認知症のはなし。

長期滞在者

 
認知症は「忘れる」病気である。

認知症に病む人たちが体験している世界を、「小林光恵(86)アルツハイマー型認知症。3ヶ月前に特別養護老人ホームに入所し、施設の生活になじめていない」という設定で考えてみた。

ある朝、小林さんは居室から出て辺りを見回しながら廊下をそろりそろりと歩いている。スタッフが「小林さん、おはよう。」と声をかけると、少し驚いた様子で「おはようございます。」と挨拶を返してくる。「朝ごはん用意できましたよ。こちらへどうぞ。」というと「あのね、実はお金持ってないんですけど。」とのこと。「お金は息子の浩之さんからいただいているから大丈夫ですよ。こちらへどうぞ。」と伝えると「浩之が払ったんですか?そうですかぁ。」と不思議そうにしている。食堂に案内して食事のトレイを置くと「あのね、実はお金持ってないんですけど。」と重ねていうため、「だからお金は息子さんからいただいてますから、どうぞ召し上がって下さい。」と説明する。食事を早々に終えた小林さんは落ち着かない様子で再び歩きはじめる。先週、施設から出てしまったため徘徊がはじまったときはスタッフが1人つくことになっている。今朝も食事を終えた小林さんが歩き始めたためにスタッフがついていくと、小林さんは時々スタッフの方を振り向きながら歩き続ける。

このような状況は施設などでは日常的な情景。スタッフからみると施設になじまない小林さんが、今日も朝から落ち着かず、徘徊をしていると思われている。また食事のたびに「お金がない」という小林さんに対して、いささかうんざりしながら「息子さんからお金はもらっているから」という返事を繰り返している。

これを小林さんの視点からみたらどのようになるだろうか。

目覚めるとどこか見慣れない部屋にいる。「ここはどこだろう。なぜ私はここにいるんだ?そもそもどうやってここに来たんだっけ?」と何も覚えていない自分に気がつく。不安になったので廊下に出てみる。両側に同じような部屋が並んでいて、高齢者がベッドに寝ている姿が目立つ。同じ服を着た若い人たちが忙しそうに動き回っている。「ここは病院かしら。」と思う。「小林さん、おはよう。」と制服を着た若い人に声をかけられた。とっさに「おはようございます。」と答える。「この若い人はなぜ私の名前を知っているんだろう。ここはどこ?」聞いてみようと思ったが「朝ごはんが用意できましたよ。こちらへどうぞ。」と言われ、ご飯を食べるにもお金を持っていないことに気がついた。思い切って「あのね、実はお金持ってないんですけど。」というと若い人は「お金は息子の浩之さんからいただいていますから大丈夫ですよ。こちらへどうぞ。」という。「息子はまだ中学生のはずなのに、お金を払ったというの?これはなにかおかしい。」と思うが、とりあえず食事に行くことにする。食堂のようなところへ案内されると、数人のお年寄りがテーブルについて食事をしていた。「ここはなんで年寄りばかりなんだろう。」と思っていると、目の前に食事ののったお盆が置かれた。「これが私の食事なのかしら?」と思うが、お金を持っていないことに気がつき、若い人に「あのね、実はお金持ってないんですけど。」と思い切って言ってみた。若い人はなにかイライラしたようすで「だからお金は息子さんからいただいてますから、どうぞ召し上がってください。」と言われた。少し怖くなってとりあえず食事をとることにした。「これを食べたら家に帰らなきゃ。職場にも連絡しないと。それにしてもここはどこなんだろう。」食事を終え「とりあえず出口を探さないと」と思い、歩いてみる。すると若い人がニコニコしながら後をついてくる。「なにか薄気味悪い。どうして私の後をつけてくるの?」

小林さんの内的世界では、このような状況になっていると考えられる。

さて、一般にいう「健忘」と「認知症」の違いは、健忘は体験の一部を忘れることで、忘れているという自覚もあり、進行せず、日常生活に支障はない。それに対して、認知症は経験そのものを全て忘れてしまい、忘れたという自覚もなく、進行性で悪化する。もちろん生活障害が起こる。
認知症は脳の疾患が原因で起こる機能障害であり、記憶障害や見当識障害がその代表的な症状である。他にも失算・失書、健忘・失語、行為失行、認識低下、判断力低下なども現れる。

見当識障害とは、時間や場所や人などの見当をつけながら生活するのが難しくなることをいう。例えば、僕らは今がおおよそ何時くらいなのか、今居る場所はどの辺りなのかなど特別意識をしていなくてもわかる。しかし、認知症になるとそれらの見当をつけることが非常に難しくなってしまい、自宅でトイレが見つけられなかったり、介護している娘を看護師さんと勘違いしたりする。

このような機能障害が起こると、実際にはどのような感情が起こり、どのような行動となって現れるのかいくつかあげてみたい。

いち、不快。
僕らも度々経験するド忘れ。なにかのきっかけで思い出したりするけども、それまでは落ち着かない気持ちになり、僕らでも少なからずストレスになる。これが頻繁に起こった場合、そのストレスは慢性化し、常に不快な感情を抱くようになる。

に、不安。
「わからない」ということはとても不安である。自分の気持ちを伝える言葉がみつからないとき、知人が誰もいないとき、ここがどこだかわからないとき、なぜここにいるのかわからないとき、不安になる。
認知症は断片的に記憶が欠落するため、日常生活から「物語り」がなくなってゆく。つまり、時間の流れの生活ではなく、断片的な記憶の寄せ集めの生活に変化してゆくことになり、大きな不安を抱えながら生活していると思われる。

