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お直しカフェ (3) 工夫を繰り返すうちに型ができたり遊びが生まれたり

お直しカフェ

私はカフェが好きだ。北千住のBUoY(ブイ)というアートセンターの中にあるカフェで月に数回店番をしている。ひょんな繋がりから人生3度目となるカフェ開業、構想や内装施工からに立ち会った思い入れのある店だ。元銭湯とボーリング場という廃墟同然だった場所を最低限の手直しで劇場やカフェにした、ヘンテコな場所。

私が店番をしていて好きなのは、一日中その場所のことを考え、整えながら、誰かがやって来たらその一角を明け渡すようなところにあるなとふと考えた。店を開ける日は、朝なるべく家でコーヒーを飲まない。それで、到着してまずお湯を沸かしてテストの一杯を淹れて(この時コーヒーまわりの機材を徐々に整えはじめる)ひとくちふたくち飲んで、体にカフェインが巡る感覚をほんの少し感じたのち、テーブルやトイレの掃除をはじめたり、客席に水とグラスを出したり、少しずつ場所を整え、そこに体を馴染ませるような小さな儀式がある。毎日自分が立つ店じゃないのでなおのこと、前に来たときとのものの配置の違いや、そのとき置かれている花や植物を少しずつ視界に入れながら、今日はここで何をしたらいいかゆっくり考えはじめる。ニューヨークやブルックリンの倉庫街みたいと言えば聞こえがいいかもしれない、永遠に工事現場みたいな元廃墟然としたその場所の、今日はどこを整えようかなと、時折客席の方に座ってコーヒーをすすったりする。

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店に到着して、飲み物を頼んで、少し待って、ひとくち飲む。同じような小さな儀式が、場所を訪れる全ての人にやってくるから、カフェという場所は、見ず知らずのところであっても、ある種の居場所性を担保できるのではないか。そういう取って付けたことを今少し考えた。はてさて今回は、何かひとつのことを紹介するというよりは、最近身近にあったお直しのかけらのようなものをパラパラと書きたいと思う。

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先月、広島の尾道に行った。尾道と京都、台東と墨田。私の好きな街並みがある場所だ。その辺はどこもそうだけど、特に尾道は昨今すっかりリノベーションのメッカ。ONOMICHI U2 のような大型資本の入ったリノベーションの物件、あなごのねどこガウディハウスのようなボランティアを含む多くの人の手で改修されたであろうセルフリノベの物件、その両方が混在する。

坂と寺の街尾道で、千光寺の近く、階段を300段ほど上がった先にある、みはらし亭というところに泊まった。前述の分類で言えばおよそ後者にあたる、築100年の茶園(別荘)を多くの人手と約1年という長めの期間をかけて改修してできた宿。壁を見て、床を見て、廊下を歩いて、トイレに入って、ああここはこういう金具だけで納めるのかとか、古い木の廊下のテカリや建具がいい味だなあとか、おお天井抜いてあるなとか、家の随所でお直しの創意工夫を目の当たりにしながら、つかの間の居場所を手に入れたような、そういう安心感のある空間だった。

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これは全然関係のない、坂の途中で見つけた家の玄関。楽しさが目に飛び込んでくるみたいだった。

尾道は日本で一番か二番か、群を抜いて好きな街で、数年に一度訪れる。瀬戸内海が目の前にあるのは本当に贅沢だし、対岸が近いのもいい。かつて海運や造船の街として栄えた、すこし前の日本の雰囲気が色濃く残っているからか、人間が暮らしている感じがあっていい。およそ3年ぶりの訪問で、その間に普段住んでいる場所がハイソな渋谷区上原から下町の墨田区向島に移ったからか、今回は一転、慣れ親しんだ風景の延長として、ああやっぱりいいところだなと再認識するような訪問になった。平日の昼間に暇やゆとりのある人の多い、お膳立てされすぎていない街が好きだ。自分の居場所を自分で手入れする、工夫を繰り返すうちに型ができたり遊びが生まれたり、そういうものの集積のような空間は、精気を蓄えて他を魅了する。

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サンダルの中敷きを張り替えた。

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ヒール文化のないアメリカ・ポートランドで買って、以来10年愛用しているサンダル。これ以前にどんなサンダルを履いていたか忘れてしまったぐらい、本当に歩きやすくて、こればかりをずっと履いている。同じものを買い求めようにもそうもいかず、これまでもかかとを張り替えてもらったり、修理しながら付き合ってきた。

