モンスター、とは

長期滞在者

「こういう人は初めが肝心よ。」二階のボスが腕組みしながら新人スタッフに指導している姿がみえた。服部さんは五十代半ばで、介護職歴十八年のベテランだ。とても厳しい人で、効率よく動けないスタッフが怒鳴られている光景を目にするのもさして珍しくなかった。

ここで働き始めた頃、僕は施設(グループホーム)に希望を見出していた。スタッフの対応は優しく、おじいちゃんおばあちゃんたちも穏やかに過ごされているように思えた。が、後にその幻想を打ち砕くきっかけになった人が現れる。井岡シゲさん八十歳。彼女は三年前にこの施設の二階に入所された。

当時、僕は一階のスタッフとして働いていたが、より多くの利用者さまをみておこうと夜勤明けなど暇をみつけては二階を見学していた。井岡さんが入所した日も〝どんな様子かな〟と気になり上にあがってみた。

井岡さんは四十代の頃に事故で右膝を痛めてしまい、それからずっと杖歩行のようだ。補聴器をしてもほとんど耳は聞こえず、筆談は邪魔くさいと嫌がっていた。認知症は〝少しあるかな〟といった印象で、初日からおじいちゃんと激しい言い争いをしていた。

「こういう人は初めが肝心よ。」服部さんは小声で指導を続ける。「いい?我の強い自己中心的なお客さんには、新しいところへやってきたばかりの心細い状態のときに〝スタッフ>お客さん〟という力関係を作ってしまうの。そうすることによってお客さんのモンスター化を未然に防ぐことになるから。わかった?」新人スタッフは熱心に頷いていた。
例えば、井岡さんがあらかじめ決められているテーブル席とは違う場所に腰掛けた場合、スタッフは「そこは他の方の席ですよ。」と声がけする。対して井岡さんは「別にいいじゃない。いま誰も座ってないでしょ!」となる。
その通りなのだけど、井岡さんの座っている場所が、もし怒りっぽい利用者さまの席だったら「そこは私の席よ!どきなさいよ!」「なによ!そんな言い方しなくてもいいでしょ!」で簡単に喧嘩がはじまるだろうし、喧嘩にならない場合でも〝根に持つ〟ことはあるだろう。また、認知症が進んでいたり優しかったりして交渉できない方には、井岡さんから「他にも席があるんだから空いてるとこ座りなさいよ!」と威嚇し混乱を招いてしまうかもしれない。
利用者さま同士のやりとりを見守ることも場合によっては必要なのだが、〝トラブルは事前に回避する〟が普通のやり方だ。

「井岡さんはこちらの席になります。」
「わたし窓際がいいんだけど。」
〝席は決まっているんです〟では、納得しないだろう。
「井岡さんは窓際がいいんですか?じゃあ、みんなで話し合って席を決めましょうか?」
「え?そんなことしなくていいわよ!めんどくさい。ほんとここはケチくさいところね!」
舌打ちしながら井岡さんは自分の席に座る。そしてカーディガンを隣の椅子にかける。ハンカチをポケットティッシュを新聞を眼鏡を補聴器をテーブルに広げ出す。
「ここは他の方の席になりますから持ち物はご自分の席か、お部屋に置いてきてもらえますか。」
「いまいないんだからいいじゃない!来たらどかすわよ!」井岡さんがこれでもかというくらい不愉快そうに顔を歪めて叫んだ。

服部さんはこの一連のやりとりのあと〝ここで許してしまうと井岡さんは自分のテリトリーをどんどん広げてしまう。だからこの段階で阻止するの〟と新人スタッフに教えていた。
いまはテーブルだけかもしれないが、すぐに共有スペースにまで拡張し、いずれ施設全体が〝我が家〟化してしまう。それから修正していくのは(不可能に近いし)井岡さんにとってもスタッフにとても大変なストレスを伴う。

「本当にうるさいわね!なんで私にばかりそんな意地悪するのよ!」
耳が聞こえないため、服部さんも井岡さんも怒鳴り合いさながらのやりとりとなり、フロアには不穏な空気が広がっていた。

一週間後、二人の攻防はエスカレートしているようだった。
井岡さんは三日目から頻繁にトイレに通うようになってしまったらしい。診察してもらったが問題なし。と、なると〝素早く歩けない→トイレを失敗したくない→早めに行っておこう〟と思うからなのか、行ったことを忘れてしまうからなのか(物忘れにムラがあるため正確にはわからない)、その両方にせっかちな性格やストレスが加わったためか、とにかく数分おきにトイレに通う。
彼女が使いたいときに他の利用者さまが使用してたりすると、扉を杖で殴りつけ「いつまで入ってんだよ!」と怒鳴る。ここでもやはり井岡さんに我慢してもらう必要が出てくる。が、言って素直に聞いてくれる人ではない。

僕は〝頻繁にトイレに立つのは暇を持て余しているのも関係しているのではないか〟と考えた。適切なトイレ誘導と、何かしらの働きかけ(生活リハでもレクでも)をして〝トイレに行きたい気持ち〟を忘れさせてはどうだろうと提案した。だが、服部さんは〝喧嘩しろ〟と言う。ここは共同生活の場。我慢も必要なのだと。
井岡さんだけ特別扱いするわけにはいかない。他のお客さんも同じだけのお金を払ってここで生活しているのだ。スタッフの数は限られている。その中で皆んなが平等にケアを受ける権利がある。声の大きい人の希望は叶えられ、声の小さい人の希望は叶えられないというのは間違っている、と。

理屈はわかる。でも僕は納得できなかった。平等という大義名分の下に堂々と抑圧しているように思えてならなかった。つまりは、そこに愛はあるのか?ってことに尽きる。家族介護の場合はその愛がケアの障害になったりもするが、他人の生活を預かる立場にあっては〝嘘でも愛は必要〟だと思う。
僕のふくれっ面をみて服部さんはため息まじりに諭すように
「子供と一緒。馴れ合いの中ではいざという時に抑えがきかないの。幼児にとって母親が絶対的立場であるように、私たちもそうでなくてはいけないの。安全のためでもあるし、お客さんとスタッフの負担を減らすためでもあるのよ。」と、言った。
そう言われてもやはり釈然としないままだった。

それから一ヶ月も経つと、今度はスタッフサイドに問題が浮上した。怒れないスタッフとやたらと怒るスタッフが出てきたのだ。
前者の問題点は、一つの事柄に関して(今回は喧嘩するという方針が打ち出されている)統一された支援が実行されなければ井岡さんの中で〝あのときは大丈夫だったのに今回はダメだった〟と混乱してしまい余計にストレスが溜まってしまうし、ルールが定着していかない。
後者の問題点は、弱い利用者さまを守るための喧嘩だったはずが、いつのまにか〝怒ること=服従させること〟がケアの一環と錯覚してしまい、ただただ支配的な言動が常習化してしまうことだ。それは他の利用者さまやスタッフ間の関係をも悪化させた。

その現状をホーム長や服部さんに指摘しても形だけの会議を開いただけで、なにも変わらなかった。完全に僕は〝めんどくさいヤツ〟になっていた。

現在、井岡さんは常にスタッフの顔色をうかがい、行動を逐一制限されることへの苛立ちから爪を噛むようになった。服部さんの思惑通りモンスター化は防げたというわけだ。