怒鳴られる、とは

長期滞在者

好意的に和かに謙って挨拶をしたにもかかわらず、初対面の人に「むこうへ行けッ!」と、怒鳴られる体験を、僕は今までしたことがなかった。

怒鳴り声の主は、椅子の肘掛けに両肘を乗せドカリと座っていた。髪よりもシミが目立つ頭皮はカサカサしており、小さなつり目がこちらを睨みつけていた。
出勤一日目。敵意剥き出しの眼差し。それが認知症との出会いだった。

僕はたじろぎながら声をかける。
「亀田さん、今日からお世話になりま、、」
「うるさい!来るなって言ってるだろ!」
「すいません。話だけでも、、」
「ほんっと、わからんやつだな!お前となんか話したくないんだ!」
と、拳を振りかぶる。

上司をちらりとみる。四十代半ばであろうその女性は眉毛をクイッとあげただけだった。ボスは続けろと言っている。

僕は拳の届かないところにいるし、相手は八十八歳のおじいちゃんだ。恐れることはないのだけど、僕に与えられた仕事は怒鳴られることでも喧嘩することでもない。歯磨きをするためにテーブルから洗面台まで誘導することだ。ただ立ってもらいたいだけなのにそれが叶わない。立つことはおろか話を聞いてもらうことさえできないでいた。

他のスタッフは仕事をしながら僕と亀田さんのやり取りを見守っている。助け船はきそうになかった。
なんとかしなければと僕が口を開こうとするたびに、亀田さんはカッとなって〝こぉの野郎!〟と身を乗り出す。

困り果てた僕はただその場に突っ立っていることしか出来なくなった。見兼ねた上司がケアを中断させ、他のスタッフにその場を任せる。亀田さんが僕以外のスタッフに対しては、寡黙だけども良いおじいちゃんであるのを横目に眺めながら、僕はその場を去る。

こぢんまりとしたスタッフルームに入ると上司である沢村さんがゆっくり口を開いた。
「やっぱりだめみたいね。今までも男性スタッフで合わない子が何人もいてね、、あんな感じで平行線のままだから結局辞めてっちゃうのよ。私も困っててね。」
「そうなんですか。」
〝僕だけじゃないんだ〟と、内心ホッとしていた。
沢村さんの話によると、亀田さんは大の男嫌いで(特に若くて線の細い男には)強い介護拒否がでるらしかった。
それは誰が何を言っても抑えることのできない彼の〝感情〟だった。

「んー、どうしたもんですかね?」
とアドバイスを求めると
「うーん。とりあえず、我慢して。」
と思いもよらぬ返答がきた。僕は〝えっ、がまん?〟と心の中で聞き返したが〝仕事だし、できないからやらないというわけにもいかないし〟と納得して、怒鳴られることに早く慣れてしまおうと、亀田さんの座るテーブルへ向かうのだった。

翌日も翌々日も状況は変わらない。慣れるどころか日に日に亀田さんのことが嫌いになっていく。〝彼は認知症なのだ〟〝あの怒りも病気からくるものなのだ〟と、自分に言い聞かせてもなかなか気持ちを切り替えることはできなかった。
僕個人の意見としては彼と距離を置かせてほしかった。このままでは悪化する一方だし、お互いのためにそれがいいと思った。だけど沢村さんは「関わることから逃げないで。」と言った。
僕はその言葉に腹をたてていたが〝関わるという選択枝しかないなら〟と、半ば自棄気味で亀田さんの資料を何度も読み返し、僕なりに今一度よく観察してみることにした。

・認知度。新しい名前や日時は覚えられないが、数十分内の出来事ならなんとなく覚えている。過去のこと(五十代くらいまで)と、現在の状況(施設に入所していること)と、人の顔は曖昧ながらも比較的把握していた。
・僕のことが嫌いという感情よりも、その時々の感情が無意識的に優先されるようだった。(いきなり僕単独で関わるよりも、まずは他のスタッフを仲介人としておしゃべりしてもらってから僕が介入する方が受け入れてもらえる確率が高かった。)逆を言えば上機嫌でもなにかあれば一気に逆上する可能性もある。
・彼も男だということ。〝この場所は俺の場所だ〟〝新顔のお前にデカい面させておくわけにはいかん〟と己の力を誇示したがっているように思えた。そして、プライドの高い頑固な人だけど、誇り高き素直な人でもあった。

それを念頭に置いて、故郷、家族(現在の家族ではなく子供時代の家族)、戦争の体験、仕事、食べもの、青春時代の武勇伝など話題を投げかけてみる。
ここで気をつけなくてはいけないのが、自尊心を絶対に傷つけてはいけないということだった。認知症になれば物忘れが多くなり、理解力も低下する。言葉がうまく出てこないこともある。こちらの質問に対して答えられないことはストレスになるし、それを僕に悟られることは堪え難い屈辱なのだろうと想像できた。

なので、食いつきのよい話題を予習しておき〝イエスかノー〟のようなシンプルな返答で済むよう話を広げる。同時進行で褒めまくり崇めまくり、さらに僕がいかに情けない男で貴方様の足元にも及ばない若僧なのだということをアピールする。
疑うような眼差しではあるものの少しづつ僕の声に耳を傾けてくれるようになり、やがてわずかに笑みがこぼれるようになった。
ここまで約二十分くらいかかってしまう。それでもなんとか光が見えた気がした。

とは言ってもようやく口を聞いてもらえるようになっただけのはなし。

笑顔が出るまでおしゃべりしまくりタイミングを見計らって「立てますか?」と声をかける。「立てますよ。」と立ってくれる場合もあれば「なんで立たなくちゃいけないだ?」「立ってどうするんだ?」と振り出しに戻る(八割こっち)こともある。そしたらまた一からやり直し。
もちろん「歯を磨きましょう。」などの説明は禁句である。誰かに指図されてまで歯を磨かなくてはならない理由などないのだから、納得してくれるはずもない。

仕事が終わると同時に〝あー明日もあのじいちゃんに会うのかあ〟と、暗い気持ちになった。それは家に帰ってからも頭から離れなかった。
それでも一週間二週間と続けるうちに亀田さんの好きなワードがちらほら見つかる。それに比例して笑顔までの時間も徐々に縮まり、二ヶ月もすると他のスタッフと同じように二言三言の声がけで誘導できるようになっていた。
僕は〝亀田さんとの関係性を築いたのだ〟と喜んだ。苦労した分、妙な絆のようなものも感じていた。

一ヶ月後、新人スタッフが入社してきた。かつての僕と同じように亀田さんで躓くスタッフが何人かいた。僕が試したやり方を教えると、数回は失敗したが比較的すぐに誘導できるようになった。

あっさり亀田さんを克服されてしまったことに軽いショックを受けたものの、このことで、僕は〝認知症攻略法の存在〟を知った。関係性も大切だけど、論理的に介護方法を見つけ、フォーマット通りにやれば上手い下手の差こそあれど誰でもケアできてしまうのだ。と、そう思った。

そして、認知症を攻略するということは〝介護される側と介護する側、どちらの意思が尊重・優先されて生活が繰り広げられてゆくのか〟の境界線を曖昧にする入り口でもあるということに、そのときの僕はまだ気が付いていなかった。