聴く、とは

長期滞在者

「先日のことなんだけれどね、、」
村上さんのご主人が向かいのテーブルから僕に話かけてこられた。
「いつも隠してあるはずの場所に通帳が見当たらなくて〝おかしいなあ、どこに隠したんだったかなあ〟って大騒ぎしちゃったんですよ。」
ご主人は奥さまがこの施設に入居されるようになってから時々こうして面会に来られる。娘さんが三人いらっしゃるが同居はしておらず、長女の清子さんが定期的に様子をみに来られているそうだ。おそらく、その時の話なのだろう。
奥さまはご主人の隣りで鼻歌を口ずさんでいた。
僕は休憩中だったが、来週頭に新しい利用者さまが入居予定のため、少し離れたテーブルでフロアをみながら日課を組み直していることろだった。
「医者は僕のことを認知症だというのだけど、そうなんですかね?まだそんなにボケていないと思うんですけどねえ。」
真っ直ぐにこちらを見据えそう尋ねてくるご主人に、僕は「もの忘れは誰にでもありますからねえ。」と軽く笑みをつくり流し気味に答えた。
「でも、気味が悪いんですよ。全く身に覚えのないところから通帳が出てきたりするんだから。しかし歳をとると本当いろんな経験をしますよ。」と、ご主人は苦笑した。深く刻まれた笑い皺が素敵だった。

認知症は悲しい病気だ。だけど僕は認知症が好きでもある。とりわけ〝何度も繰り返される逸話〟はかけがえのないもののひとつだ。

早いもので、この施設にきてから既に四年の歳月が流れていた。入れ替わりの激しい施設なので、僕より経験のある人間はほとんどいない。よって上司の澤村さんが体調を崩し長期休養に入ったとき、必然的に僕がリーダー職に就くことになった。それが半年前のこと。

さて、おしゃべり好きのご主人は、こちらが仕事中でもおかまいなしに、、とは言っても少しは遠慮がちに、されどギリギリ非常識なレベルで話しかけてこられる。他のスタッフは捕まってしまうと長くなり仕事に支障をきたすので、基本的には僕が対応するようにしていた。でも実際のところ、僕は彼の話を聴くのが密かな楽しみでもあった。

ご主人にはお気に入りの話がいくつかある。

一つは、奥さまとの出会い。戦時中、学校は男女別々、もちろん仲良くおしゃべりなんて言語道断。そんな環境で育ったご主人は二十五歳になるまで恋をしたことがなかったという。ご主人の職場近くの喫茶店で奥さまは働いていた。ご主人の一目惚れだった。マッチ箱に〝映画にいきませんか?〟と書いたメモを入れ、デートに誘った。二度無視され、三度目でようやく約束にこぎつけた。しかし誰かに見られてはまずいのでお互い離れて歩き、映画館に入るのも時間をずらし別々。偶然を装い隣の席に座る。劇場が暗くなり映画が始まると、ご主人は思い切って奥さまの手を握った。彼女は真っ直ぐ前を向いていたけど、ギュッと握り返してきて、それから二人の関係が始まった、と。

一つは、酉の市の熊手。ご主人がまだ若き頃。仲間たちと酒を呑み盛大に酔っ払った最高に愉快な晩があったという。友人の奥さんに赤ちゃんが授かった祝いの宴だったらしい。ご主人たちは金を出し合い縁起物の熊手を贈った。七福神やらなにやらたくさんの飾りに彩られた二メートルはあろう巨大な熊手。それを担ぎ、ワーワー騒ぎながら家路を辿る。友人宅へ着いてふと熊手に目をやると飾りが全部なくなっていた。酔っ払っていた友人は重い熊手を持つことができず、途中から引きずっていたため、飾りが全部取れてしまったのだ。それをみてまた仲間たちと大笑いした、と。

一つは、父親の尺八。尺八の名人だったご主人の父親はよく芸者遊びをしていたという。父親が尺八で芸者さんが三味線。弾き比べをして負けたほうが服を一枚脱ぐという遊びだったらしい。「父親はとうとう芸者を裸にしてしまった。」と誇らしげに鼻を膨らませる。当時、子供だったご主人がどうしてその場にいたのか詳細はうやむやなのだが、「とにかく父親は尺八が上手で、今でもその音色はこの耳に残っているんですよ。」と、耳を澄ますように瞼をギュッと閉じる。

他にも二つ三つは決まったお話がある。どんな話題を投げかけても、最終的にはいずれかの話へと向かってゆくのが愛らしい。
そして、逸話は当たり前のように人の数だけ存在するから好きだ。

〝お花見〟という単語に反応して「私の家の近くにおーきな公園があるでしょ〜?花見の時期になるといーっぱい人が集まるの。私も子供がこーんな小さかった頃は重箱持ってよくいったのよ〜。楽しかったわよ〜。あなたも今度行ってみるといいわ。お子さんはいるの?」と尋ねてくるおばあちゃんや

〝犬〟という単語に反応して「昔、ゴールデンレトリバー飼っててな。大きい犬っていうのはあれで利口なんだよ。散歩道の途中に饅頭屋さんがあって、、ほら、あそこの。ここらぢゃ有名でさ。で、あいつに一回大福食べさせたら喜んじゃって。それからその道を通るとよだれ垂らすんだよ。偉いもんでわかるんだなあ。食い意地張ってるんだ、ありゃ。笑っちゃうよな。」とカッカッと笑うおじいちゃん。

〝趣味は?〟と尋ねると、「食べることだけよ!ほら、うちはヤローばっか三人でしょ?だから次から次へとご飯作らなくちゃいけないから、もうそれだけ!作って食べて寝るだけよ!〝かーちゃん食べてばっかりだな!〟ってよく言われるけど〝なに言ってんのよ!食べるから健康なのよ!〟って言い返してやるの!」とほっぺたを膨らますおばあちゃん、などなど。

不思議なことに、それらの逸話は毎回ほぼ同じ構成で展開される。まるでカセットが再生されたかのように抑揚や落とし所も同じだ。

なんでもない一場面。他愛もない経験や思い。だけど、おじいちゃんおばあちゃんはいつだって懐かしそうに可笑しそうに、時には悲しそうに〝とっておきの話〟をしてくれる。

〝どうせなら楽しい思い出を宝ものみたいに大事にしたい。悲しい思い出を呪いのように背負うのは嫌だ。〟なんて思うのは、きっと、とても馬鹿げている。そのどちらにもたったひとつの人生がしっかりと乗っかっていて、だから、ただそれだけでよいのだ。

僕は容れ物になったような感覚で、愉しい話も、悲しい話も、その逸話たちを宝箱にしまい込むように、耳を傾ける。