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3F/長期滞在者&more

箱蛍

長期滞在者

かなり寒くなってきたので服装とか厄介なのだけれど、あいかわらず夜行自転車を続けている。
防寒しすぎると汗の逃げ場がないし、風を通しすぎると風邪をひく。難しい。
しかし冬は空気がしんと澄んでいるし、夜の光がよく見える。
暖かい時期には靄ってしまっていた仄暗い遠景が、目を凝らせばすーっと暗部が持ち上がって景色に結像していく。
明暗は逆だけれど、現像液に沈んだ印画紙からじんわり景色が立ち上がってくるような。

以前『黒い川』で紹介した藻川西岸コースを、最近は逆に走る(北上する)ことが多い。
尊坊河原とその周囲のきらめく墓石群を抜けて斎場横の名神高速高架を抜けると、明かりの少ない黒黒とした土手道に入っていく。ヒャッケンの小説に出てきそうな暗い土手だ。
いったん明るい幹線道路を横断するが、そのあと土手道はさらに数段暗くなり、漆黒の川脇を前照灯二個点けにして走る(この道のためにわざわざ二つ用意している)。かろうじて道端の白線が前照灯で浮かび上がる程度の黒い世界。この黒さが、ものすごく気持ちいい。
ずっと黒い空間を走っていると、自分が大きなカメラ・オブスキュラの中にいるような気分になる。今自分はこの巨大な暗箱の中に、自分の走路の形に露光をかけて回っているのだ。

印画紙を敷き詰めた大きな暗箱の中にホタルを放したらどうなるんだろ。もう誰かやってるだろうか。
ピンホールのあいてないピンホールカメラ。いやノンホールカメラ。
現像するときに暗室内で箱を分解しなきゃいけないので、中に入れておいたホタルが暗室内に飛び出すことになる。さぞや素敵な眺めだろう。
あ、その暗室の壁にも印画紙貼りわたしておいたら面白いかもしれない。
入れ子のノンホールカメラ。マトリョーシカ暗箱技法と名づけよう。
そこまで広くなると、さすがにホタルでは感光しないかもしれないな。数を増やせば大丈夫だろか。どこでホタルを調達する? 僕らが小学生くらいの頃には近所の川べりに乱舞していたものだが、そういえば野生のホタルなんて何十年も見てない。

自分がそのホタルになって、藻川西岸を走る。
夜道がそのまま巨大な印画紙だ。
この広大な印画紙世界をどうやって現像するのかとか深く考えない。画像として出てこなくてもいい。潜像を刻むだけでいい。

夜行自転車で恐怖を覚えるのは、漆黒の川でも墓石群でもない。黒い服を着た散歩者や、無灯火で走る自転車である。
歩行者の黒い服には悪意はないのであるから全力でこちらが気をつけなければならないが、無灯火自転車、あれはなんとかしてほしい。
無灯火で自転車乗ったら罰金百万円とかにすればいいと思う。
あいつら、ライトは自分のためだけじゃなくて、闇の中で自分を識別してもらうために点けるのだということがわかっていない大馬鹿野郎である。
無灯火で前方から走って来られると、暗い川沿いの道では本当に寸前まで気がつかない。何度ひやっとしたかわからない。
なんとかかわしてすれ違ったあと、僕は心の中で毒づくのである。
「お前、露光されねーぞ!」

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カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

暗箱に印画紙を敷き、中に蛍を何匹か入れて露光させ、像を出したひと・・・を知っているような気がする。

この話を読んで、そういえば、と思い、その写真・・・というか露光のあとを見たのはネット上だったと思ったので、自分の記憶が正しければここかここだろう、という2つのページをぐんぐん遡り、見ていった。
が。一向に見当たらない。結構な時間をかけ、投稿を全て遡ってしまった。

わたしの全くの見当違いだったのか、当時はあったけれども何かしらの理由で削除したのか、どちらかはわからない。

う〜ん、見たとしたらあの人の、なんだよなぁ、ともやもやする。

やはり見当違いというか、ただのわたしの見たような気がするという思い込みだろうか?
いやいや、いかにもその人は「そういうことをしそう」、と思っても、流石に本当になにも見ていないのなら、今回この話を読んですぐにピンときたりはしないはず、とも思いつつ。

このようなあやふやな記憶の中でのことなので、鮮明に思い出すことはできないのだけれど、綺麗というよりかは少しおそろしいような、太く蠢く線の画で、「うわ、」と思った、そんな気はする。

見たとすればきっと2009年とか2010年とか、そのくらいの時期なはず・・・
生でその印画紙を見た記憶はない・・・
ただの蛍の大群の長時間露光の写真だったんだろうか??
いやしかし、これと間違えたのかな?と思うことのできそうな写真も見当たらない・・・

なんだか、そうやって記憶を辿るのだけれど、わたしの頭の中の潜像も、潜像のまま長く放置してしまったので、像が劣化してしまったらしい。

そういえば、去年ベトナムで見た蛍は、かなり細々と光る小ぶりな品種で、簡単には見つけられなかった。
ツアーガイドに間近までボートで寄せてもらい、(川岸の植物にとまっているのを陸地ではなく川側から見た)少し先を指差されるのだが、「え?」と、友達と目を凝らして探さねばならなかった。
あの太い線は、あの品種には引けまいよ、と、関係ない蛍の記憶を重ねたりかけわせたりしてみてもやはり思い出せない。

そうしてああでもないこうでもないと思いながら、ひとの頭の中にある印画紙は、繰り返し現像を試みることでたとえ何も露光されていなくとも、模様みたいなものが浮き出てしまうことがあったりもするし、それが何か意味のあるものに見えてきたりもする。
劣化した像の浮かぶ頭の中の印画紙に、急に光がぴしゃりとあたり、局部的に反転画像があらわれたようになっているのかも。

そうも思うと、もう、どこまで本当かわからなくなった。

感光しちゃった気分である。

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