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3F/長期滞在者&more

日なたの窓に憧れて

長期滞在者

台湾へ旅行したとき、友人がインスタントカメラをくれた。古道具屋で見つけたという古いカメラを手にしたわたしたちは、こどもの遊び相手のお人形みたいにいつでもカメラを持ち歩き、いつでも誰かが誰かを撮った。旅先から自分の日常に戻り、わくわくしながら現像に出したら、あまりに古いそのカメラにはほとんど何にも写っていなくって、茶色いテキスタイルみたいな、だるんと長いネガだけが戻ってきてガッカリしたのだった。しかし、他のカメラがなんとか写した、セピア色のフィルターを通したような数枚は手元に届いた。何年も時を超えてきたような不鮮明な写真は、楽しかった記憶をすぐそばまで手繰り寄せる。次に集まるときも、きっとカメラを持っていこう。そう思って、以前、写真家の植本一子さんにもらって大切に取っておいた「写ルンです」の封を開けた。(袋はもったいなくて捨てられなかったので保管してある)

大好きな友人の結婚式、アリスとひろしくんが遊びに来たとき、耕さんに会いに新潟へ行ったとき、カメラを持って行った。

ほとんど毎日、高松から小豆島の店に通って働いているので、小豆島の、小さな、小奇麗な写真館に現像をお願いした。古いカメラのリベンジだ。再びわくわくしながら受け取りに行ったら、店のおばあさんから「室内で撮影するときは、必ずフラッシュを焚いてくださいね」と言われてしまった。なるほど、披露宴の写真はうす暗く、級友の顔が判別できないものさえある。スマートフォンを構える友人たちの中で、サッとインスタントカメラを取り出して笑われたが(ついでに、数年ぶりに会ったのに全く変わっていないとも言われた)このうす暗い写真を見たら、また呆れられてしまうだろう。花嫁姿の友人は本当に美しくて、わたしたちは「天使~」「天使~」と口々に呟いては、事あるごとに泣いた。高校時代に彼女と過ごした時間がなければ、わたしは今よりもずっと嫌な奴だったと思う。

アリスとひろしくんとは、相変わらず、わざわざ集まっても何もせずに過ごしたから、撮った写真にも、ただ、ふたりが並んで食べたり撮ったり歩いたりしている姿ばかりが写っている。ふたりとも、こちらを向いて笑っている。よく歩いたな。珈琲を淹れる器具が一切ない我が家で、珈琲屋のひろしくんは、計量カップと麺棒と味噌濾しを使って美味しい珈琲を淹れてくれる。ベランダに座ってゴリゴリやる彼の後姿も、思わず写した。

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耕さんが、とってもいいのが撮れた、と言って楽しみにしていたのは、“貸”と書かれた大きな(めちゃくちゃ大きい)赤い看板の横で、頬を膨らませて、向けられたレンズから逃げようとするわたしの写真だった。耕さんは、かわいい!傑作!小鳥さん(川島)が撮ったのかしら?と言うけれど、全然かわいくない。だから写真を撮られるのは苦手なのだ。自分の顔を見ると、落ち込むから。
それでも、パソコンのフォルダには、大切にしている写真が少なからず保存してある。電話をしながらお互いの写真を送り合っていたら、ふと、耕さんと知り合った日の写真を送ってみようと思い付いた。海岸沿いで、作業をしている耕さんの背中を撮ったものだ。隠し撮り、しかも結構至近距離で。

もうすぐ、知り合ってから、ちょうど5年になる。わたしたちは一度も近くに暮らしたことがないので、手紙と、電話と、メールと、時々(一か月に一回だったり、半年に一回だったり)会うのを足しての、5年だ。そのうち数回、一切の連絡を取ることもしなかった期間(一か月だったり、半年近くだったり)がある。

先日の新潟で、一昨年の冬ぶりに宿泊した、古い小さな旅館の女将さんに「実は以前も一緒に泊りに来たことがあるんです」と伝えると、「お二人、一緒になったんですね!」と返ってきた。前回、二人で予約をして別々に宿泊したことを覚えてくれていて、同じ部屋を予約してやってきたわたしたちを見て、そわそわしていたらしい。「結婚をしているわけではないんですけど」と耕さんが答えると「ああ、そうですか、でも、よかった」アラアラ、と女将さんは、ほのかに興奮している様子に見えた。
こういうとき、どう答えたらいいのか分からず、笑って誤魔化すか、聞こえないふりをするのだが、耕さんはちゃんと受け答えをしてくれて「遠距離で大変でしょう」「そうですね、なかなか会えないので」みたいな会話を和やかに行ったりしている。耕さんは、いつの間にか、わたしたちが恋人同士であることを軽やかに肯定するようになった。

長い間、お互いのこころに触れることで精一杯だったわたしたちは、重さも、柔らかさも、その形も知らず、触ってみてもいいですか?と、確認しなければ、互いに向けて手を伸ばすことができなかったように思う。へっぴり腰は治らないくせに、もういいや、と放り投げることもできなくて、苦しい時期が長くあった。それでも、わたしたちは今も一緒にいる。手紙を送り合う回数が減った代わりに、会う回数が増えた。会いたい、と思ったら「会いたい」と伝えられるようになった。それに、二人で過ごしているときに、どちらも体調を崩さなくなった。すごい。

わたしたちは、きっと、これからも変わっていくのだ。

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しみじみと耕さんを恋しい気持ちになって、パソコンを閉じて家に帰ったら、ポストに紺色の袋が届いていた。差出人はないが、楽天からの荷物で、中には赤いビキニが入っていた。最近、耕さんは、わたしにビキニを着せたがっていた。冗談だと思って聞いていたのだが、本気だったのか。
センチメンタルな気持ちを掻き消して、真っ赤なビキニは袋に戻した。

中田 幸乃

中田 幸乃

1991年、愛媛県生まれ。書店員をしたり、小さな本屋の店長をしたりしていました。

Reviewed by
小沼 理

友人からもらった古いインスタントカメラには、ほとんど何も写っていなかった。大切な人からもらった「写ルンです」も、フラッシュを焚かなかったせいでうす暗いものばかり。だけど不鮮明な写真は、かえってその思い出を色濃く胸に留めさせる。

中田さんの描く日常は、いつもとても慎ましい。だけどそれが退屈にならないのは、感情のセンサーが人よりも多くを感知しているからだろう。そして彼女のまわりには、同じような感受性を持った人が集まってくる。派手な、夢みたいなことよりも、ささやかな日常の中に無限の交歓を見出す人たち。
中田さんと知り合ってもうすぐ5年になるという耕さんにも、きっとそういう一面があるんじゃないかと思う。二人は「手紙と、電話と、メールと、時々(一か月に一回だったり、半年に一回だったり)会うのを足しての、5年」で関係を深めてきた、恋人同士だ。簡略化して言えば、遠距離恋愛の恋人たち、ということになるのだけど、中田さんの文章を読むと、二人がそんな属性だけを抜き取った言葉では言い表せない関係を培ってきたことが感じられる。

そのじっくりと時間をかけてお互いを知っていくやりかたは、苦しいこともあったと思うけど、中田さんにはすごく合っていたんじゃないかな、と思う。手紙の行間や電話越しの声、会った時の目線。些細な信号からあまりにも真面目にその奥にある心を読み取ろうとして、頭を悩ませる姿が浮かぶようだ。

そして、この文章はそれだけでは終わらない。そんなゆっくりとであった二人の関係が、これからも変化を続けていくこと、そしてそれはきっと良い方にであるという予感までが描き込まれている。そこでは長い月日をともにした二人の信頼と、恋のはじまりのような鮮やかさが両立している。

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