そして私達は廻る

メニハ ミエヌトモ

先日、「参鶏湯」の作り方を教わった。

参鶏湯の作り方だけではなく薬膳の事も教わったのだが、韓国の薬膳の考え方も面白くて、日本にいる私達の生活にも共通して考えられる事ばかりだったし、何より「薬膳とはその人に合った食べ物を食べる事」という言葉に共感した。

人それぞれ体質も違えば体調も違う訳で、流行りのスーパーフードが万人に良いかと言えば必ずしもそうとも言えないと思うのだ。

因みに参鶏湯は韓国では主に夏に食べられるのだそうだが、(必ずしも夏限定、という訳ではないらしいが)恐らく日本でいう「鰻」のような存在なのだろう。

日本では江戸時代、夏になると甘酒が売られて飲まれていたらしいが、実は甘酒、「飲む点滴」と言われる位栄養価が高くて消化が良い。

鰻と言い甘酒と言いどうして夏なのだろう?と思ったのだが、昔は夏に亡くなる人が多かったらしく、いかに暑さで体力を奪われる夏を乗り越えるか、という事が大切だったのか伺える。

昔の韓国の事情はよく分からないが、考え方としてやはり夏は体力が落ちやすい、という事のようだ。

で、その参鶏湯がまた美味しくて美味しくて、もう驚いたのなんの。

丸鶏をじっくりと煮込んでいるため鶏肉はホロホロと崩れ、鶏の旨味がたっぷりのスープは一口飲んだ瞬間にその美味しさに一度驚き、ため息が出るのだ。

そしてスープの旨味はやがて体にジワリと染み渡り、食べた後は暫く汗が止まらず身体がホッカホカ。

これは作らねば!と思ったので丸鶏を入手し、家族にも食べさせたのだが、最初はそのまま、半分位減ったらキムチ(乳酸発酵した酸味のあるキムチがベスト)を投入し食す。

ああ、幸せ。

時間のかかる料理が私は好きだ。

煮込んでいる時間やじっくり炒めている時間の「食べるまでの間」というのは何とも嬉しさと楽しさと期待に満ちている。

だから普段は時短料理でも、たまに休みの日やここぞという時は時間をかけた料理を作る。

きっと保存食作りや発酵食作りが好きなのも「食べるまでの間」があるからなのだと思う。

世の中「スピード」がどんどん増して便利になっているけれど、時間がどんどん減っているように思えるのは私だけだろうか?

閑話休題。

日本には四季がある。

春に動植物は目覚め、夏には生命力を増し、秋に実をつけ次の準備に入り、冬に蓄える。

面白い事に冬の寒さが厳しいほど植物はそのストレスから養分を糖分に変える。
(だから「雪の下にんじん」とか「寒じめほうれん草」などと名の付く野菜は非常に甘味があって美味しい)

そして寒さに晒された種は春になると発芽する。

人間の体もまた、季節によって微妙に変わり、それを補うように旬の食べ物がある。

それぞれの国によって気候も異なれば食も異なるし、採れる食べ物も違っていて、改めて「よく出来ているな」と感心してしまう。

だからやっぱりその土地の人に合った食べ物はその土壌で育ったものなのだと思うと「身土不二」という言葉がスコンと腑に落ちる。

さて、季節や植物の動きを見ていると「廻っている」事がよく分かるが、「廻っている」事は四季や植物だけではない事を改めて認識したきっかけとなったのが私の場合、「発酵」だった。

私は発酵を通して色んな事を考えさせられたと思う。

勿論今までだって何かを通して考えさせられる事や、そこから導き出された私なりの解釈や答えはあった。

けれど、発酵はその中でも私にとってダントツだ。

何故なら発酵の世界には生命の営みとサイクルがあるからだ。

発酵の世界を覗いているととても不思議な気持ちになる事があって、例えば日本酒1つとっても、一つの菌の作用がぐーっと強くなる時期があり、その菌がピークに達した時、その力は次第に無くなっていき次の工程の菌や酵母の働きが強くなり、そして最終的には「熟成」に入る。

