20191004

第47期

人はみんな、何かしらの生きづらさを抱えているのだと思う。

僕は、性同一性障害で、女性として生まれたけれど、男性として生きている。

僕は、発達障害で、不注意やこだわりがたくさんある。

僕は、解離性同一性障害(多重人格性障害)で、記憶が飛ぶことがある。

ずらっと並べてみれば、僕は生きづらさの塊を抱えている気がする。
確かに今まで何度も、世の中に絶望して生きるのを止めたくなったことがあった。
生きづらさが、鉛のように重くのしかかっていたのだ。

世の中は、粘度を持った沼のようだと感じることがある。
もがいても足掻いても抜け出せなかったり、沈み込んでいくように負のループに嵌ってしまうことがある。
ようやく顔を出して息を吸えたころには、体力を消耗しきっているせいで、また潜り込んでしまう。

そんなことに気づいたとき、手元にある生きづらさが、浮き袋になればいいのにと、考えるようになった。
抱きしめているだけで、沼から浮かべるような、そんな救世主になれやしないか。
本当は浮き袋なんかではなくて、それは砂が入った袋で、たいそう重いのかもしれないけど
それが浮力によって軽くなるように、自分の手で空気を入れたなら、生きていく上での味方になるのではないか。
ぼんやりと生きている僕は、そんなことを思っている。

アパートメントの話が舞い込んだとき、僕は飛び上がりそうになった。
ずっとアパートメントに住んでみたくて、クラウドファンディングにもノリノリで参加しちゃって、どの方もその言葉の紡ぎ方が繊細で
そこにいる住人の皆さんは、僕にとっての憧れだった。

僕の文章で伝えたいのは、生きづらさを浮き袋にすることだ。
砂が詰まって重りになって、沼のような世の中を、生きづらさを抱えながら沈んでしまうのではなくて
ほんの少しの空気で、浮き袋になってくれやしないかと、そんな小さな希望を持っている。
読んでくれた人が、また明日も生きてみよう、そう思ってくれることを願っている。

これから2ヶ月間、僕は短期滞在者として、読んでくれる人が見ている沼の色を
少しでも透明に出来たらと思っている。

お世話になります。よろしくお願い致します。