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2F/当番ノート

美しい景色

第42期(2018年12月-2019年1月)

飛行機の窓から外を眺めると、遠くの遠くまで連なる山々がみえた。山がただただあるだけで、そこに国境という線はみえない。

 数年前、イタリアからドイツに列車で移動したときのことだ。窓の外に広がる清々しい山景色。地球の美しい顔にすっかりみとれてしまった私はのほほん気分で列車に揺られていた。同じ車両には、荷物をたくさん抱えた黒人ママと二人の子供が乗っている。引っ越しでもするのだろうか、スーツケース2つに大きなカバンを3つ、持てるもの全部持ってきたという感じだ。列車の中を走り回って遊ぶ子どもたち。座席に座ればいいのに、どういうわけか、三人はずっと廊下側に立っていた。

 はじめこそ平和な列車旅という感じだったが、しばらくすると駅につくたびに不穏な空気が流れるようになった。どの駅にも警察やテレビ局のカメラマンが立っていて、こちらをじっと見ているのだ。いくつめかの駅に到着したとき、突然、警察が乗り込んできて、乗客の何人かを電車の端に追いやった。端に追いやられて警察に睨まれた乗客たちは、おとなしく警察の言うとおりにしているものの、動物のような尖った気配をまとったままだ。次の駅に着くとぞろぞろと連れ出されてしまった。なにごとかとホームを覗いてみると、アフリカ系と思われる人ばかり15人くらいが警察に囲まれて立っている。男の人が多い。言葉が分からないのか、迷子になった子供みたいな顔をして電車と警察を交互に見ている。さっきまでそのあたりを走っていたはずの幼子2人と大荷物のママの姿はどこにもみえない。ここにきてハッ!(おそい)まさか、これは移民問題というやつ?まさか、自分がその場面に出くわすとは思っていなかったから油断していた。というか、移民問題について知識がなさすぎて想像もしていなかった。

 何人かの乗客が連れ出された後も列車は何事もなかったかのように美しい緑の山々の間をかけていく。さっきまで一緒に列車に乗っていた彼らに、一生に一度の大勝負をしかけていたかもしれない彼らに、この景色は見えていたのだろうか。景色も平等じゃないときがあるのかもしれない。

 目的地に到着して列車を降りると、前方に幼子二人と大荷物のママの姿が見えた。同じ駅だ!ちゃんといたんだ!ママが荷物と子供とでアタフタしていたので、荷物を運ぶのを手伝いにかけよった。エレベーターまで運んであげたら、ありがとうといってくれた。この家族が何者だったかは分からない。ちゃんと切符を買うお金があったのかもしれないし、もしかしたら警察がいる間はうまく隠れていたのかもしれない。でも、彼らが行きたいと思った場所に辿り着いてよかった。当たり前のことのようだけど、誰にとっても当たり前なわけではないから。

 海に行けば、ホームレスの人も海水浴にきている人も同じように海と空を感じられるように、景色は誰にとっても平等だと思っていた。でも、心の平和がなければ、美しい景色も目には入らない。平等なんて言葉は相当白々しいけど、美しい景色をみて一緒に感動できるぐらいの、それくらいの平等がもっと増えてほしいとおもう。

 東京に拠点を持った私が、いま海外に出かけている。自分の帰る場所を知っていることはなんて心強いんだろう。あの時、駅のホームに連れ出された人たちは今どこにいるのだろうか。どこか美しい景色がみえる場所に辿りついていたらいいのに。たいしたことない景色を美しく感じられる場所に辿りついていてほしい。

2019年が1人でも多くの人にとって
美しい景色や美しい瞬間と出会える一年になりますように。

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かきざき まりこ

かきざき まりこ

香川県出身。旅人ダンサー。
音楽を聴いては踊りだしてしまう幼少期。
高校までオリンピックを目指して中国人コーチのもと新体操に没頭。
大学でダンスに出会い雷に打たれるほどの衝撃をうける。
大学卒業後にBATSHEVA舞踊団(イスラエル)入団。
三年間のイスラエル生活後、タフさとラフさをみにつけ、LEV舞踊団に入団。世界中の大劇場をまわり、踊る生活。

最近東京のすみっこに部屋を借りる。
世界の大劇場と東京の小さな部屋がつながっていく日々の記録です。

Reviewed by
松渕さいこ

例えば、目の前に広がる景色が隣の人にはきっと違うように見えているんだろう、と考えたことは何度もあった。ただそれは人と自分とは違っていているという事実を確認しただけにすぎなかったと思う。だから、まりこさんがいう「景色も平等じゃないときがあるのかもしれない」という言葉にはどきっとした。その言葉には、目の前の人の立ち位置を想像するためにひととき立ち止まる、優しさを感じた。

美しい景色が目の前にあるとき、その美しさに見惚れる人もいれば通り過ぎるだけの人もいる。とはいえ、どこか平和ボケしている私はその景色がそれぞれの1日に平等に存在していることを信じて疑わない。同じ街に暮らしているのだから、タイミングこそバラバラだとしても、同じ夕焼けの美しい瞬間をきっとそれぞれ見つけるはずだった。でもその景色が「目に入らない」ひとにとって、景色は心を捉えるものとして存在していないのかもしれない。取り巻く状況次第では景色の存在自体が危ういかもしれないということを、私はまだ十分に知らない。そしてその不平等は、彼女・彼らの責任で起こっているわけではないのだ。

彼女が願った「平等」の意味する何気なさに、つい自分のことばかり祈ってしまう新年の願い事を改めずにいられない。同じように美しいと思う必要はない、ただ同じ景色のなかで、それぞれの美しさを捉えられますように。

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