2/13 にんにくからはじまる手紙、はるえちゃんへ

管理人室の往復書簡

お手紙出すの遅れちゃってごめんね。
お手紙って、書いても切手を貼って出すまでに時間がかかってしまっていつのまにか時代遅れの内容になって結局出さない、みたいなことがよくある。
住所を書いて切手を貼ってからお手紙を書けばいいんだよなあと思うんだけどね、なかなか。

はるえちゃんのにんにくの手のこと考えてたら今日のまみさんのコラムもにんにくの良い香り、それから読み返した杉山さんもまみさんちのにんにくのこと書いてた。
私もにんにくのいい香りのショートパスタをお昼に食べたよ。
にんにくって手につくよね、かおりが。
いつまでも爪に味までついてる。
そういうの、嫌いじゃないけど。

メアリーアンドマックスをYouTubeでちょっと見てみた。
すごく、続きというか詳細が気になる・・
私はね、クレイアニメすごく好きなの。いつか誰かと作れたらいいのにな、と考えたことがあるくらいに。
昔タルピーっていうアニメがあって作家を調べたら湯崎夫沙子さんってひとで、そのひとのドキュメンタリみたいの探して見たことある。
母もそういうの作ってみたい欲があるらしくて、ふたりで見てちょっと興奮したのを覚えてるなあ。
(今タルピーをYouTubeで調べてみたけど、ないね。はるえちゃんに見てみてほしかったのに。)

お手紙って返事がくるまで一方通行だよね。
その時差がちょっと切なくて、好きかもしれない。
あ、そう考えるとフィルム写真はお手紙だなあ。
デジカメはメールかもしれない。
送れてなかったらもう一回フォルダから拾い出して再送すればいい、ようなところも。
だからってアナログがいいなあなんてことじゃないけれどね、何でも、受け取る自分のなかでどんなかたちになるか、のような気がするから。

 
草野心平さんは国語の教科書か何かに出てきてお名前は知っていたけれど実はそんなに詩などをしらないの。
今ちょっとウィキで見てみたら世界を受け取る方法がもしかしたらすきかもしれないなあと思ったよ。
でもはるえちゃんが紹介してくれる詩を先に知りたくなかったから、あまり調べないでおいた。
それにしたって岩手に行こうとして新潟にいっちゃったってどういうことなの。大宮方面に乗ろうとして大船方面に乗っちゃった京浜東北線とはわけが違うよねえ。(東京のひとしか分からないネタでしかもそんな失敗何度もしてるのは私だけかもしれなくてゴメン)
宮沢賢治にやっぱり会っておきたかった、って思っただろうか、ね。
 
 
そういえば今写真展をしているんだけど、昨日パーティにアパートの住人でもあるイワオアキフミさん来てくれたんだよ。
お世話になっているのがタナカトシノリさんのギャラリーだし、一緒に写真展してるのが建設から修理までなんでもこいの良太くんだから、アパートの住人4人が集合したわけです。
杉山さんもくるかなーと思ったけど、残念ながらお会いできなかった。
イワオさん赤ワイン好きみたいだったから、今度飲みに誘ってみよか。

 
 
“「名前のあるもの」に音の響きから新しい命を吹き込んだ”っていう草野心平さんの話から思い出したんだけど、やっぱり名前ってそのものの姿かたちからもちろん生まれたんだなあと実感することがある。
名前も、ことばも、その表したいものを見た人間がなんとかそれを誰かと共有したくて、もしくはそのものを記憶か時間かその場所に留めておくために生まれている。
当たり前のことなんだけど、私たちは生まれた時からもうすでに周りに言葉があって名付けられたものにとりまかれている。
だから名前が生まれた時のその当たり前の順番と逆の順番で、つまり名前からものに辿り着くことが多くて、ついそういう最初のことを忘れてしまう。
名前のないものになまえを見出すことって、とても特別ないのちの繋がりだよね。
ときどき、知らない花の名前を勝手につぶやいてみることがある。
名づけは、魔法。
ゲド戦記みたい。
 
 
今ギャラリーでこれを書いているんだ。
夢中になりすぎて自分の部屋みたいになってた。
ふふ。

またお便りするね。    かおり