面白い人間になりたかった

第39期(2018年6月-7月)

はじめまして、宮下玲(みやしたれい)と申します。
玲という名前でよく間違えられますが、男性です。
5月に29歳になりました。
NHKという放送局で、番組制作の仕事をしています。

この数ヶ月、自分の小さな人生が、今までにない速さで動いているように感じます。
あまりにめまぐるしくて、それに、嬉しくて、どこかにこの気持ちを書き留めておきたいと思っていたところでした。
ですからこれは、私のための記録です。
とても勝手だと思います。
でも、読んでくださった方にも、ささやかかもしれないけれど、きっと何かお分けできるものがあると思います。
その点を、私はあまり心配していません。
「ただ、今の自分を見てもらうだけでいいんだ」と、今は思うからです。
それが、29年生きて出会うことのできた、私のさしあたっての答え―自信だからです。

これから8回に渡って書くことは、きっとどれも、「自信」についてのものになると思います。
お読み頂けたら、嬉しいです。

それでは、第1回。
「この数ヶ月」の話の前に、まずお伝えしたいのは、私がずっと、自分を嫌って生きてきたということです。

面白いことができない。

それが、私の最大のコンプレックスでした。
そんなの、そもそもコンプレックスと言えるのかと思われてしまいそうですが、私にとっては、「生きていたくない」という気持ちにつながる、おおごとでした。

ギャグが言えない。絵が描けない。突拍子もない発想ができない。
すなわち、ユーモアとクリエイティビティの欠如。
人を笑顔にする機能が壊れている。
自分はもう変われないし、変われなくてもいいと思ってきました。

はっきりと自分に問題を感じ始めたのは、中学3年くらいのときでした。
私が通っていた中高一貫の男子校は、「自由な校風」とよく言われるところで、誰もが歯止めをかけずに、自分の面白さを全開にしているように感じていました。
私は、どんどん周りの人が怖くなっていきました。
みんないつも、信じられないほどひょうきんなことを言い合って笑っている。
文化祭や体育祭では、同級生たちが、自分の体よりも大きな看板に、躍動感あふれる絵を描いて会場を彩っている。
競馬の話しかしない人、軍服を着て登校する人、ヴィンセント・ギャロのような熟成された色気を漂わせている人・・・。
中でも私が最も恐れたYくんは、出会い頭に「眼球舐め」を繰り出してくるような、圧倒的な支離滅裂ぶりで、しかもその背景に、どこまでも豊かなカルチャーの蓄積を感じさせる人でした。
彼らの毎日の言葉や振る舞いのひとつひとつが、はちきれそうなくらいカラフルで、私はその隙間で窒息しそうになっていました。

そしてやってくる、私の番。
今、彼らの前で何を言えば、正解になるのだろう。
面白くなければ、自分は間違った存在、そこにいる価値のない人間になってしまう・・・そんなふうに感じていました。

もちろん、技術や方法論はあるとして、しかし、ユーモアやクリエイティビティに共通して必要なのは、自分の直感を信じたり、好奇心のおもむくままに行動したりする「勢い」だと思います。
その「勢い」が自分に要求されていることを感じるたび、私の心は、「怖い」という気持ちでいっぱいになり、こわばってしまうのです。

高校1年のときに「お前、学年300人の中で一番つまんねえ奴だな」と言われたことは、今でも忘れません。
恨んでいるのではなく、とても、納得したからです。
やっぱり、そうだよね・・・。

私がしたことは、大きく分けて2つでした。

ひとつは、面白くなろうとあがくことです。
当時、男性にも性的に魅力を感じたことがあり、私はそれを誇張して、わざと注目されるように、同級生を追いかけ回していました。
「気持ち悪い」イコール「面白い」。
かなりの確率で笑いが取れるこの方法に、私はのめりこんでいきました。
ひどいことをしたと思います。
Iくんを始め、追いかけ回されていた人たちにも申し訳ないですし、もしかしたらクラスにいたかもしれないセクシュアルマイノリティの人に、「やっぱり同性愛は気持ち悪いものなんだ」と思わせてしまったであろうことも、申し訳ないです。
そして、Iくんをたぶん本当に好きだった自分自身に対しても、申し訳ないことをしたと思います。

