できる、とは

長期滞在者

僕がリーダーになってから一年が経つ。この人員で理想のケアを実現するとなれば、全員が全員〝介護を理解したうえで臨機応変に要領よく動けてチャレンジ精神やら家政力やらとにかく色んな能力に富み優しく心身ともに健康なスタッフであること〟が条件になるほど人手が不足している。日課を組むのも一苦労だ。
そうした状況のなか、とりわけこの仕事に向いてなさそうな下野さんが入社してきた。
彼は三八歳、独身。実家住まいで、就職歴なし。人と関わるのが嫌で今までは引越し屋さんや倉庫内の肉体労働などのアルバイトを転々としてきたのだという。今になってなぜこの職種を選んだのか動機を尋ねてみたときの「感謝されるような仕事をしたかったから、、」と答えるかぼそい声に〝グループホームって憎まれることはあっても感謝されることってほとんどないけど、大丈夫ですか?〟と心配せずにはいられなかった。

さて、僕は指導する立場にあるのだけども仕事を教えるのがあまり得意ではない。それは感覚に頼ったケアをしているからだと自覚している。ドアの開け方や足音で誰だかわかるといったようなことにはじまり、危険予測能力・危険回避能力、さらには〝寄り添う〟という行為への価値観みたいなものは教わってどうこうなるものでもないように思えた。
そうは言っても、放っておいて皆んなが皆んな自然とケアできるようになるわけもなく、ある程度、型にはめて仕事を覚えてもらうことになる。下野さんの場合、不穏対応やフロアの仕切り、調理などは当分見合わせ、食事介助・入浴介助・排泄介助のうち、まずは食事介助をやってもらうことにした。

一口に食事介助といっても様々で、もちろん拒否もある。食べ物を認識していても食事を拒む場合は、虫歯、口内炎、便秘、発熱などの体調不良なんてこともあるし、うつや抑うつの可能性もある。もちろんただお腹が空いていないだけかもしれない。とにかくそういったことを自ら伝えることができず〝食事拒否〟として現れるのだ。他にも、ダイエットや自分の病気(例えば糖尿病など)を間違って理解してしまったために〝なにも食べない〟という自己管理方法になってしまう方もいる。
先ほど〝食べ物を認識していても〟と書いたが、認知症が進むと食べ物を食べ物として理解できなくなったり、食べ方を忘れてしまうこともある。そういうときには食べやすい形態のものを用意したり、馴染み深い料理にしたり、食べ物だとわかってもらうために一緒に食事したりと様々な工夫を凝らす。そのとき、わからないことを周りに知られたくないという思いから〝食欲がない〟と箸をつけなかったり怒り出してしまう場合もあり、なかなか一筋縄ではいかないことも多い。
また、嚥下機能の低下により食べられなくなることもある。飲み込むための神経が上手く伝わらなくなったり、舌や喉の筋肉が正常に動かなくなってしまい、本人が食べたくても食べられないということが起こるのだ。

下野さんはそういったことを読み解くのが極度に苦手のようだった。なので、数ヶ月経っても辛うじて任せられるのは簡単な仕事のみ。それは他のスタッフに負担がかかってしまうということであり、当然そのことによって周りとの関係に溝ができ、彼にとって居心地の悪い職場環境になってしまっていた。