今回は、合皮でできたインソールの表面がペリペリ剥がれてきてしまったので、形を合わせてカット(これが骨折り作業)した、革の中敷きを貼りつけてお直し。のりやボンドも、必要不可欠なお直し道具なんだなということが少しずつわかってきた。

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秋めいてきたので、繕いものを再開した。まずは、春夏シーズンにたくさん履いていた綿の靴下たち。

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これは、ダーニングという手法で、縦糸でまず穴を覆ったあと、横糸を上下上下といれて土台とくっつけ、補修しているところ。ニット文化の長いヨーロッパに古くから伝わる繕いのやり方だけど、ともすれば今消耗品のように扱われる靴下を一番楽しんで繕うあたり、自分の粘り強さというか諦めの悪さ、モノを捨てない祖母の近くで暮らした記憶、案外に几帳面な性分を痛感せざるを得ない。

もちろんこのダーニングの技法は、セーターやカーディガン、シャツなんかにも応用できるので、消耗頻度の高い靴下でたくさん試行錯誤を重ねたのち、よりパブリックな人目につくトップスでその技を晴れて披露する、なんていうこともある。工夫を繰り返すうちに型ができたり遊びが生まれたり。この次、高校生のころから着ているセーターのお腹のあたりに空いた、おそらく虫食いの穴にどんなお直しをしようか、結構楽しみにしている。

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おまけ
〈今後のお直しカフェ/繕いワークショップの予定〉

– 10/27(土) 15:00〜17:00
場所 : 東向島珈琲店(墨田区東向島1丁目34-7 / 「曳舟」「京成曳舟」駅より徒歩約5分)
持ち物 : 穴の空いてしまった靴下やカーディガン、セーターなど。刺繍針・糸・当て布など(あれば)
詳細や申込みはお直しカフェHPにて。

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何年も着ているお気に入りのカーディガンや、両親から譲り受けたセーターなど、大切にしたい、使い続けたいものにひと手間を加えて、また息を吹き込む。そういう術や態度を色んな人と共有できる時間になればと思っています。(photo:だしフォト)

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Reviewed by 朝弘佳央理

はしもとさんが書かれたコーヒー屋さんの店番、何かに似ていると思ったら、自分が踊る前にからだを準備する時に似ているのだった。

自分が、これから踊ろうとする場所にひとりで何も言わず、音楽もかけず、ただ居てみるのが好きだ。
締め切ってあった時の匂いとか、扉を開けたら抜けてゆく空気、床の冷たさとか空調の音とか、蛍光灯のじーという音とか、差し込む光、影、
そこで数時間後に自分がお客さんの前に立っていることを想像する。
それから、少しずつからだをほぐしてゆく。
床に足の裏や背中をなじませて、体温が移るほどに。
本番中私はいったいどこを見つめるだろう?
あの壁の隅かな、壁のこの傷だろうか、天井を抜けてさっき歩いてきた時に見た空のことを思い出そうか。
会場に入ってきてお客さんはわたしを見るだろう。
その時に、私はわたしがここで積もらせた時間を、見たもの、触れたものを、お客さんに渡せたらいいのだけれど。

私も尾道が好きだ。
2回しか訪ねたことがないが、汗を流しながら登ったくねくねした細い道や、そこですれ違った猫や、郵便屋さん、草の匂いを覚えている。
あそこで触れた石壁や、古い木の扉、入江に続く階段のことを思い出す。
想像の中で、思い出のなかで、そこに身を置いてみる。
するとわたしはここに持っているからだを介して今でも石壁や扉や入江の階段を感じることができる。
そうしている間、ほんとうにわたしの体はそこにあるんじゃないだろうかという気がする。
だって私の指はそれを感じているんだもの。

私はこんなふうにいつでも自分のからだを感じることで精一杯なんだと思う。
だからあまり物を持ちたくない。
けれど、からだと体温を分け合うほどにうんと馴染んだもの、その傷やへこみを覚えるほどに触れたものとは、関係を持つことができそうな気がする。
何千回も何万回も扱ってみないと手に入らないような気がする。
だからこれというものだけを持って、擦り切れるまで触れて、それでもまだ使って、その体温を消したくない。

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はしもと さゆり

はしもと さゆり

お直しデザイナー。企画と広報、ときどきカフェ店員。落ちているものとお直し、マッサージとマイケルジャクソンが好き。

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