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2F/当番ノート

ふたたび、あたらしい朝を生きることについて 8.º

第44期

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Saudadeという葡萄牙語の感情は、不在、あるいは懐かしさにほろ苦さ、ひとひらの甘さをあらわすかたちをしている。

 

わたしにとってのその感情は、食事の記憶とも密接に結びついているように思う。

食べものたちは、血肉となってわたしのたましいに染み込んでしまっていて、プルーストが紅茶に浸してやわらかくして食んだマドレーヌではないけれど、さあ料理をしよう、とメニューを考えはじめたときに限って、かつて食べた味が、そこにいたひとびとの影が、わたしの前を通り過ぎてゆくのだ。往来を横切るように、何気ない顔をしながら。

 

 

毎日、学校帰りにホストマザーの会社に寄って待合室で本を読んだり、学校の宿題をしたり、外を歩くひとびとを眺めたりして過ごした年があった。彼女の仕事のあとは映画館に寄って、チップスを買ってもらい、分けあいながら映画を観ることもあった。チューリップがとてもすきなひとだったので、学校の隣のスーパーでチューリップの花束が安売りになっているのをみつけては手渡し、彼女は嬉しそうにおおきな花瓶に生けていた。わたしが入院したときは、自分の子供でもないのに、毎日欠かさず、仕事終わりに見舞いにきては林檎ジュースをコップに注いでくれた。それから体調を崩すときまって林檎ジュースが飲みたくなるようになった。学校帰り、週に一度くらいはきまって持ち帰りのインドカレーを一緒に買いにいった。退院してしばらくしてからもまた買いにいった。家の蛍光灯に照らされ、チープな容れ物のアルミがひかっていた。ナンはしなしなだったけれど、わすれられない味がした。

 

 

その国では、詩がすきなおじいさんとも喫茶店で仲良くなり、彼が好きな詩を英語で読んでもらい、わたしも日本語ですきな詩を読んできかせた。難しいことはことばにできなかったけれど、砂糖なしで飲む珈琲とチョコチップクッキーの組み合わせが美味しいことは彼に教えてもらった。住んでいる場所が変わって、以前ほどダウンタウンのその店に通えなくなってからも、時々思い出しては立ち寄るようにしていたけれど、図書館に置いてあった谷川俊太郎の詩をぎこちなく英語に訳し、書き直したノートの切れ端を渡したのを最後に、彼とはもう会うことはなかった。

 

 

この生で、束の間交差するあなたがたの、すきだった食べもののことばかりをなんだか、覚えている気がするし、きっとこれからもそうなのだろう。

わたしはわたしで、糸をたぐり寄せるように、開け方を忘れてしまった古い扉の鍵を回すように、そっと卵をかき混ぜたり、高いところから熱々のお茶を注いでみたり、鳥の手羽先を買ってきてクリームで煮こんだりと頭をひねりながら、なつかしい、記憶との追いかけっこを家のキッチンでしていようと思う。

 

 

 

8.º Você é o que você come

遠野 遥

遠野 遥

1991年生。
くさはらと彷徨をあいする。
writer / natural dye and weaving

Reviewed by
もうり ひとみ

最初にどうも料理したらしい記憶は、
兄と妹と留守番をする家の中。
お昼ご飯をどうしようと、袋のラーメンを作り出して、目玉焼きを添えようとしたときのこと。
驚くほど焦がしてしまったのだった。
兄も妹も全くわたしを責めなかったし、食べられるところを探してどうにか口にしたけれど、
二人とも、何がいけなかったのか、わたしと同様わからない。
そのあと、父と母が作る朝ごはんの最中に、フライパンに水を入れて蓋をすることを初めて知った。
いつもかかっている味塩胡椒がどこに仕舞われているのかも。
目玉焼きを少し焦がしてしまうたび、そのときの兄妹の顔を思い出す。


料理こそ、記憶の織り込まれた最たるものだとずっと思っている。
味も匂いも、その人が食べてきたものとことの経験からしか生み出されない。
毎日何度もそれが必要とされる生活の中で、冷凍食品や出来合いのものがだめだよ
なんて言う気はひとかけらもないし、
例えばそれだって、「美味しい」と思い選ぶ理由が記憶のどこかに存在する。


「美味しい」は、過去の思い出せないほど細かな記憶のどこかから、やってきて
またそれが、今日全く今の瞬間の自分の身体や体調に左右されて、
難しい計算なく、ぽんと手のひらに生まれる。
誰かと比較する必要もないし、わけあっても分け合わなくても構わない。
奇跡のような体験だ。


台所に立って、思い出せない誰かの癖や、覚えていない誰かの注意を、ところどころ纏わせて
これから食べるものを作る。
そしてそれを口にする。
誰かにまた、記憶と共にその味を手渡す。
生きている間ずっと続く、ものを口にする行為。
誰かの、すきだった食べ物のことばかりを覚えているのは、きっとそうして、受け取ってきたからだろう。
どうしたってひとりになれない。
受け取って、織り上げて、また誰かに手渡して、
そう言う繰り返しが惜しげも無くそこかしこで。
知らない家の換気扇から懐かしいカレーの匂いがして、
日常と呼ばれるあちこちにあるそう言うもののことを思うたび、
うれしいとか、とてつもないとか、うまく言えない気持ちになって
わたしは胸がきゅうとするのです。

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