才能のはなし。

長期滞在者

 
中学生の頃、ぼくは兄の影響でギターをはじめた。
同級生の叔父さんから譲ってもらったYAMAKIというYAMAHAのまがい物らしきアコギでビートルズのGirlに挑んだ。
手先が不器用なぼくはいつまでたってもギターがうまくならなかった。が、それでも少しづつコードをおさえられるようになり、真夜中、家族の迷惑も考えず大声で歌っていたものだった。
1年もするとまだまだ下手くそのくせに(下手くそだからか)コピーに飽きてしまい、びっしりと詩が書き溜められたノートに曲をつけるようになる。
はじめてぼくの歌が生まれたときの快感と興奮は、頭の悪い少年がポップスターになることを夢見てしまうくらいの破壊力は十分にあった。
それはとてもありがちな、漠然とした根拠なき自信からくる、まさに夢だった。
才能は皆無に等しかった。

高校生になると小さな町にいる数少ない音楽仲間とバンドを組んだ。
好む音楽の傾向はバラバラだったけど、放課後、友人宅のガレージで練習に明け暮れるのは、本当に楽しかった。
元来、メランコリックな性質を父から受け継いでいたぼくは、苦悩することに惹かれ、意味もなく絶望し、勘違いソングを量産していた。
それは音楽の追求とはかけ離れていたし、表現ともまた違っていた。

ある日の昼休み。
あれは高校2年、夏がはじまろうとしていた頃だったと思う。
教室の窓から外を眺めていると、馴染みのある声がどこからとなく聞こえてくる。
あたりを見まわすと渡り廊下に女子がふたり。
あちらからこちらへ歩いてくる。
なんの話をしているのかは知らないけれど、キャッキャと笑いあっていた。
ひとりは何度か遊んだことがある娘だった。
ぼくはその娘に恋をしていた。
顔立ちは少し大人びていて、笑顔はそれに反して可愛いらしくて、短めな髪とスカートがいい感じに風になびいていて、
そんな光景を眺めながら
「このままじゃぼくは不幸になるな、、」
そう思ったのを憶えている。

高校を卒業してすぐに上京した。
東京で数多くの音楽と人に出会うと、いやでも現実というものが見えてくる。
音を体験すればするほど耳は肥えてゆくが、ぼくは、それをぼくの音楽に還元することができなかった。
4年間、引きこもるように曲を書いた。というよりも、あれは才能という幻想との格闘だった。
毎日が苦痛で、
22歳の夏に、
音楽をやめた。

いま、ぼくは35になった。
友人たちの創り出す音に心を委ねるとき、音を浴び体をゆらゆら揺らすとき、心地良いほどに気づかされることがある。

ぼくは音に愛されなかったのではなく、ぼくが音を愛していなかったのだ、と。