その仕組みを一言で言うならば「菌のバトンタッチ」ならぬ「世代交代」だろうか。

そして最終的には熟成に入る。

ただし、ベストな熟成に入るにはそれぞれの菌がしっかりとやる事をやって燃え尽きた(?)状態にならなければならない。

つまり中途半端な働きでは次のバトンタッチは出来ないし、やって来ないのだが、これを歴史や人生に置き換えたとき、何だか似ているなあと思ったのだ。

時代というのは1つの勢力が長く続いた事はあったとしても、ずっとは続かなくて
どんなに幅を利かせていてもその勢力のピークを迎えた後は下り坂になり、次の勢力へと変わる。

その変わり目は特に混沌としていて、何が起こっているのか、進んでいるのか退化しているのか分からなくなることさえあるだろう。

そしてそれは時代だけの話ではなく、個人的な人生の動きにおいてもやはり同じ事が言えると思うのだ。

人生においても「変わり目」というものが何度かある。

もしかしたらその「変わり目」は自分で決めた事かもしれないし、望んでいないけれどそうなってしまった事もあるかもしれない。

けれど、実は物事には良いも悪いもなくて、もし自分の人生や世の中が熟成に向かっているとするならば、これは自分にとって(もしくは世の中にとって)必要な事なのかもしれない、そう私は考えるようになった。
(勿論そう思うまでに時間がかかった事は多々あるけれど)

だとすれば自分の出来る事はただ一つ、目の前にある事を一生懸命にこなすしかない、という事になる。

菌の法則からすればそこから必ず「次のバトンタッチ」がくるはずだからだ。

発酵や腸内細菌に物事を置き換えると妙に納得する事が私は多くて、今では私の中で「絶対的法則」となっている。

大きい世界も小さい世界もそのサイクルの大きさは違えど「循環している」。

世の中も、生命の営みも、私達の考えや思いも、身体の中の仕組みも全て「循環している」。

それが自分の中で腑に落ちたとき、その循環の輪の一部に自分がいて、その循環からすれば自分は「点」かもしれないけれど、だとすれば尚更、自分は死んだら土に還りたいとある時期から心底思うようになった。

微々たるものだろうが、もしも自分がこの地球上の栄養素になり土壌貢献できてそれがまた廻るのだとしたら、何て素敵だろうと思ったからだ。

・・・が、実際は日本ではそれは許されない事だったと気が付き(日本は火葬と決められていますからね)夢は儚く散ったのだが、ここである問題を知る事となる。

今、死体が腐りにくくなっているそうだ。

普段食べている添加物の「防腐剤」の影響だそうで、微々たるものでも蓄積されるのだと思うし、年齢と共に排出もされにくくなってくるのかもしれない。

これでは仮に土に還ったとしても土壌貢献しているのか分かったものじゃない(逆に迷惑なんじゃなかろうか)。

気が付いたら私達の身体はなんだか「循環」から程遠い所に来てしまっているのかもしれないな、とその時思ったのだが、その瞬間、途方もなく寂しい気持ちになってしまった。

寂しい、というより悲しい、かな。

さて、話は変わるが少し前に東北大学大学院農学研究科 生物産業創成学科専攻・食品機能健康学科の一般講座が行われて行ってきたのだが、その話が非常に興味深かった。

その先生は主に乳酸菌の研究をしているのだが、その話の中で、今、家畜に投与する薬(主に抗生物質)を減らすにはどうしたらいいか、という事で乳酸菌と家畜の研究をしている、という話をしてくれた。

日本の家畜と薬の問題はそろそろ限界が来ているのではないかと私も思う。

家畜は基本的に薬漬けである、という話は聞いた事があるが、その先生が言うには「その
薬漬けの家畜を食べ続ける事によって将来、抗生物質が効かなくなる「人」が増えるのではないか」と危惧していた。

抗生物質を使うと家畜が太る、という事を以前ある生産者の方から聞いた事がある。

家畜の病気を予防する事もあるけれど、太らせるためにも抗生物質は使われる。

日本では成長ホルモン(肥育ホルモン)を使えないからその代わりに抗生物質を使っているというけれど、家畜達に耐性菌が見られ始めた今、抗生物質を減らす、もしくはその代わりとなるものを探さなくては大変な事になると思う。

そして忘れてはいけないのが、その肉を人間が食べるという事。

抗生物質はとても大切なものである事は百も承知だからこそ、人間だって動物だって「ここぞ」という時に使えない事を考えると怖い。

これは生産者だけが考える問題では決してなくて、本当は一番考えなくてはならないのは消費する我々だと私は思うし、消費する側が「どんな物を食べたいか、作ってほしいか」という事を意志表示する必要があると思う。