私の生き残り策のふたつめは、真面目を盾にとることです。
勉強を一生懸命していれば、「真面目キャラ」というひとつのキャラクターとして、そこにいることを許容してもらえる、というわけです。
そうは言っても、偽物の真面目さですから、本当にきちんと努力している人たちにはいつも負けていましたが、そのことからは目を背けていました。
私が相手にとったのは、私が羨んでやまなかった「面白い人」たち。
彼らに、真面目キャラとして、勉強を教えました。
尊敬されている。感謝されている。
病みつきでした。

しかし、ふたつの方法をもってしても、どうしても変えられないことがありました。
それは、私が自分のプライドを確保したいがために、私をおびやかす「面白い人」たちを、どうにかして見下してやろうとする気持ちがとめどなく湧いてくることです。
みんながつまらない僕をバカにしている。
いや、みんながバカなんだ。
自分の中にある軽蔑の心を認めたくなくて、いつもニコニコし、親切に振る舞おうとし、しかしそうするほどに、心がどんどんドス黒くなっていきました。
自分のことが嫌いだった私は、周りのことも、大嫌いだったのです。
気づけば、人の悪口ばかり言っていました。
特に「眼球舐め」のYくんと、彼と親しい人たちを目の敵にしていました。
それが隠しきれるはずもなく、ある同級生には「最低の人間」と言われたり、別の人にはブログに「病気」と書かれたりと、人間関係はもうボロボロでした。

生きていたくない。

でも私は、死にませんでした。
高校2年の終わり頃、まだ生きていてもいいんだと思える出来事があったからです。
当時、私はOくんとよく話すようになっていました。
私のボロボロの人間関係とは少し離れた位置に彼がいたために話しやすかったという、とても打算的なきっかけだったと思います。
彼は、文学とダンスを愛する、穏やかで、賢く、飾らない人でした。
私にとっては、彼もまた「面白い人」だったのに、なぜか恐怖や軽蔑が私を押し潰すことはありませんでした。

Oくんは、私にとても親切に接してくれました。
何度も家に遊びに来てくれて、私のつたないギターと歌を辛抱強く聴いてくれました。
ある日、私は彼に、誰にも話したことのない思いをぶちまけました。
「毎日毎日、みんなにどう思われているかを勘ぐって、正解を探してしゃべっているのが辛い。考えすぎて面白いことができない。もっと何も考えずに、思ったままに行動して愛される、純朴な人たちが羨ましい。どうしたらいいのか分からない。」
今思えば、私が思っていることをすべて言えたのは、それまでOくんが私の言うことを、否定せずに聞いてくれていたからだと思います。
彼はゆっくりと、短く、彼自身の考えを言葉にしてくれました。

「まあ、宮下はそっち極めるしかないと思うよ。」

「そっち」とは、もちろん、「考えすぎてしまう生き方」のことです。
もし、「気にするなよ」「考えすぎだよ」などと言われていたら、それができない自分をますます嫌ったり、無理なことを言ってくる相手を責めたりしていたと思います。
彼はそうせず、考えすぎてしまう私を、肯定してくれたのです。

あのあと、自分が何と答えたかは、覚えていません。
ただ全身が、耳の端まで、あたたかさで満たされていったことだけを覚えています。

それで私が抱えている問題が解決したわけではないけれど、実は、解決よりももっと大切なのは、悩んでいる自分に、居場所を与えてあげることだったのだと思います。

Oくん、そして、ここまでに登場したすべての人たち、それから、お読みくださった皆様に感謝します。
ありがとうございました。

・・・さて、そうは言っても、「面白くなろうとあがくこと」と「真面目を盾にとること」の二本柱で生きていくのは、安らかではありません。
次回は、面白さとの戦いに、私が自分なりの折り合いをつけるまでの道のりをお話ししたいと思います。