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2F/当番ノート

はじめての帰宅

当番ノート 第42期

二か月ぶりに日本に帰国すると、あたりは秋になっていた。

パリコレで踊って世界のスーパーモデル達のスーパースタイルに唖然としたり、オランジュリー美術館のモネの絵の前で踊るという長年の夢が叶ったり、スイスのアルプスの山で霧の世界をみたり、イタリアでハチャメチャにおいしいローストビーフを食べたり、とにかくド派手なツアーライフからの帰国。ツアーから帰国して自分の部屋に帰るのはこれが初めてだ。わちゃわちゃとまだ騒がしい旅の思い出がからだから溢れすぎないように、東京らしくして電車に乗っている。

この部屋に引っ越してきたのは、二か月前の八月中旬だった。

数年間旅人ライフをしていた私が、久々に手に入れた、“自分の部屋”。スーツケースひとつをもって“自分の部屋”にやってきた日のよそよそしさといったらない。どこに座っていいいかすらわからなかった。引っ越しの数日後にはツアーに出かけなければならず、出発のために荷物をスーツケースに詰めなおした。私の生活必需品たちは、部屋に散らばっているときよりも、スーツケースの中のいつもの場所に収まっているときの方が安心しているように見えた。

そして私はいま、二か月の時を超えて、自分の部屋に帰ってきたのだ。正直、びびっている。蜘蛛の巣がめちゃくちゃ張っていたらやだな。ゴキブリの死骸だらけになっていたら?変な生き物が住んでいたらどうしよう~!おそる、おそる、ドアを開ける。。ただいまー。。ありゃ?気が抜けるほど普通。いや、むしろ、なんかいい感じ。家主さんに、気が向いたら部屋の換気をしてください、と頼んでいたのがよかったのだろうか?よかった。蜘蛛の巣も、ゴキブリも、変な生き物もいない。スーツケースを開き、服はクローゼットへ、本は本棚へ、ツアーライフの戦友たちをそれぞれの場所へ設置する。オランダで買ったマグカップも無事だった。この部屋にやってきたはじめての食器だ。家主さんに電話をすると「女性の部屋に一人で入るのも気がひけたから、孫についてきてもらって二回だけ換気しといたよー。」とのこと。やさしい。溜まっていた洗濯物を干すとき、その洗濯物を正座してたたむとき、近所のスーパーで調理しなければ食べられない食材を購入するとき、ビールを片手に料理をしているとき、部屋の隅にたまったほこりをとるとき、自分の部屋最高―――――――!!!生活最高―――――――!!と叫ぶ。ツアー生活中はその全てを誰かがやってくれちゃうもんだから、自分でできることが楽しくてしかたない。

 翌朝、朝焼けでもみにいこうと近所の川へ向かった。家から歩いて3分。ぼんやりとピンク色に染まった空の下を、早朝ランナーが走っている。空の色がこんなにも一瞬ごとに変わっていくことが、その光が川に反射してキラキラと輝くことが、真っ暗な街が東の方から少しずつ光に包まれていくことが、そのすべてが心地よい。道の向こうから、おばあちゃん二人おじいちゃん一人のお散歩チームがやってくる。「おはようございます」と声をかけると「おはようございます。もうすぐ太陽が出ますよ」と言ってくれたので、三人と一緒に太陽が上がるのをまつことにした。小さい太陽の粒がピンクの空からあらわれたその瞬間、不覚にもちょっとうるうるきてしまった。うるうるきている私の隣で「今日の朝焼けは地味ね~」と言い放つおばあちゃん。クールだ。「最近引っ越してきたんですけど、こんなにきれいな朝焼けがある場所だとはしりませんでした・・・」という私に、「人生の楽しみがふえたわね。もうすこししたら白鷲もやってくるのよ。」と言ってくれた。あがりかけの太陽に向かって、また歩き出す三人。日課の朝焼け散歩、毎年秋にやってくる白鷲。たしかに、待っていれば美しいものが必ずくると知っていることは、人生を豊かにするよなあ。

世界中を旅して新しい景色や人に出会うことは驚きの連続で、自分がその瞬間に生きていることや瞬間が奇跡の連続であることを意識させてくれるけど、昇る太陽のように、時間が過ぎていくのをただその場所でみつめて待つ喜びもある。

この町で、私も、日常を手にいれることができるだろうか。いまはキラキラと輝いて見えすぎる美しい瞬間たちが、あたりまえの日常になるのだろうか。

いまふとおもったのだけど、私はお花を部屋に飾るのが大好きで、それは花が咲くまでの待つ時間を私に与えてくれるからかもしれないな。

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かきざき まりこ

かきざき まりこ

香川県出身。旅人ダンサー。
音楽を聴いては踊りだしてしまう幼少期。
高校までオリンピックを目指して中国人コーチのもと新体操に没頭。
大学でダンスに出会い雷に打たれるほどの衝撃をうける。
大学卒業後にBATSHEVA舞踊団(イスラエル)入団。
三年間のイスラエル生活後、タフさとラフさをみにつけ、LEV舞踊団に入団。世界中の大劇場をまわり、踊る生活。

最近東京のすみっこに部屋を借りる。
世界の大劇場と東京の小さな部屋がつながっていく日々の記録です。

Reviewed by
松渕さいこ

旅をするとき、私たちはまだ見ぬ美しいものとか、人とか、美味しいものとかに、自ら向かっていくのだと思う。私の場合はほとんど居ても立ってもいられないという感じで、見たいものや会いたい人に向かって勢いよく旅立つ。だから旅のはじまりはいつも能動的だ。私の中に旅立つ理由があって、旅のあいだは出どころがはっきりとしない情熱が私を歩ませてくれる感じがする。

日常はどうだろう。旅に出るときのような積極性と勇ましさは私の体内のどこかへ行ってしまう。自分から何かに出会おうというよりは、できるだけ隅っこに行こうとか、ひとりになれる場所を見つけようとか、そういうことに頭を働かせながら、それが周りにバレないように素早く動くことに体力を使っているんじゃないか。自分の中でのそういう日常が、旅をより魅力的に見せているという面は確かにありそうだ。

かきざき まりこさんは今、もしかしたら旅と日常の境目の感触を確かめているのかもしれない。

人は無自覚に日々起こる同じ(ように見える)こと、日々会える(と思い込んでいる)人を「日常」という窓に入れ込んで、眺めている。まるで何も起こっていないのと同じように。電車で通り過ぎる通勤途中の景色みたいに。

「待っていれば美しいものが必ずくると知っていることは、人生を豊かにするよなあ」と彼女は零す。日が昇り沈むこと、季節の変わり目の気配のこと、天体の変化のこと。私が最近、ちょっとした季節の行事をできるだけ自分でやってみたいなと考えていることとも近いような気がした。

時間の捉え方や、季節の移ろいを自分の感受性を通して理解したいと願うこと。旅のように自分が何かに向かっていなくても、日常のなかでできるだけ無難に過ごそうと小ちゃくなっていなくても、ただ目の前で起こることを「待ってみる」。

あちら側からやってくるものが有り難みに欠けるような気がするのは、きちんと見ていないからなのかもしれない。いつも来るものを初めて見てみたい、そう思った。

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