生きている、とは

長期滞在者

僕にパンチをくりだしているおばあちゃんは須田道子、九二歳。スタッフにも須田という者がいるので皆〝道子さん〟と下の名前で呼んでいる。認知症が進行し寝たきり状態になっていて生活全般に介護が必要だが、元気な人だ。
今、オムツの交換をしているところ。拘縮がある脚は痛みを伴うし、そもそもオムツを替えられる行為自体、道子さんにとって決して楽しいことではない。パンチしてくるのも致し方ないこと。
とにかく、パンチをかわしながら安全に正確に素早くオムツ交換をしなければならないのだけど、慣れていない頃には毎回二・三発ほど顔面を殴られていた。自分で殴っているくせに僕が痛がると「すいませんねぇ、、」と申し訳なさそうにするのが可笑しかった。僕が笑うと道子さんも照れくさそうに笑った。

面接の時、僕は〝あれ?ここはグループホームだよな?〟と不思議に思った。グループホームとは認知症対応型共同生活介護といい、認知症の方しか入所できない施設だ。
テーブルで洗濯物を畳んだり、食器を拭いているおばあちゃんたちに恍惚とした表情はみられずテキパキと家事をこなしていた。
「こんにちは。洗濯物畳んでるんですか?」と、尋ねると
「働かざるもの食うべからずってね、あそこの先生にやらされてるのよ。」と、指差した先にいるスタッフと笑いながら戯れる様子は、ごく普通のおばあちゃんとなんら変わりなかった。

面接をしてくれた施設長(グループホームではホーム長と呼ばれる)が「他の利用者さんにも挨拶してみる?」と居室に案内してくれた。そこにはベットに横たわりぼーっと天井を眺めているおばあちゃんがいた。僕が「こ・ん・に・ち・は。」と声をかけると、虚ろな目でこちらをみてゴニョゴニョとなにか呟いた。ホーム長は「あら、今日は元気そうね。」と耳元に口を近づけて話す。すると、おばあちゃんはまたゴニョゴニョとなにかを呟いた。ホーム長は「ミチコさんは男の子が好きだからね〜。」と笑う。僕が「なんて言ったんですか?」と小声で尋ねると、ホーム長はにっこりと笑い「次のお部屋に行きましょうか。」と居室を出ていった。
計三名の寝たきりの方と挨拶をさせてもらったが、僕には同じに思えた。虚ろな目で、表情は乏しく、ゴニョゴニョと呟くか、無反応だった。

入社して仕事がはじまると、主に個別ケアを任される。一部介助が必要な混乱しやすい利用者さまの対応や、フロアをまわすのは慣れたスタッフの仕事。新人の僕は入浴、食事、排せつ、散歩などの身体介護を行った。彼女たちの身体機能は著しく低下し、失語も進み、自身の不調や不快を伝える術は言語化されない言葉のみとなる。こちらが気付かなければ訴えなき者として素通りされてしまう可能性だってある。それは時に無意識に、時に意識的に。
だから僕はいかなるサインも見過ごさぬよう、すぐ隣でご家族の方が見守っているつもりでケアするよう心掛けていた。

二ヶ月くらい経った頃だろうか、身体介護がようやく慣れてきた頃。ホーム長が「これ、道子さんが歩けてた頃の。」と一枚の写真を見せてくれた。七年程前らしい。今よりも少し痩せていた。車椅子ではなく椅子に腰掛け、脚を組み、カメラを見据えてよそいきの笑顔をつくっている道子さんをみた時〝ああ、指輪だ。お洒落してるなあ。〟とか〝このカーディガン今も着てるやつだ。〟とか、なんとも言えない感情が込み上げてきたのだけど、なにより僕の気持ちを落ち着かせなくしたのは〝意思のある眼差し〟だった。
撮られているということを意識した表情や、撮影者に向けられた親しみのこもった視線。

その写真をみせてもらったことで、僕は道子さんを〝寝たきりの道子さん〟という断片でしか捉えていなかったことに気がついた。もちろん、頭ではわかっている。僕と同じように若い頃もあった一人の女性なのだと。でも、対峙した時、そうは感じることは難しく思えた。

その日を境に僕は道子さんの人生を度々考えるようになった。道子さんの経験は、思い出は、意思は、どこにいってしまったのだろう、と。
〝今でもそこにあるの?〟と、聞いてみたかったし、頬に触れながら心の中で尋ねたりもした。でも、道子さんはチラッと僕を一瞥するだけで、すぐにまた天井のほうを向いてしまった。

望んでそうなったわけではない。それは病気に限らず、僕らの人生だってそのはずだ。それでもこんなに動揺してしまうのは〝人生に意味なんかないんだ〟と得体の知れない何者かに断定されてしまったように感じたからかもしれない。
〝生きているのに人生がない状態〟をみているのが心底怖かった。

僕は、この生きている生きていないの境界線にまつわる問いを誰にも話せないでいた。
意思の疎通がとれずとも、毎日通うご家族もいたし、遠く離れた地方から毎月泊まりに来られるお嫁さんもいた。
一日中黙って手を握り、食事を介助し、添い寝をして、「今日は少し笑ってくれました。」と嬉しそうに報告してくれる姿をみていたら、僕の問いは不謹慎に思えたし、そんな家族の気持ちを裏切るような行為にも思えた。

〝助けがないと寝返りひとつうてない体〟と〝僕らがひとりでは生きていけないこと〟は、一体どれだけ違うのだろうか?

「母はとても面倒見が良くてね、、サバサバしてたし、肝っ玉母ちゃんみたいな女性だったのよ。」と、先日面会にいらっしゃった道子さんの娘さんが教えてくれた。
道子さんは子供の頃から姉御肌で、妹の千枝さんのことを〝ちぃちゃん〟と呼んで可愛がっていたらしい。大人になっても仲の良さは変わらず一緒に旅行したりしていたけども、千枝さんは五二歳の時に肺癌で亡くなってしまった。独り身の千枝さんのために懇親的に看病をしていたと、娘さんは天井を眺めている道子さんの横顔をみつめながら話を続けた。
「〝ちぃちゃんはね、自分が病気で辛いのに、私を悲しませないように気力を振り絞って明るく振る舞うような優しくて強い子だった。〟って、頼んでもいないのに千枝おばさんとの思い出を何度も何度も話してくるのよ。その時は〝もう何回も聞いたわよ!〟って思ったけど、、本当に好きだったんでしょうねえ。」と懐かしそうに微笑んだ。

僕はその日「ちぃちゃんはどんな人だったの?」と道子さんに尋ねてみた。
いつものようにゴニョゴニョとなにかをしゃべっているのだけど、目の輝きはまるで違った。
「ちぃちゃんは元気で優しい人だったんだよね。」「ほんとにねえ。」
「ちぃちゃんと仲良しだったんだね。」「もちろんよ。」
「道子さんみたいなお姉さんがいて、ちぃちゃんは幸せだったね。」「そう?そう思う?」
どこまで通じているのかなんてわからない。でもそれはあまり重要ぢゃないのかもしれない。
確かにちぃちゃんは道子さんの中にいるように思えた。とても小さくなってしまったけれど、人生がそこに息衝いているような気がした。一時は恐怖の対象にまでなってしまった道子さんの存在も、ちぃちゃんの話をしているうちに、一緒にいる時間が少しずつ好きになっていくようだった。

道子さんは今日も元気にパンチをくりだす。時々、笑顔がみたくなって、僕はわざと殴られ痛がってみせる。