美をめぐる断章1

長期滞在者

eyecatch

満月よりも、満ちる途上にある月が好きだ。
かけたものが満たされていく様は、動的な余情を生む。
美は凝固することを嫌う。流動性こそが美に命を与えている。

人間の認知活動の根源には「ないもの」を何かに代理させることによって想像するという働きがある。不完全さは一なる状態への憧れを生み出す装置である。岡倉天心は「故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させる」と、茶室における不完全崇拝を説明した。

どこで聞いたのかは忘れてしまったのだが、「歌の本質は恋である」と誰かがいっていた。とりわけ、かなわぬ恋、亡き人への恋は、対象との合一を求める心を強く掻き立てる。

万葉集には、この上ない親しみを込めて恋人、妻、姉妹を呼ぶ「妹(いも)」という美しい言葉が多く使われている。

紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(大海人皇子)

この歌の「妹」はかつての妻で、いつの間にか兄である天智天皇(中大兄皇子)の妻となっていた額田王(ぬかたのおおきみ)。「紫草のように美しい香りの」という最上級の誉め言葉まで添えられた「妹」には具体的な個別性がある。天智天皇も同席の上の単なる戯れ歌という話だが、この「妹」という言葉によって、もう手に入らない、かつての妻を狂おしく思う心がより一層強まっている(この確執が壬申の乱のもとになったという説もある)。

対して古今集では「妹」の代わりに「君」や「思ふ人」が用いられるようになる。越知保夫は「古今集が万葉集の「妹」ということばを排したということはそれのもつ身体性個別性を嫌ったからである」、「万葉の「妹」が人を具体的な個別的な関係の中にひきとめるのに対して古今集は人を現実的な関係から純形式的な関係へと解き放つ」と指摘する。個別の対象を離れたものは、合一を求める狂おしい感情と引き換えに、ロゴスを獲得し、普遍への志向を生む。

ロゴスは分節し、意味を生成し、形式を発生させることで個別の対象を離れ、距離を生む。これは合一を求める心、離れたものを結び合わせるエロスの力と相反する。個別の存在を離れた「空」のイデアはやがてそれ自体の無限の追及を始めることになる。このポイントが日本における芸術の始まりなのかもしれない。

参考文献:
岡倉覚三『茶の本』(村岡博訳)青空文庫
越知保夫「好色と花 ―エロスと様式」(『越知保夫全作品』(慶應義塾大学出版会)収録)
中沢新一『日本文学の大地』角川学芸出版