そして消費者は生産者を守らなければならない。

乳酸菌に、家畜業界での活躍を心から期待する。

さて、今回でこのコラムは最終回となります。

アパートメントのコラムを書かせて頂いている間、近くのお寺で拾った猫はすっかり我が家の一員となり、こうしてパソコンを打っている間もキーボードの上を歩こうとしたり、実際に歩いて変なボタンを押してしまったり、マウスにネコパンチをしたりと和ませてくれる存在となりました。

そしてコラムを書かせて頂いている間に仕込んだ今年の味噌は発酵を始めていて、年末に仕込んだキムチは良い具合に酸味を帯びてきて、我が家の食卓を楽しませてくれています。

そう考えると時の流れは何だか早いな、と思うし、約一年後に出来上がる味噌が完成する頃また同じ事を思うのかもしれません。

そして梅の時期が来て私の胸はときめくのでしょう。

菌の動きは目には見えないけれども確実にいる存在で、私達の身体や生活を支えています。

そして私の腸内細菌は今日も善玉菌と悪玉菌が勢力争いをしていて、日和見菌はどっちに加勢しようか迷っているのかもしれません。

あとは「自分自身」がどちらの勢力を高めたいかで勝敗は決まり、そしてそれは毎日続き、我々が食べたものを腸内細菌がビタミンや栄養素に変え、体内にそれは廻ります。

そう、私達は廻っている。

この事は絶対に忘れてはいけない、と私は思っていますし、微生物からメッセージがあるのだとしたら、これなのではないかと思っています。

今回こちらのコラムを書かせて頂いて、改めて自分自身が発酵の何にこんなに感動しているか、全てではないにしろ分かったような気がします。

そのきっかけを作ってくれた可愛い姪っ子に感謝です。

姪っ子には発酵の面白さを会うたびに話していて、だけどきっとそれは「きっとこの子なら発酵の面白さを分かってくれる」って感じていたからだと思います。
明、ありがとね。

そしてお忙しい所、毎回コラムレビューを書いて下さったはしもとさん、ありがとうございました。

はしもとさんとは、たまに出来事が被る事が面白くて何だか嬉しかったです。
はしもとさんの「おなおし」のコラムを読ませて頂いていると、必ず頭に浮かぶのが「醤油を作る時の木桶の樽」でした。

今はもう、醤油を木桶の樽で作っている所は少ないと思うのですが、運よく木桶の樽で醤油を作っている所で見学をさせてもらった時、新しい木桶の樽には醤油をつくるための菌がまだ住み着いていないから、いっぱしの樽にするには数年という時間がかかる、という話を聞きました。

そして時間をかけて出来た樽は、なんとも言えない醤油の味を作り出すわけです。

この「醤油の木桶」は「おなおし」にも似たものを勝手ながら感じます。

本当にありがとうございました!

そして、私を受け入れてコラムを書かせて下さったアパートメントの管理者の方々に感謝です。

上手く言えませんが、行動力のある人達というのはすごい!とずっと思っていました。
私は残念ながら行動力に欠けるので(瓶や樽を覗き込む事が多くて(笑))何だかよい刺激を受けたな、と思います。これからもこの活動を陰ながら応援させて下さい。
そして沢山の発酵情報もありがとうございました!

最後に、読んで下さった方々ありがとうございました。

拙い文章ではありますが、もし少しでも発酵に興味を持って下さったのならこんなに嬉しい事はありません。

自分の手と微生物の力を借りて何かを作る事はとても感動しますし、美味しさも格別です。そして何より自分の身体に合ったものが出来上がると思いますので是非おためしを。

さて、今まで参考にした文献です。
どの本もとても面白いのでおすすめです!ご興味がありましたら是非。

「一生病気にならない、脳と身体が強くなる食事法「腸の力」であなたは変わる」
― デイビット・パールマター/クリスティン・ロバーグ 著  白澤卓二 訳
「天然酵母のおいしいパン」 - 相田百合子 著
「発酵マニアの天然工房」 - きのこ 著
「発酵食品学」 - 小泉武夫 著
「くさいはうまい」 - 小泉武夫 著
「麹のちから!」 - 山本正博 著

菌の数程感謝を込めて。