てろ
Ah 生まれたときからそう 何をしてきた
Ah 生まれたときからそうさ 奴隷天国よ

大切な何かを見落として、真っ当ぶって毎日の生活をやり過ごしている・・・これは、僕のことなのか?
まあ、僕のことなんだろうな、と思ったのは、曲の最後、

何笑ってんだよ
何うなづいてんだよ
おめえだよ
そこの そこの そこの

おめえだよ おめえだよ

という歌詞のところで、彼が客席にいた私の方を指さして、渾身の力で叫んでいるように見えたときでした。
私は目をそらし、曲が終わったところで、そそくさと講堂を出ていきました。

私の方を指さした「ように見えた」だけ。
直接、ぶつかったことはない。
ただ、嫌な緊張感がある。
それを解消できないまま、私は高校を卒業しました。
その少し前、エレファントカシマシの新しいアルバム『STARTING OVER』が発売され、それを発売日に買って、なんてカッコいいんだと思ったけれど、すべては手遅れ。
私は大学に入ってから、彼の見ていないところで、ひたすらバンド活動に明け暮れるのでした。

悔しかった。
Yくんに勝れなかったことではなく、背伸びをしていただけの嘘つきな自分の負けを、素直に認められなかったことが、悔しかった。
だから私は、高校時代の知り合いとほとんど会わずにいながら、実はYくんとだけ、2回、卒業後に会いました。
高校の頃のことを謝ったり、もっと素直に、シンプルになれている自分を見せようとしたりしました。
でも、話せば話すほど、彼の発言の真意を深読みしようとしたり、自分の思慮の浅さがばれないように考えながら話そうとしたりする自分がいて、
「僕は普段はこうじゃないんだ、Yが競うような態度だから、鏡みたいに、僕までそうなっちゃうんだ」などと相手を責めている自分がいて、
多少はマシな人間になりつつあると思っていた自分が、相似形のまま拡大した図形のように、本質的には何も変わっていないことを感じるばかりだったのです。
彼に「やっぱり宮っちだな」と言われ、私は曖昧に笑い、仲直りだけはできたことにして、年賀状のやりとりを毎年、していました。
一方で、たびたび彼からかかってくる突然の電話は、いつも怖くて出られませんでした。
嫌な緊張感は、変わらなかったのです。

時は流れ、2018年3月26日。
前回お話ししたIくんとの再会から1週間ほどが経った夜、私のTwitterアカウントに、Yくんから「そろそろ会いませんか?」というリプライがつきました。
私は驚いたけれど、迷いませんでした。
9分後に「会いましょう」と返信。
日程を調整して、4月11日に、渋谷で彼と会いました。

小さなパイナップルがたくさん描かれたTシャツを着て現れた彼は、お店に向かって歩きながら、森田童子の話をしていました。
私は森田童子をちゃんと聴いたことがなくて、「またこういう感じか」と一瞬、思いました。
でも、これまでとは違う考え方を、私は持っていました。
それは、Iくんに教えてもらった、「ただ、今の自分を見てもらうだけでいいんだ」という考え方です。
今の自分とは、キラキラした目で、相手が大切にしている思いを、聞きたいからという理由で聞く自分のことです。

今の彼は、蒜山目賀田という名で、作家として活動しています。
会う前に、彼のこれまでの活動がまとまったウェブサイトを見返したとき、直近の展示会にあったこの絵が心から離れなくなりました。

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風景描の表面を削ったもの。
なんだか、冷たいような、寂しいような、でもずっと見ていたいような・・・。
「展示会、行けなくてごめんね。Yがウェブに上げてた絵、すごく面白かった。」
2人で入った中華料理店で餃子を待つ間、私は、彼に勝つためではなく、彼を知るために聞きました。
「Yは、『世界と自分との関わり』に興味があるのかなと思ったんだけど・・・。」

彼は、これまで私が感じたことのないまっすぐさの宿った言葉で、応えてくれました。
「確かに宮っちの言う通りで、世界と自分との関わりのなかで、『疎外感』のようなものに興味があるんだと思う。世界に疎外されているような感じが、ずっとあって・・・」

