2/23 厚みと足りないこと、はるえちゃんへ

管理人室の往復書簡

東京は昨夜から朝にかけてざあざあ降りだった。
こんな雨は久しぶりで気持ちがよかった。
雨の音に包まれて眠るのしあわせ。

フィルムの写真が私も好きだよ。
フィルムカメラとデジタルカメラ、何がその間に差としてあるのか全然わからないのね、よくそういうことを考えるんだけどやっぱりフィルムの何に惹かれてデジタルの何が物足りないのかわからない。でもたしかに違う。撮っているときの興味も違うし出来上がったときのなんだかいいな、の回数も違う。
そこには「厚み」の差があるんじゃないかなあというのが今の漠然とした答えなんだけど・・。
実際の塗りの厚み、重なった厚み、みたいな感じ。
どっちも平面なんだけどなんだろうね、絵としての、色としての重たさを感じるような。
これは絵画に関しても言えることなんだけど、なにかしらこの「厚み」を感じる絵がわたしは好きみたい。
絵の場合は実際に絵の具が分厚くのるということもあり得るけれどここで感じている厚みはそういうことでもなくて・・なんだろうね。
もしかしたら写真の場合は選ばれずに開いた眼のなかのものをすべて写しとってる感じが、そこに繋がるのかもしれない。
もしかしたら不完全さのようなことに似ているのかもしれない。
だけどまだこの厚みというものの正体は自分でもわからないや。
こんなふうに何も説明できずにいるよ、まだ。

タルコフスキーが好きというのも全然説明できないな。
絵としての美しさはなんだか完璧というか、至高の感じがする。(わたしにとって、ね)
フェリーニのような美しさの完成度ににやっとしちゃうような、そういう隙すら与えないような。
でもそれを凌駕するような足りなさのようなものが溢れていてね、途方もない。
足りないこととあまりにも満ちていることは等しいんじゃないかしら。

はるえちゃんの教えてくれたごびらっぷの詩を好きだ、っていう友だちがいるよ。
つぶやいてみたら、この詩がとても好きですって。
世界との絆が名前だとしたら、祈りのようなものにも似ているのかなと思った。
考えたら、祈りと呪いは親戚だものね。

 
もしかしてはるえちゃんと会える日まであとちょっとだ!
話そうね。