わたし、とは

長期滞在者

2005年6月2日
教員時代の仲間と登山する。昔のように悠々と登ることはできないから、山登りというよりも山歩きといったところか。定年後も時折顔を合わせては釣りや食事会などしているが、さすがに皆歳をとり集まる回数は減ってきた。

2005年6月21日
家内が高カルシウム血症という病気で入院。数値が戻りしだい退院できるとのこと。

2005年6月22日
お見舞いに行く。病室を忘れてしまい受付に戻ろうとするがその場所も分からず。近くにいた看護婦さんに案内してもらう。家内は元気そうで安心した。

2005年6月24日
慣れない看病で疲れたか?久々に風邪を引いてしまった。土日は娘が泊まりにきて世話をしてくれる予定。助かる。

2005年6月28日
風邪がなかなか治らない。鼻水が止まったかと思えば熱が出て熱が下がると咳が出はじめる。

2005年7月6日
知人の告別式だったのだが、友人が迎えに来てはじめて亡くなったことを知る。慌てて準備をして出発、事なきを得た。友人は一昨日電話で私と待ち合わせの約束を交わしたというが身に覚えがない。家に戻りカレンダーを確認すると私の筆跡で予定が書いてある。

2005年7月9日
先日のことが気になり娘に相談する。それはおかしいということになり、精神科を受診。医者はCTの結果を我々にみせながら「脳に萎縮がみられます」「アルツハイマー型認知症です」と告知。突然のことで私も娘も言葉がでない。

2005年7月10日
医者は私がこれからどういう道を辿るかを淡々と説明し、防ぎようがないのだという言葉で締めくくった。突き放されたような気分。改善の余地は?予防策は?せめて「一緒に頑張りましょう」のような言葉が欲しかった。娘は早期発見が重要だなんてしたり顔で言っていたが、私からしたら早々に絶望させられただけだ。

2005年7月10日
悪い夢であってほしい。

2005年7月11日
娘が薬を飲めとうるさい。私が「まだしっかりしている」と服薬を渋ると烈火のごとく金切り声をあげる。味噌汁を焦がしたことや、眼鏡や鍵をなくしたこと、同じ話を何度もすることを例にあげ「しっかりしてると思ってるのは自分だけだ」と罵られた。大人気なく私も怒ってしまった。情けない。

2005年7月12日
頭がぼんやりとしていてうまく働かない。呆けのせいではなく、これからのことを思うと自然と考えがまとまらなくなる。家内が気の毒だ。

2005年7月13日
家内に私が認知症であることを告げた。彼女は「そう」とだけ答え、私は気まずくなって逃げるように病室を出た。

2005年7月15日
昨日、家内が無事退院した。娘が言うには、家内も私も介護認定なるものを受けなくてはならないらしい。ケアマネージャーという女性が家にやってきて、小一時間ほど質問攻め。私が答える前に娘があれこれ答えてしまう。私のことで随分ストレスが溜まっているようだ。

2005年7月23日
認知症について調べてみるために家内と近所の図書館へ。行ってみると多くの本が出版されていて、わかりやすそうな本を数冊手にとって熟読する。どの本にも大変な苦労の末、6年から10年で全介護状態になると記されている。介護者のやつれた挿絵や、呆け老人の挿絵をみて「こんなふうになるのか」と、気分がひどく落ち込む。

2005年7月24日
昨日読んだ本の内容が気になって眠れず。認知症になると妻に暴力をふるうことがあるのだという。私は家内に手をあげたことは一度もない。これからもそうでありたいと切に願う。

2005年8月15日
教員時代の仲間と会う。認知症であることを秘密にしていることが後ろめたい。

2005年9月6日
ケアマネージャーがデイサービスに通ってみたらどうかと勧めてくるが気乗りしない。「家内も一緒に?」と尋ねたら、彼女は介護が必要ないと診断されたとのこと。「そんなところに行って気を使うのは面倒だ」「気心知れた仲間がいる」「私には必要ない」と、断った。

2005年9月11日
先日は「仲間がいる」といきがってみせたが、正直なところ最近は会うことが怖く思える時がある。話していても私は会話を忘れてしまうから「この前はこうだった」「あれはどうなった?」その返答に困ってしまう。適当な相槌を打って誤魔化すのだけどそれも申し訳ないし、疲れる。「さっき言ったじゃないか」という視線もまた苦痛であり、認知症がバレるのではないかと不安も募る。自ずと口を開くことがなくなり「元気がない」と心配をさせる始末。

