7/21 遠さのこと はるえちゃんへ

管理人室の往復書簡

はるえちゃん。

ずいぶん長いことここに何かを書くことができなかった。
はるえちゃんが見て伝えてくれたことに対して自分が何を言えるのか長いこと、うんと迷った。
愕然とただ凝視するほかに、どんなことを言えるのだろう、と。

震災からしばらく、会社に行けずにほとんど眠らずにインターネットを見ていた。
どんな情報が得たかったのか今となっては分からないけれど、何かヒントが欲しかったのだと思う。
このことをどう捉えたらいいのか、何を考えたらいいのか、何ができるのか、これから何が起きるのか、ひとびとが何を考えてるのか、自分のこころの動きがいったいどういうものなのか。
はるえちゃんが送ってくれた写真を見て、私はあれからあるものには近づき、あるものからは遠のいたのかもしれないな、ということを考えた。
それはことの大きさに対してあまりにも不釣り合いだと感じた。
ずれのこちら側で、からっぽの部分に投入しなかった時間を抱えたまま、あの圧倒に対してなにを言えるのだろう、と。

あれから1ヶ月も経ったねとか3ヶ月だねとか、半年だとか前はよく話題にしたものだけれど今は数えなくなった。
今でも数えざるを得ないひともいるかもしれない。最初から数えることなどできないひともいるかもしれない。
でもわたしの認識するわたしのまわりでは、何かを避けたまま忘れて、毎日は進んでいるように見える。
忘れられることはある意味では、悪いことではないとも思う。
立場も経験も流れる時間も多様でこそ、動かせる手があるのは確かだから。

首相官邸前のデモに加わってみた日があった。
これからの日本・世界が原子力発電とどう付き合ってゆくにせよ、検証も不十分なまま、多くの意見が片道通行のまま再稼働を強行に進めるやりかたには我慢がならない、と思ったから。
たくさんのひとがいたよ。
妊娠している女性や中学生や農家の方がマイクに向かって話していた。
沿道は半分ひとで塞がって、会社帰りのひともぱらぱらと加わった。
掲げる紙をたくさんコピーして配っている方がいて、でも私はそれは受け取らなかった。
となりにいた奥さんが小さな旗を貸してくれたのは思わず受け取ってしまったけど。
私が声も出せずに前を見つめていたことを、恥ずかしがっていると思ったのかもしれない。

結果、その時はもやもやして帰ってきた。
あの人数が集まってその声が聞かれないとしたら、対話したい相手が応えてくれなかったとしたらこの表明の先には何があるんだろう。
エネルギーはどこに着地することもできないという気がした。
その時はね。
参加しながらにそんなふうに感じるなんて。
何に対して怒ったり悲しんだりしたらいいのか分からなかった。
それを分からせてくれることをデモに望んでいたわけではない、もちろん。
でも、じんと手が痺れた。
もやもやしたけど、無駄だとは思わなかった。

デモは毎週繰り返されていて、きっとだいぶ様相も変わっている。
もやもやするけど、無駄だとは思わない。

アパートメントではるえちゃんやあさみさん、畠山さんが語ってくれることを読む都度に、遠くに来てしまった自分ながらに果たせる・果たしたいことは何かを考える。
震災が鋭い爪みたいに引っ掛けてわたしの底から釣り上げてきたもの。
わたしがわたしとして、今接している世界(ひと)のなかで生きるってどういうことか。
大きな声で多くのひとに何かを言うというよりも、もしかしたら私ができることは、長い時間をかけて滾々とみなぎらせる類のことかもしれない。
震災のあとに自分のなかに見つけた、そしてたくさんのひともそれぞれが見つけたであろう、そのひとだけが持つ生きることの根のようなものに関わること。
じぶんのなかではとても確かで一貫しているのだけれど、そこへのアプローチの可能性がたくさんある気がして、漠然と行き道に雲がかかっている。
ただの祈りで終わらせたくないということもはっきりしている。
きっとかたちにする。

 
はるえちゃん、書いてくれてありがとう。
隣にいるはるえちゃんが私に手渡してくれたことを、わたしはまず持っていようと思う。
そしてからっぽからなにが生めるのか、見続ける。