そんなある日のこと。堀さんというおばあちゃんの入浴介助(基本見守り)をしている下野さんのもとに教育係の永井さんが声を荒げて詰め寄った。
「ちょっと!道子さんのオムツ交換途中じゃないですか!なんでほったらかしにするんですか!」
慌てた下野さんは、今度は堀さんをそのままにし道子さんの居室へ走っていってしまった。(危ないから走ってはいけないことを何度も伝えてあるのだけど、彼は走ってしまう。)さらに腹を立てた永井さんは
「そちらはもうやりました!ていうか、堀さんはどうするの!?」と叫んだ。「もう、、堀さんごめんなさいね。」
「いいのよ。彼、慣れてないんでしょ?」と、柔らかい声の堀さん。
「慣れてないって言っても、もう半年は働いてるんだけどね。」
「私は大丈夫よ。」
そこへ下野さんが戻ってくる。
「す、すいません。」
「謝るべきは私じゃなくて堀さんでしょ!」
「あぁ、、すいません。」
「私は大丈夫よ。」
「じゃ二十分には散歩いけるように準備しといておいて下さいね。」
「散歩って二十分からですか?」
「そうです!もういい加減日課覚えて下さい!」
利用者さまの前でスタッフ間のこんなやりとりをお披露目するのはあまり褒められたことではないけども、永井さんがカッとなってしまうのも仕方ないと思えるほど、下野さんは簡単な仕事を繰り返しミスり、頼まれた仕事を繰り返し忘れ、注意されても毎度狼狽えるだけだった。

その日、夜勤は僕だった。就寝ケアがひと段落し〝さあ、記録でもつけるか〟と腰掛けようとしたとき、堀さんの部屋の鈴が鳴った。
彼女は、車椅子で生活をしている。変形性膝関節症の痛みを和らげるため、週に一度ヒアルロン酸の関節内注射を膝に打っていた。認知症はほとんどみられず、身体は小さくとても上品な笑顔をつくる。そして、夜になると「寂しいから少し話をしたい。」と鈴を鳴らすことがよくあった。
居室に籠るわけにはいかないので車椅子に移乗しフロアで少し世間話をした。義歯の入っていないその顔はいつもよりもクシャっとしていて、よりおばあちゃんらしさが増し可愛らしかった。
すると堀さんが「今日ね、、あのオドオドした人、名前忘れちゃったわ、、誰だっけ?」と尋ねてきた。「オドオド?えー下野さんですか?背の高い、、」と答えると「そうそう!お風呂入ってるときにね、彼とすっかり話し込んじゃったのよ。」と声を弾ませた。おしゃべり下手な下野さんがきちんとコミュニケーションをとっているのだということ自体小さな驚きだったのだけど、話を聞き進めていくと更にびっくりした。下野さんは教育係の永井さんに叱られたことを皮切りに、この職場でうまくいってないことを涙ながらに嘆いていたというのだ。
僕は「話を聞いてくれてありがとうございます。また励ましてやってくださいね。」と口では言いながらも〝利用者さまにそんな話をするなんて!明日、下野さんに注意しなければ!〟と思った。

が、なにか引っかかる。堀さんが眠りについたあとも、夜勤中、僕は悶々としていた。
やがて空がオレンジ色に染まってゆく。鳥の囀りが聞こえてくる少し前。おじいちゃんおばあちゃんたちはぐっすりと眠っていて、辺りは音もなくとても静かだ。僕はこのひとときが好きだったりする。

下野さんは怒ったおじいちゃんをなだめることもできず、徘徊するおばあちゃんを落ち着かせることもできず、入浴拒否や食事拒否の利用者さまを常に不穏に陥れる。まるで彼がいるところに混沌が生まれるようだった。僕はその全てを滞りなくこなすことができる。でも、堀さんのあんな嬉しそうな顔を今までみたことはなかった。
〝お話し相手になってあげていた〟のではなく、純粋に愚痴り、嘆き、癒しを求めていた下野さん。堀さんはそんな彼を慰めながら、結果的に、役に立っていること、求められていることを実感しているようだった。それは下野さんにしかできない堀さんへの支援だった。

僕が〝できる〟ことは、おじいちゃんおばあちゃんにとって必ずしも〝できてほしい最重要事項〟ではないのかもしれない。
一日がはじまりそうな空を眺めながらそんなふうに思った。

何かをしてあげて感謝されるのではなく、何もしてあげられないことから感謝されるきっかけを得た下野さんは不器用ながら、今日もせっせと働いている。