満開を少しすぎた4月13日 はるえちゃんへ

管理人室の往復書簡


4月のあたまに大阪に行ったのだけれどね、西へ進むたびにさくらが咲いてゆくの。
東京に帰ってきたら待っていてくれたみたいにわっとひらき始めて、10日あたりが満開だったのじゃないかな。
日に日に枝にみどりが見えて、重たそうだった花の房が痩せはじめているけれど、まだ風にちぎられずにとどまっている。
今日は雨が降っていたのだけれど、車のライトに雨よりも白くて大きくてゆっくり落ちるものが照らされた時、瞬間、雪かなと思った。でももちろん雪じゃなくて、皮膚は冬じゃないと知っているのにな、と可笑しくなった。

ソメイヨシノは種ができないんだよね。
今植わっているソメイヨシノは何本かの樹から繁殖させたものだから、花が咲く次期も同じだし、そして寿命も同じくらいらしい。昔はもっとさくらって桃色が強い気がするんだけど年をとってきたのかな。
ソメイヨシノって第二次世界大戦のあとの荒れ野にたくさん植えられたんだって。
若いうちから花をつけるから、もしかしたらまだ建物とかが完全に復興する前に細い枝にぷつぷつと芽吹いて、ああ、春だね、って話しをしたのかもしれない。

時々道端に桜の樹なんだけどサクランボみたいのがなっていることがあって、あれはだからソメイヨシノじゃないんだね。
いつだったか竹橋の近くで実を食べてみたら美味しくなかったし、一緒にいた友だちに動物か、ってつっこまれた。

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夢をよくみてた。
一日に3本くらいの夢をみることはざらだった。
夢のなかだけの町があったな。実際地図を作ってみたこともある。
わたしの夢には現実にはいないひとがよく出てくる。だから夢から醒めるとそのひとがいないことがとても不思議で、すこしかなしかった。
あの町も、ひとも、咲いている花も、閉じ込められた世界のなかだけで息をしていると思うととても手の届かないことが自分のあたまの中にはあるのだなと思う。
はるえちゃんの夢には色がついている?
私の夢には色がなかったことがない(と思っている)。だから白黒の夢をみるひとが多いと聞いたときすごく驚いた。
夢でしかみたことのない色があるよ。
夢でしか経験したことのない思いもある。
友だちで、ちょっと不思議なひとなんだけど、そのひとは夢の中で英語とフランス語を話せるようになったんだって話してくれた。
夢はどこか遠くから訪れるものではなくてきっとそのひとの触れたものから生まれるものなんじゃないかと私は思っていて、だからそのひとがまったくそういう語学の素養がなかったわけではないのではないかと今は思うけれど、毎晩代わるがわる色んなひとが先生として現れたんだって。
そのひとは実際にも、たまたま遊びに行った家がベジャール(有名なバレエの振付家)だったり、たまたまマザー・テレサに逢ったりしたらしいから、まあやっぱり不思議なひとだったんだろう。

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そうだ、さくらの若木で思い出したんだけど、少し前に友だちが折れた枝を見つけてうちに持ってきてくれたの。
それをコロナの壜に挿していたらぐんぐん葉芽がひらいて、そして今日花のつぼみが、薄い膜を破って出てきた。
それではじめて正体がわかったのだけれど、木蓮だったんだ。
栄養といえば水とその葉っぱからの養分だけなのにぐっと瑞々しく鮮やかな赤むらさきで、植物はなんて着実なんだろう、って思った。
着実って変だね、なんて言えばいいんだろう、ちゃんと遂行しようとする、というか。
うまく言えないけど。
必要なものさえあればまっとうするのだな、というようなことかな。

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5月に逢えるね。
その頃なんの花が咲いてるだろう。
はるえちゃんが来る日に、いい香りの花をどこかでみつけたら、コップに挿しておくことにしよう。