2005年9月19日
雑記は昔からの習慣なので続けているが、近頃は目も疲れるし、言葉が出てくるまで時間がかかるようになってしまった。

2005年9月26日
家内は退院してからすっかり元気だ。昔から元気な女だった。私とは違い成績優秀スポーツ万能。実力も人気も私より彼女の方が上であったにもかかわらず、私が級長で彼女が副級長だった。あの時代、女は副級長までしかなることができなかった。家内は当時の不満を今でも時折こぼすことがある。負けん気の強い女だ。

2005年9月30日
有酸素運動、軽い筋力トレーニング、血圧管理、記憶力のトレーニング。家内が私をこれ以上呆けさせないようにと調べてくれた予防策。散歩に誘ってくれたり、食事にも気を遣ってくれている。クイズ番組の録画を一緒にみたりもしているが効果はいかに?とにかく家内はよくしてくれる。その期待に応えたい。

2005年10月14日
庭の垣根の手入れ中に腰を痛めてしまう。痛くて起き上がれぬまま4日が経過。

2005年10月21日
教員時代の仲間から食事に誘われるが腰痛を理由に断る。正当に断る理由があって内心ホッとしている。

2005年11月12日
日付がわからない。今朝食べたものが思い出せない。正確には食事をしたのかどうか思い出せない。家内に尋ねると「いつも通り食べた」と教えてくれる。そして最近は毎日のように「食べたか?」という質問をしているらしい。毎日質問をしていることももう何度も私に伝えてあるとも言っていた。
なにを憶えていてなにを憶えていないのかわからない。自分がいかに駄目になっているかだけは痛切にわかる。

2005年11月18日
人に会うことが億劫。ほとんど外出しなくなった。家内がいろいろと誘ってくれるが気乗りしない。

2005年11月25日
このまま朽ちてしまうのか。医者の言う通り(記憶力が低下し、1人では日常生活を送れなくなり、家内のことも子供のことも忘れ、寝たきりになり、やがてなにも考えられなくなる)になってしまうなら、今すぐ終わりにしてしまいたい。

2006年1月28日
2ヶ月ばかり布団から出ることができず日中も寝て過ごした。今は逆に眠ることができない。雑記を読み返すと、「忘れた」「できない」そんな内容ばかりで気が滅入る。

2006年2月3日
昼前、家内の姿はなくテーブルの上に1通の手紙が置いてあった。

顔をみてはうまく話せないと思い手紙を書きました。

あなたと出会って60年が経とうとしています。まだ子供だった私からみてもあなたは頼りなさそうな少年でした。でも真面目で優しく、困っている人を放っておけない性格でしたね。こうしてあなたと今日まで一緒にいられたことを幸せに思っています。もちろん、それはあなたが認知症と診断された後も変わりありません。

ですが、あなたは私と違う気持ちでいるように見受けられます。あなたらしさが随分と影を潜めてしまったと感じるのは私の勘違いでしょうか?誤解をしないでくださいね。私が思うあなたらしさとは〝認知症を患い生活するのが不便になったこと〟によって失ってしまったもののことではありません。慎ましく暮らしてきて得た幸福のことです。小さいけど美しい庭を眺めたり、山に登って汗を流したり、親しい友人たちと笑いあったり。日々の機微と真面目に付き合ってきたあなたはどこへいってしまったのでしょうか?
朝食を食べたかどうか忘れてしまうことが、爽やかな朝陽を感じることの妨げになりますか?その瞬間は、他の誰でもない、あなた自身が、光の心地良さを感じているのではありませんか?

あなたは以前、自分が自分でなくなるのが恐ろしいと涙したことがありましたね。私も一緒に泣きました。情けないことですが、私にできることは一緒に泣くことくらいかもしれません。そうかもしれませんが、寄り添うことで、あなたの悲しみを知りたいと思っています。そして同じようにあなたの喜びも知りたいのです。今までのことも、これからのことも。

追伸
明日、我が家で食事会を開きます。教員時代のお仲間も呼んでいます。そろそろ、病気のことを話してみてはどうですか?皆、あなたに負けず劣らず優しいひとたちですよね?

翌日、つまり2006年2月4日、ご主人の正夫さんは友人たちに自身の病気を告白した。友人たちは「忘れるんだったら忘れること前提で付き合えばいいだけだ」と、驚くほどあっさり受け入れてくれたという。引きこもりがちだったご主人はその後の8年間、周りの温かく辛抱強いサポート(介護サービスも含まれる)により、のびのびとご自宅で生活することができた。

現在、奥さまは闘病中。正夫さんはご自宅近くのこの施設で生活している。