Joy of missing out

長期滞在者

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 4月、わたしは小さな選択をした。ずっとやりたいと思ったことに、挑戦しないという選択だ。

 挑戦をしないというのは、諦めのようでもあるし、成長を拒むような行為に思えるだろう。だけど、自分ときちんと向き合ったときに、今が挑戦のタイミングではないことは、自分自身がなによりも理解していた。今のわたしに必要なのは、新しい挑戦でなくて、今の自分の置かれている状況で、いかに健やかに生きていくかということだ。

 わたしが挑戦しなかったのは、ずっと働きたいと思っていた企業の、ずっと働きたかったポジションの求人に応募しなかったこと。求人を目にしたとき、口から心臓が飛び出すくらいの衝撃で、今すぐに応募しないとと思ったけれど、悩みに悩んで、今回はそのチャンスを見送ることにしたのだった。

 わたしは以前、その企業でリテールスタッフとして働いていた。その企業の、理念や取り組みなどエシカルな側面が特に好きで、たくさん勉強したし、自分なりではあるものの、努力して働いていた。正直、これまでの仕事の中で、最も人として成長ができた企業だった。2年前に東京に戻ってくるのをきっかけに、一度その企業を離れたけれど、本当はその企業で働き続けたいという思いが、ずっと心の中に残っていたのだった。
 企業を離れる前も、別のショップに移ることを考えたりもしたけれど、本当は東京のオフィスに異動したいと思っていた。翻訳など英語が必須であることはことはわかっていたから、言語に関わる業務をやりたいと思っていたのだった。当時そのポジションの求人はなかったし、自分の希望を上司に伝えてみても、言語は前提条件で、そのほかに明確にやりたいことがないと無理だと言われたのだった。今になって思えばそのときにもっと強く自分の希望を主張したり、伝わっていなかったことをもっとうまく説明するべきだったことはわかっているのだけれど、それがわたしにはできなかった。

 この話をしたタイミングもよくなかったのかもしれない。病名などはつかないものの、若い頃からずっと自己免疫疾患系の自覚症状があって、当時もあまり体調が良くないことが続いていた。シフトワークは、体調が悪くても休めないし、私が働いていた店舗はモール内であったこともあり、朝は早く、夜は遅くまで営業していたから、必然的に不規則な生活にならざるを得なかったことも、体調不良に拍車をかけていたと思う。(おまけに人手不足でもあった。)
 この状況に重ねて、親知らずの抜歯が必要になった。できる限り仕事に影響がでないように、抜歯入院した際に摂取した抗生物質の影響で、退院後に女性特有のもろもろの体調不良に見舞われた。シフトワークだから辛くても、なかなか休みがとれなくて病院にもいけないし、ようやく休みがきても病院が営業していなかったり、必要なときに、必要な休息や、治療が受けられない状態になっていたことも、心身ともに大きなストレスになっていた。
 そんな状態で、上司に相談していたものだから、良い方向に進まなかったのは仕方がなかったのかもしれない。他のショップに移っても、きっと同じことが繰り返されるだろうと思ったし、ポジティブな気持ちで異動について考えられなくて、その企業を離れることにはしたけれど、心の中では納得ができていなかったのだと思う。やり残したことがあるっていう、そんな気持ちがずっと残ったままだった。

 そんなこともあって、言語関連業務のポジションが公開されたときには本当にドキドキして、エキサイトしたのだけれど、その一方、こころのなかでは防衛反応が働いていた。
 わたしは今、中枢性尿崩症、下垂体腺腫、エンプティセラ症候群という3つの下垂体疾患を患っている。去年のGW明けに発病してから、ただ普通に生きることがとても大変になった。ここでは詳しくは書かないけれど、正直、現在は仕事に行くことも難しいことも少なくない状態だ。体調の変化に、こころが追いつかないことも多い。今年の4月、5月はとくにひどくて、この先まともな生活ができるのか、気持ちも塞ぎ込んでしまっていた。
 ただでさえストレスに弱い状態になっているし、明日、いや、数時間後の体調も読めない状態で、新しい職場での人間関係や、自分のスペースを築いていくだけの体力が、今のわたしにはないと言わざるを得ない。そんな状況を冷静に省みたとき、わたしにはどうしても、今が新しい環境、新しい仕事、新しい挑戦のタイミングではないと思えた。
 これまでのわたしだったら、きっと少しくらい無理してでも挑戦していたと思う。なにせ心残りで気持ちが宙ぶらりんになったままだったから、余計に挑戦したい気持ちは強かった。でも、今はそのタイミングではないと判断して、わたしは挑戦することを見送った。
 

 そう、そういう風に自分で決めたはずだった。だけど、この2ヶ月間ほどの間、本当にこれで良いかのかって悩みもしたし、自分の決断が正しいのかわからなくて、やきもきすることもあった。だって、挑戦しなかったことに後悔したら、一生心残りのままになることだってあるかもしれないでしょう?これが、わたしの最後のチャンスかもしない、って思ったりもしちゃうでしょう?だって、自分が正しい選択をしているのかわからなかったら、不安になるでしょう……でも、小さなことで、この不安が一層されてしまったのだ。

 先日、出勤時の習慣になっている朝のウォーキングで、新宿駅を目指して歩いているときにそれは起きた。甲州街道の向かい側、緑が多い方の歩道に渡るために信号待ちをしていたとき、いつも聞いているThe MinimalistsのPodcastから、こんな言葉が聞こえてきた。

No matter what, we always miss out on something; therefore, it’s important to replace ‘the fear of missing out’ with ‘the joy of missing out.’ (The minimalists Podcast 094/Budget)

(どんなことであっても、わたしたちはいつも何かを逃してしまう。だけど、大事なのは「逃すことへの恐れ」を、「逃すことの喜び」に置き換えていくことだ。)

 Podcast のテーマ自体は、生きていくうえでの収支のバランスについてで、いかに”Good deal”を逃さないようにしたら良いかという視聴者からの質問への回答だった。この回答は、信号待ちをするわたしの心に、別のアングルから刺さってきた。
 たしかに、どんなことについてでも、わたしたちは求めているものを全て手に入れることはできないし、お金や、チャンスを逃すことだってある。どんなに頑張っても、手の内から、溢れ出てしまうものがでるのは、とても自然なことで、生きている以上仕方がないことだ。
 憧れていた仕事へのチャンスを逃しているのではないかという不安と、今の自分の選択が体調不良による諦めなのではないか、成長を拒む行為なのではないか、逃げているだけなんじゃないかと恐れていたけれど、わたしはただ単純に自分の体の声ときちんと向き合って、今の自分がより必要なことを選んだのだ。だから、この仕事のチャンスを逃すという恐れから、自分自身を解放してあげないといけないと思った。どんなに良い仕事でも、命とはリプレイスできない。一番大事なのは、今健やかであること。健やかであるために、できることに尽力することだ。

 信号が青に変わって、向かい側の明るい木々の生える方へ一歩ふみだしたとき、自分の体から、自分自身の抜け殻がすーっと抜けていくのを感じた。つまさきから、すべてが抜けでたとき、太陽の眩しさと緑の暖かさに包まれて、これでいいんだって思えた。チャンスを逃しても、またきっと別の機会が訪れる。逃すことの喜びと、今生きているということを、シンプルに受け入れたらいいんだって思えた。