読書あたりのえとせとら1

長期滞在者

eyecatch

ツイッターを眺めていたら本棚の写真に目が止まった。
普段、つい気になってしまうのは自分と近い趣味の本棚だ。

今日気になった本棚はそれとは少し違う。
まずは背表紙が並んだ佇まいに目が止まった。
判別可能な本のタイトルを眺めてみると、どの本も面白そうながらうちにはない本ばかりだった。
この本棚の持ち主は写真家で、私と同い年だ。
どうみても好みなのに自分が選ばなかった本たちがずらりと並んだ本棚は、なんだかパラレルワールドみたいで面白い。

本にも「お隣さん」というのがある。ある一冊は別の一冊へと読み手の独自の感覚でつながっていく。
もちろん、一冊一冊は独立していて、それを読むときはその本の固有の理にダイブする必要がある。
つながりや連想は後からの理由づけにすぎないかもしれない。
しかし、誰がなんと言おうと、そこには有機的なつながりがある。

ふと気になって、日向ぼっこをしながら今までに読んだ本の冊数をざっと勘定してみた。
5〜25歳までは1日平均2冊として14400冊、25〜35歳までは1日平均1冊として3600冊、過去5年は2日で1冊平均として900冊。合わせてもわずか18900冊、仕事や勉強のために部分読みをした本を合わせてみても2万冊を超える程度だろう。冊数が減っているのは、どちらかというと読むのに骨が折れる本がだんだんと多くなってきたからで、基本的な読書時間は減っていない。

読書は冊数ではない。けれど今まで(ちゃんと)読んだ本の数がわずか2万冊という大まかな数を目の前にして、愕然とした。残りの人生でいったいあとどのくらいの本を読めるんだ?

生あるうちに読める本の数はとても限られている。
だから反対に「本をまったく読まない」というのもまた一つの生き方だと思う。

もし徹底して読むのであれば読書家による選書は指針となるだろう(どんな本を読んできた人がどんな人なのかを観察するのは面白い)。人生の長さと読書の効率(はたして読書に効率が求められるのかどうかは別として)を考えるならば、定評のある文学全集を若い頃に読むのは良いことだろう。

自分が見つけた(と少なくても思い込んでいる)ものにしか、人は強い関心を抱かない。
だから若くてエネルギーも時間もある頃は「人の選んだ全集なんか死んでも読むもんか!」と思うかもしれないし、それは自分もそうだったのでよくわかる。しかし、賢い人はいいとこ取りをする。

読書にも広げる季節、流れる季節、そして深める季節がある。広げるばかりだと深まらない。流れるものは身につかない。
かといって守りの姿勢に入ればせっかくの宝を逃してしまうかもしれない。

あと20年弱、もし60歳まで生きることができたならば、小さな本棚に入るくらいの量の本を選ぼう。
そしてそれを少しずつ再読しよう。
それまでは広い世界をもう少し眺めてみたい。
読書の冒険は続く。

(写真:書斎の本棚より)