新アップルパイの冒険 4

長期滞在者

父は、不機嫌を振りまくひとだった。楽しむことがわからないし、彼が楽しい時間は家族といっしょに過ごすときではなく、滅多に重ならない。そして、問題は、彼が何にムカついてるか(当時そんな言葉遣いはないが)、母の憶測ぐらいしかヒントがないことであった。母の意訳は、「彼女ひとりが一生懸命考えたあるべき家族ゾウ」である。もっとわかりにくくなっている。父の不機嫌が、わたしたちとは関係のないことを言ってくれた方が、まだしも救いだったろう。しかし、家族っていちばんドラマチックなひとに引っ張られる。

子ども時代の素晴らしさは、そういう嫌な記憶もとりあえず、脳の土中に埋めてしまえることだ。死んだ金魚のお墓のように。毎日はいそがしい。何を怒っているか、わたしの成績がぱっとしない所為くらいに信じていた。そして、有耶無耶にそういうことが確定していく。負けを刷り込まれ、罪悪感から親の思い通りになりやすいのを、良い子と言われる。それをうっかり纏うことの不自由さは、後々響くけれども、聡くなかったのだから仕方がない。わたしは、家族の中でどんどんドンカンになっていく。親がウソをつき続けている、しかもつねに優位に立つことが「親」だと思い込んでいて、親自体が子どもような憎悪でがんじがらめになっている認識がない。

それを明らかにできる、共通概念としての情報もなかった頃、父は「おもに機嫌が悪いひと」としてただ通り過ぎた。

実際にメディアや新聞において、「共依存」という言葉が出始めるのは、2000年に入ってからだった。

早くに絵本や童話を与えてくれたのも父だが、こういう人の娘であって困るのは、父が「要らないだろう」とさり気なく省略した部分の大きさである。余白ではなく空白。父が、子供達に示したのはあるべき理想ゾウのわたしであった。あるべきわたしゾウに到達できない、現実のわたしは、あるべきわたしゾウってなんぞとよく思っていた。

父はずるかった。母に子育ての通過儀礼をほぼ丸投げして、父の中のあるべき理想の個人ゾウに耽溺するだけ。自分は素晴らしく仕事をがんばっている。でも、本当は、子とキャッチボールすることがとても怖い。そのことによって自分が変容させられることが怖い。怖いから、父は、理想ゾウだけ提示して逃げた。

僕の代わりに、これを父親と思って下さいみたいな、蔵書たち。わたしたちには、あれだけ本があっても、読んだ本の感想を言い合う習慣もなかった。本はうやうやしく授けられるのだ。父は、仕事という得意分野があったので、なおさら子育てから逃げやすかったにちがいない。まだ平成には遠い時間。逃げられた母は、「父、逃げた」とは子に言えないので、留守番する代理人として、孤独にがんばる。厳密には色んなひと(地域や親戚、学校)から助けられているはずなのに、肝心の夫には共感がないので、誇らしく一人でがんばったという部分が説話化される。

両親の仲が悪いって、喧嘩をしないではなく、相手が困っていても全然気づかない状態だ。

あるべき理想ゾウがポツネンと家の中心に置かれ、父と交流が乏しく、母はガミガミしている。たまに母が困って、とうとう相談して父がひねり出すストーリーはまた微妙だった。無知(とにかく失敗を少なくして生きる意)の想像力は、罪とか罰とか抑圧が八割以上だっだから。父は、不良ではなかったので、寧ろ優等生だったので「外は危険なところ」以外の知識がなかったらしい。間違えると(あるいは失敗すると)、世の中の切り抜け方(時間稼ぎ)よりいきなり断罪まで行く、行かねばならない。正直に「ここから先がわからない」と打ち明けられたほうが、お互いを責め過ぎずに済んだとしても、正義論へと逃げ込む。

父は、ダメダメな犯人捜しのストーリーを思いついて、母からもう一度逃れる。まんまと逃げられた母は、逃したと思いたくないので、でっち上げのストーリーを半信半疑ながら飲み込む。母も、間違っているのは自分じゃないと思えれば、安心理論なのだった。犯人捜しは、恐怖(権威)の拡張と、罰を与える対象を決めつけることで構成されていた。家庭内の非常事態宣言と、容疑者の有罪判決と、親の側の堪えていたモノのドラマティックな決壊までだ。より重要な和解と修正は抜け落ちている。父はしばしば決壊し、挙げ句お酒を飲み過ぎ、叱る相手に向かい「叱るのはとても疲れる」という不思議な言い回しをしていた。家族としての集合知がなかなか上がらない。

でも、正義を模索する険しい裁判官は、一瞬ほど注目を集め家族内ヒーローなれる。母はヒーローを信じた。わたしは、きょうだいの中で余分に叱られる役目だったので、ひとりだけ冷静になってしまう。

罪状が比較的軽ければ、父は、やや余裕を持って、重々しく「子供らがわるい」と毎度の判決を下す。「ら」は複数形を示すより、きょうだいの共同責任という、鬱陶しい重さが含まれていた。わたしたちは、なんだか「ら」のようだった。「ら」は、父に合わせて愚かになる。「ら」には、父の省略したものを想像する力がない。

さて、わたしは、絵を描く仲間が欲しくて、ある時期知人と三人でフリーペーパーを作っていたことがあった(父的裁判から20年後)。彼女は、途中から独学で絵を始めたわたしに、美術の知識を教えてくれる優秀なひとに見えた。ライバル的なモノが欲しくてたまらなかったし、刺激を受けて、よりいい絵が描けるようになりたいと願っていた。そのうち一寸した揉め事が起こり、例によってドンカンだったので、わたしの立場が非常に悪いことになっていく。彼女の荒れた気持ちに絆創膏(慰謝)を貼ったほうが良さそうだった。それをやったら、ある程度、ことが収まるだろうことも想像出来た。けれども、フリーペーパーを広めたくがんばっていたことも「浮ついている」と非難メールが来た辺りで、あたしたち、そんなに仲良くないんじゃない?と我に返った。子供の頃、脳の土中に穴を掘って埋めた、あの裁判の景色が戻ってくる。

罰したい気持ちに取り憑かれたひとは、相手が見えなくなるまで、自分の感情を膨らませる。思い通りになってくれない相手に気持ちが傷付いて感情がパンパンに腫れ上がる。剥き出しのまま力一杯投げつける。彼女は、ちょうど父のように不満をバクハツさせたので、そっちが思い出されてしまった。親密より共依存関係を強化させる、懐かしさと苦痛が、すっかりボロぞうきんになっていたけれど生々しく甦る。

孫悟空が冒険へ飛び出したつもりで、須弥山の向こう側まで行く勢いだったのに、お釈迦様の掌に収まってしまったように。

残念ながら、あなたが今いるところはまだココと、宣告されたも同然だ。

謝ったら許してやる、だがお前の罪は忘れないぞというのは、決して和解ではなかった。かつて、父がひとりで眺めていた鏡が見える。燃えさかる怒りが何なのか、見に行かなければ良かったのに、ついつい明らかにしたくなるというのは、わたし自身の悪癖である。父と親しくなれなかったけれど、書斎の壁を一杯にして足りず、廊下まであふれ出た本達が振り返るととても懐かしい。