ふたたび、あたらしい朝を生きることについて 4.º

第44期

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はじめから物語は、第一の友人としていつも傍にあった。

 

わたしがいつ、ことばをことばとして読みほどけるようになったのかは定かではないが、小学校に入学するや否や、渡された国語の教科書をその日のうちに読み終え、あくる年を心待ちにする子供であった。授業中も窓の外をぼんやりと眺めるか、机の引き出しと膝とで隠した図書館の本を読み、読み終えた本は次々とクラスの棚、ランドセルや小物類を入れておく後ろの棚にうず高く積みあげておいたので、参観日にやってきた母に、こんなことをする子はわたししかいないとこっぴどく叱られたものだった。毎週末には地元の図書館に通い、上限一杯の本を抱えて帰路につき、週の半ばにはあらたな物語を探し、学校図書館を彷徨っていた。たびたび、リビングの椅子に腰掛け、祖母から贈られた分厚いアラビアン・ナイトの本を膝に抱え、何時間も、身動ぎもせず、食事も摂らず読みふけったので、おとなたちは心配をふかめた。

あの、みどりいろの薄靄で世界が覆われていた幼年時代に獲得した物語、ある日唐突にはじまる冒険にドラゴン、巻き毛の姉妹たちに異国の喧騒、花や果物の芳しい香を纏い、金銀翡翠の宝石で牙を飾られた象たちの行進はたしかにわたしをかたちどり、何年も経ったのちに、異国へとこの身を飛び立たせる支えとなった。物語はわたしにとって、現実から遠ざかるための手段であり、わたしが生きるこの世界とひとつづきに存在し、肉体のまわりで日々息づいているたしかなもうひとつの世界でもあった。

 

 

ことばを書くこと、それはごく身近な行為であったが、いつの間にか呼吸していることを忘れていたように、わたしは自分自身を表現する術としてことばを見出していなかった。そのため幼年時代、やわらかな青春時代は足早にわたしから去っていってしまった。その間にあたらしい世界の扉は次々と開け放たれていった、けれど受容すること、ただひたすら受け止め続けることでわたしは自らの器に水を注いでいったのだった。

 

 

 

大学二年の春、学舎から遠ざかるのと時期を同じくして、ある一日があり、ある生涯の友人と出会い、彼に導かれるようにして、Twitterで呟きはじめていた日々のことばが韻律を纏うようになり、はなびらのようにわたしと、わたしの記憶とを取り巻き、降りこぼれてゆくようになった。ことばを書くことができるのは器の溢れるときだけだったが、わたしはわたしのことばを得てひどく幸福だった。

 

 

 

 

 

織ることとはじめて出会ったとき、わたしは、わたしのことばを代替するただひとつの手段としてそれを認識した。いつからか、韻律と文字とのあわいを求め、ことばが、物語がわたしの手を離れ、芽吹きはじめたように、わたしの手によって機へと差しだされた杼は織り進めていくうちにどんどんと坂道を上って行ってそのまま、ずっと向こう、浅瀬のある岸辺まで駆けていくようだった。いまや書くことと織ることは互いを補完し、しっくりとくる居場所をみつけたようで、永久機関のようにわたしの内で働きはじめようとしている。

 

思い描いたようなくさはらや海原を織ることがいつもできない。朝を織っていたはずなのに、機の上にはいつしか夕暮が訪れ、そこにはやさしさもかなしみもなく、ただ静かに凪ぎ、糸と糸との間でつくったものが掛かっている。しかし出来上がってみると、見知らぬ、どこか懐かしい景色が機の上に完成しているのだった。

揺さぶられることなしでは、はじまることも、進むこともできない、いつまでも我が儘な、いつまでも幼な児のようなこのこころよ、ねえ、このまま、どこまでいこうか。

 

4.º まだ、名をもたぬ物語がひかって、