Effortless…

長期滞在者

My beautiful picture

何かを得るために努力しなければならないと、生まれた頃から世間は押し付けてきた。学校に入るための努力、大学に入るための努力、社会人になるための努力、写真家になるための努力、何か名前やステータスを得るために、この世界ではどうも努力しなければならないらしい。「努力」という漢字の中にさえ、僕を産んでくれた女の力が見える。
母ちゃん、ごめんね。30年間生きていて、僕が本当に幸せだと思ったことは僕の努力なしに叶ってしまった。初恋をした時、僕は一切努力をしなかった。恋が雷のように僕の中にただ落ちていた。空の美しさを感じることも、友達との出会いも、表現したい気持ちも、努力せずとも勝手に現れた。そして今になって、僕はこう思う、僕であることさえ僕の努力の概念外にある。全ての努力が僕を僕から離していた。
そう、僕は努力もせず僕である。

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小学校二年生の時のこと、俺の目の前で子供が轢かれた。全てがあっという間の出来事で、道路に伸びた赤い線が、子供の内蔵だったことに気づいたのは遥か先のことだった。
運転手のおじいさんが車から降りてきた時すでに涙目だった。真っ赤に染り抜け殻になった小さな体を持ち抱えて、天に悪口を吐きながらどこかへ走った。
死については考えなかった。死について考えても仕方が無い。いない恋人を想像することと同じだ。影を追いかけるみたいのもんでしょう。
俺は人が天に悪口を吐くことについて考えた。今でも考え続ける。
仏教の知恵は、人生で何をしたって最後の瞬間に全ては無駄に感じることだ。どんな仕事をやっても、人に光を与えない限り、全て無駄。巻き込まれた人生のなかに一息する時間もなくなる。最後の一息をするまで。でも全て無駄だ。人のために生きること以外。それを認識することが人生の意味を知ることのようだ。
クソやろ!このクソやろ!あんたに同情は無いのか、このクソやろ!? のようなことをおじいさんが叫んでた気がする。