窓をせっせとみがきながら

管理人の部屋

アパートメント、と聞いて最初に思い浮かんだのは、マンガ『めぞん一刻』のオンボロアパート「一刻館」だ。知ってますか、『めぞん一刻』。高橋留美子の名作ラブコメディです。知らない人は、買いに行こう。そんなこと書いてると自分もまた読みたくなってきて記事が進まないので一旦置いとくが、ここの「アパートメント」もなかなかに愉快なところだ。

管理人の一人、パリの踊り子・朝弘佳央理は、「一刻館」の管理人・音無響子さんに負けず劣らず、いやそれ以上の天然おっちょこちょいである。好物は焼き芋としるこサンド。某住人いわく「心に短パン履いてる」。もう一人の管理人、森山良太は職業:音楽家/プログラマ/料理人/写真家という一人なんでもDIY男である。「アパートメント」のウェブ周りは彼がほぼ一手に引き受けており、表側に出てこないような壁の裏、地面の下の仕組みを地道に整える日々。住人何名かと連れ立って遊びに行くときには車を出してくれたり、自宅で旨いメシを振る舞ってくれるので、怠け者の僕はおんぶにだっこである。
 
 
「アパートメント」に身を寄せてくれる住人たちも、「一刻館」の住人に負けず劣らず個性が濃い面々だ。ただ、大きな違いが3つほどある。1つは入居者数。2ヶ月スパンで新しいメンバーが7人+α入ってくるのだが、ウェブ上の集合住宅であるため理論上はまだまだいくらでもスペースがある。このウェブマガジンが始まったのは2011年のことだが、4年ほど経った2015年7月現在で160名を超えている。どんどん増えるよ。

2つめは、一人ひとりが、何かしらの「表現」をしようと入居してくること。そのため、普通のアパート以上に部屋の用途が自由であり、かつ原状復旧は不要としている。ライブペインティングで壁中絵の具でベトベトにしたって、部屋の中で魚をかっさばいたって、大声で紙芝居を読み叫んだってOKだ。ただしその様子は他の人が覗き見できるように公開される。

3つめは、暮らしと地域の多様性。「アパートメント」の”住人”とはいえ、年がら年中ここに滞在してもらっているわけではなく、皆さんそれぞれ本拠とする住まいや活動場所がある。日本国内どころか世界各地に住人さんが散らばっており、偶然そちらに行く用事があれば直接お会いすることもある。東京以外で、僕が今まで会いに行ったのは、いわき、大阪、男木島、茨城、ニューヨーク、ロンドンあたりか。お世話になりました。
 
 
さて、翻って自分のことでも話そうかと思ったけれど、取り立てて書くことがない。僕には趣味がない。何かを追求する、という根性が備わっていないもので、人と話したり、たまに文を書いたりしながらヘラヘラと生きている。そんな自分が、ひょんなことからここの管理人を務めることになった。「管理人」といっても、取り立てるのは家賃ではなく原稿である。締切はあるが、基本的には自由に好き勝手書いてもらっていて、僕の方はむしろ、毎度みんなが織りなす物語や作品を楽しませてもらっているぐらいの気楽な稼業である(稼いでない)。
 
 
apart: 離れて
 
 
僕が「アパートメント」のことを知ったのは、2年以上前、偶然Twitterのリツイートで流れてきた記事がきっかけだった。その時にふと辞書を引いた覚えがある。

誰もが別々の人生を生きていて、それぞれが違った体感重力の中で暮らしている。「他人」が関与できる余地、というのは思った以上に小さいようだ。作品づくりの「産みの苦しみ」については言わずもがな、日々の暮らしの大変なことごとに関しても、結局はそれぞれが自分で解決していくしかない。

当時は大学院留学でニューヨークに渡って間もない頃、寒い冬だった。私的なトラブルがあった上、慣れない異国の暮らし、なおかつ留学のために借金も抱え…と、とにかく日々に余裕がなくて、その後の人生にも不安が先立つばかりで、そんな折に日本のどこかで営まれているこの集合住宅に書かれたテキストは自分の琴線に響いたらしい。朝から晩まで授業と自習で大学院にこもったあと、家に帰っては貪るように過去の記事を読んでいた。

しまいには、自分も何かが書きたいと言って管理人にメールを送った。それから実際に書くことになったのは、少し空けての春、2013年の4月のこと。やはり当時も大変な時期ではあったのだけど、なんとかどん底からは這い上がりつつあり、ちょっと前に進めるかなというタイミングだった。

このことは僕の極めて個的なエピソードであり、当時書いた”処女作”も、今読み返せば恥ずかしいものだが、当時の僕にとっては、一歩前に踏み出すための足場、いや、手をひっかけてしがみつくでっぱり、のような、小さいけれど逃しがたい機会だったと思う。
 
「管理人」になったのは、そこからもう少し時間が経って、日本に帰ってきた2014年のこと。1年と数ヶ月が経過して、久しぶりにここで筆をとるいま、いったい何が言えるだろうか。ここまでつらつらと書きながらも、なんだろうなぁと唸っている。
 
 
おそらくこの小さなアパートは、別に人を救ったりはしないし、何か社会の課題を解決することもない。
だったらどうして続けるか。

ひとつ思うのは、別々の人生を歩みながらも、ヒトは誰かと繋がりたい生き物なのだ。
自分の内奥から言葉を引っ張りだすことは、時に痛くて重たい作業であるけれど。
伝えたい思いがあるのなら、そのための「表現」の扉は誰にでも開かれていて良いと思う。

ここに住まう人が自由にのびのびと表現できるように。
ここを訪ねた人が自由に感じて味わうことができるように。

今日も「管理人」は、窓をせっせとみがくのです。