谷底本箱煙猫―おいしいおかゆ

長期滞在者

台所がおかゆでいっぱいになり、家じゅうがおかゆでいっぱいになり、それから、となりの家がおかゆでいっぱいになり、家のまえの道も、おかゆでいっぱいになりましたが、おなべは、まだ、ぐつぐつ、ぐつぐつにています。まるで、世界中を、おかゆでおなかいっぱいにしてしまいたいと、思っているようでした。

『おいしいおかゆ』より

熱があって学校を午前中で早退した日のこと。食欲がない私に母がお粥を作ってくれるという。めったにない出来事に私は大喜びした。病気になると、寝床に果物をむいて持ってきてくれたり、消化のよい食べ物を用意してくれたりと、家族がいつも以上にやさしくしてくれる、というのが本やテレビに見られる光景で、程度の差はあれ、どの家もそういうものだろうと思っていた。しかし、我が家は違っていた。高熱があっても食事の時間には「ごはんよ」とたたき起こされ、ふらふらと食卓につけば、目の前に揚げたてのとんかつが鎮座しているという具合だ。食べられないといったところで、何か代わりのものを出してくれることもない。ところがどういう風の吹き回しか、今日は念願の“病気の時のお粥”が食べられるのだ。ことこと煮ている湯気を感じながら数十分、ついにお粥がやってきた。私の目の前に現れたお粥には玉子が入っておらず、海苔の佃煮のようなものが溶かしてあった。いただきます、これで私も一丁前の病人だ。ところが、一さじ口に運んだ瞬間、泣きそうになった。まずいのである。湯気の中から立ち上る酢の香り、そしてわさびがピリッときいている。よく見ると煮た魚の切れ端のようなものも入っている。困惑する私に母親は言った。「昨日の夜の残りのお寿司で作ったのよ。」その後、私が二口目を口に運ぶことはなく、母は激怒し、私の“病気の時のお粥”デビューは散々なものとなった。そして、後にも先にも、母がお粥を炊くことはこれっきりだった。

今日のお話はグリムの昔話より『おいしいおかゆ』です。「ちいさなおなべや、にておくれ」というと鍋はお粥を作ってくれる、不思議な鍋の物語。娘が出かけた間にお母さんがこの鍋を使ってお粥を煮るのですが、お粥を煮るのをやめる呪文が分かりません。お粥は鍋からあふれだし、ついには村中がお粥でいっぱいになってしまいます。そこへ娘があらわれて、たった一言「ちいさなおなべや、やめとくれ」と唱えると鍋はぴたっとお粥をつくるのをやめたのです。うちに帰るまでにはお粥を食べて道を作らなければいけなかったのですけどね。この話、余分な描写もなく、本当にただそれだけの話なのですが、小さい人達をひきつけて止みません。毎回驚くのですが、この話を聞いた後、彼らは「ああ、おなかいっぱい!」と満足そうに言います。おいしい食べ物の話だと「おなかすいちゃった」となるのが常ですが、この話だけはどの子も満腹顔です。
さて、お粥は私にとって今も変わらず憧れの料理であり、調子が悪いな、という時には料理が不得手だった母のことを思い出しながら、“病気の時の「おいしい」お粥”を作ります。あの時、魔法の鍋があったなら!そして、母が作った巻きずしのおかゆは再現するのも身の毛がよだつので、今回写真はありません。

☆今月の一冊:『おいしいおかゆ(おはなしのろうそく1より)』(東京子ども図書館 編/東京子ども図書館)