さん、混乱。
認知症は最近のことは頻繁に忘れるが、過去の記憶は比較的保たれることが多い。記憶障害と断片的な記憶の欠落が起こるため、現在と過去が度々混同されたりする。現在と過去がつながったり、実際には80歳でも自分のことを50歳だと言ったりすることがある。このような時間軸の混乱が起こると、何年も前に亡くなった両親が生きているような発言をしたり、20年前に退職した職場に出勤しようとするような行動につながってゆく。
時間軸は常に同じ年代に逆行するわけではなく、ある時は5年前と現在、ある時は20年前とつながったりと一定していないので、周囲の人たちを混乱させることも多い。

よん、勘違い。
認知症になると記憶の欠落が原因でよく勘違いすることがある。僕らの勘違いは訂正することもできるが、記憶が欠落して起こる勘違いは、自分の記憶が欠落しているという認識がないため事実と確信してしまい、訂正がきかない場合が多い。物盗られ妄想などがそれにあたる。僕らも大切に保管していたものが見つからなくなることはありがちなことだけども、僕らは自分がどこにしまったのかを考え、探しまわる。よほどのことがない限り盗られたと思うことはない。それは自分がしまったことを覚えているからだし、しまった場所を忘れたという体験の一部のもの忘れだからである。しかし、認知症の場合、自分がしまったこと自体を忘れている体験全体のもの忘れであるため、自分の探し物がないと盗まれたということになってしまうと考えられる。
その他にも被害的感情や、見捨てられ妄想とよばれるような行為も出現しやすい。

ご、抑うつ。
認知症の初期段階で、自分の行動に失敗が目立つようになっていることを自覚している人にうつ状態が起こることがある。
今まで問題なく仕事や生活をしてきた人が失敗することが増えてきたことを自分でうっすらと気がつき、さらに認知症が進行して様々な失敗を周囲から指摘されると自発性は低下し抑うつ的になっていくことが考えられる。

ろく、興奮。
認知症になると怒りっぽくなるという話をよく聞く。けども、興奮するには興奮するだけの理由がある。僕らも健康や家庭や仕事に大きな問題がなければ、多少のストレスには耐えることができる。しかし、病気がちのとき、仕事上、金銭上、家庭に問題を抱えているときなどは、ストレスに対する抵抗力は弱まりわずかな刺激にもイライラし、声を荒げてしまうこともあるかと思う。
認知症の方の内的世界を考えたとき、自分の居場所のない不安や、日常生活がうまくいかないことへの焦燥感、被害感、混乱などさまざまな問題を抱えているいことが予想され、かなりのストレスが蓄積した状態で生活していることが考えられる。誤った言動や行動に対する説得や強制的な態度、叱責、訂正などは感情を刺激しやくす、興奮状態を招きやすい。

なな、作り話。
僕らは情報の少ない部分を想像で補うことができるが「きっとこうなのではないかな?」という想像はあくまでも想像として理解している。しかし、認知症になると、無意識のうちに記憶の欠落を埋める作業をし、結果、その話は真実として認識されるようである。自分の生活史や日常生活での記憶の欠落してしまった部分を補おうとするため、話のつじつまがあうように話を作るため、事実を知らない人が聞くと本当のことと感じてしまうほどの真実味を帯びていることが多い。

認知症の基本症状は記憶障害・見当識障害・判断力の障害などであり、多くの認知症の方に共通してみられる症状である。これに対して、周辺症状は出現する人としない人がいるし、単独の症状で現れることもあれば複数で現れることもある。
周辺症状とは、幻覚・妄想・徘徊・異食・攻撃的言動・危険行為・不穏状態・不潔行為・性的脱行為・ケア拒否などをいい、いわゆる「認知症の介護は大変だ、、」というイメージの元になっている様々な言動のことをいう。
そのメカニズムは、認知機能障害が原因で起こる基本症状が背景にある。それに加え不安感や不快感、焦燥感、ストレスなどの心理的要因が作用して出現する。したがって、結果として現れる周辺症状のみをみて対策を考えても問題は解決しないことが多い。
徘徊を例にとってみる。仕事に行こうとしている人、家に帰ろうとしている人、トイレに行きたいが場所がわからなくなっている人、居心地が悪くとりあえずここから離れようとしている人など原因はその人やその状況に応じて様々。その人の内的世界でなにを見、なにを考え、なにをしようとしているのかをよく観察したうえで対応策を考えなくてはいけない。

そして、周辺症状は身体的・心理的要因によってのみ起こるわけではなく、なじみがなかったり、居心地の悪さなどの環境面が影響することもあるし、介護者との関係性によっても周辺症状が誘発されることがある。
例えば、認知症の方がトイレを失敗した場合、それをみていた介護者はストレスを感じる。そのため意識・無意識にかかわらず感情的になり失敗を責めたりすることがある。その対応は認知症の方に伝わり、不穏状態や攻撃的感情を誘発する。それがまた介護者の負担になりストレスを感じた結果、再び不適切なケアを行なうことになり、それによってさらに周辺症状が誘発される。
このような悪循環は介護者側から断ち切るしか方法がない。ただ介護者自身がこの悪循環に気がついていなかったり、悪循環を断ち切るだけの心に余裕がない場合もある。
したがって認知症のケアだけではなく、その介護者へのケアや教育もとても大切になってくる。

脳の器質的な疾患によって起こる認知機能障害を劇的に改善させる治療法は現時点ではないに等しい。だけども、心理的な要因が作用している周辺症状は、適切なケアや対応をすることで改善できる可能性は十分にある。

そのとき、その状況の中で、その人らしい生活を送れるように最後まで寄り添うようにお手伝いする。

それが僕の仕事。

※日本認知症ケア学会のテキストを参考にしています。