つるつると、水が流れるように進む、「教えて」と「それはね」のやりとり。
まっすぐに、聞くだけです。

「『ずっと』っていうのは、いつから?」

「高校のときもそうだったよ。」

「そうなの?Yはいつも面白くて、慕われてて、羨ましかったけど。」

「面白いことをするっていうのも、みんなの中で、毎日『Yでいなきゃいけない』みたいに思ってたよ。」

「じゃあ、世界に疎外されているような感じが、最初に始まったのはいつ?」

「そういえば、小さい頃に奈良から横浜に引っ越して、そのときに、『ここは自分のいる場所じゃない』って思ってた。そんなことが関係してるなんて、今まで考えたことなかったけど。」

それが、周りと比べて、どんなに小さなきっかけに思えたって、本人の問題が、本人にとっていちばんのおおごとです。
私の中には、ただの一粒も、子どもの頃の彼をバカにする気持ちはありませんでした。

彼もまた、「何かでなければならない」と、必死に生きていたのです。
「なーんだ」と拍子抜けすることすら、ありません。

こんなに楽に、彼と話すことができるのか。
私は、嬉しくて、嬉しくて、
私は、
私は、嬉しかったです。
それ以外に、なんと言ったらいいのか分かりません。

自分を大きく見せようとすることをやめた私の前にいたのは、ひとりの友達でした。

私は、Iくんに目のキラキラを褒められたこと、「ただ、今の自分を見てもらうだけでいいんだ」と思って、絵について聞いたということ、最近、自分を責める気持ちをすこしずつ和らげることができていること、そして歌川さんから聞いたオセロの概念を話しました。
彼は、「いや、実際、まつげ長いんだなーとか、目の造作が、なんかよく見えるよ」と言ってくれました。

そして、「宮っちだけじゃない」とも。

彼もまた、自分の表現への衝動と、美大で学んだ方法論との狭間で、自分がやっていることが正しいのか葛藤してきたけれど、最近、自分の興味を自分で認めることができてきたそうなのです。

「世界に疎外されて苦しいっていうよりは・・・俺、世界に疎外されている状態への未練みたいなものがあると思う。自転車に乗れるようになる前って、自転車ってすごく意味をもたない存在じゃん。でも、乗れるようになったら、もう、そうなる前と同じように自転車っていう存在を見ることはできない。『自分にとって意味をもつ前の世界』への憧れがあるような気がする」

私には、とても思い至らなかった発想。
でも、恥ずかしくも悔しくもありません。
私は、「本当に面白いね」と、いっぱいの尊敬を込めて言いました。

「29歳になるまで、お互い、時間がかかったね」と言うと、彼は微笑んでくれました。

それまで、会って話しても手紙のやりとりをしても、嫌な緊張感が消えなかったのに、この日、私たちが力を抜いて話すことができたのは、きっと、二人とも準備ができていたからです。

それは、相手を責めない準備。

それは、自分を責めない準備。

焦らなくても、オセロは、ひっくり返るべきタイミングを、ずっと待っていてくれるのだと思います。

その夜、私のTwitterアカウントに彼からリプライがありました。
そこには、YouTubeにある、エレファントカシマシの「友達がいるのさ」へのリンクが貼られていました。

7月3日、同級生の葬儀に、私はYくんと一緒に行きました。
道すがら、彼は「オセロについて考えたんだけど」と言い出しました。
「俺は、過去が白になっていくっていう、宮っちが言っているようなことは実感できない。むしろ、オセロが始まる前に戻りたい。緑と黒の盤面がただある状態、ゲームのルールも知らない状態に。」
それは、世界に疎外されている状態への未練っていうことだよね。
彼らしいなと、私はまた嬉しくなりました。

作家・蒜山目賀田は、7月31日から小伝馬町のJINEN GALLERYで、展示会「失踪の練習」を開くそうです。
それに際しての「ステートメント」で、彼がオセロについて書いています。

「だって気づいたらゲームの途中だった」。

私の友達が書いたんだ。
これは自慢です。
皆さん、展示を観に行ってくださいね。

Yくん、Iくん、そして、ここまでに登場したすべての人たち、それから、お読みくださった皆様に感謝します。
ありがとうございました。
それから・・・
亡くなる1ヶ月前に「小説を書き続ける人のための小説」と書き添えて、『ライト・アップ』という作品を送り出していた永田くん。
僕とYくんは、それを読んで、やさしさを受け取ったよ。
ありがとう。
また話したかった。

第7回は、これまでお話ししたことを振り返って、「自信」について私が今、思うことをお伝えしたいと思います。