ご覧ください。この写真は、ずっと昔の、ねぶたを跳ねに行く前の私と、私の父の写真です。
母について書こうと思ったとき、同時に父のことも思い出し、そうだたまには父について書こうと思ったけれど、そういえば私は父について何か書けるほど、父のことを知っているわけではなかった。なので今日は、娘と父という関係の中での父、について書こうと思います。ありったけの知識を総動員させて、父について書きます。
私はどちらかというと顔も性格も父に似ています。ハシバミ色の目も、小さい唇も、足の指の形も、そばかすが散っているところも父ゆずり。性格もすごく似ていて、引っ込み思案で内省的なのにあるポイントでは前に出たがるところ、血が苦手なところ、ちょっと変わり者であるところが似ている。父の学生時代の話、「昼休みは中庭で一人でパンを食べて鯉とかに餌あげる学生だったけれど、応援団長だった」というエピソードが好き。似ている私のエピソードには、「部内に全然友達いなかったしむしろハブられていたけれど、一番強かった」というものがあります。同じものを感じる。
私は父のことが好きです。特に遊びに関する全ての知識は、父に詰め込まれたフシがある。山やら川やら海やらさくらんぼ狩りやら釣りぼりやらスーパーマーケットやらディズニーランドやら、とにかくいろんなところへ連れて行ってくれた。キャンプは普通の子より、よく行っていた自信がある。また農業が好きで畑を借りては野菜を育てていた。私の野外好きのルーツは多分ここからだろう。私は子分のように父の後ろを付け回し、父はそんな私にいつもビデオカメラを向けていた。たくさんのフィルムケースが洗面所に並んでいた。
私の父の記憶はここまでだ。いや父は、まだ生きているし、ぎっくり腰にはなるけど病気してないし、マラソン大会にも出るし、バリバリに仕事をしているし、フェイスブックの更新も定期的に行われている。
でもここまでなのだ。
もし父が今死んだら、思い出すのはきっと幼少期の私と父の関係だろう。だってそれしか記憶がないのだ。
……とここまで書いて、妙な焦りが体を走るのを感じた。
中学生になって、私は思春期よろしく部屋に引きこもりがちになった。部活が遅くに終わってご飯を食べたら部屋に入ってしまうし、休日も部屋から出ないので、父と顔を合わせなくなった。母は家庭を主に回していたし、何より同性だったのでいろんな気持ちを共有してくれる唯一の大人として、ずっと接点があった。でも父は、家庭の大黒柱でありながら、私にとってはもはやただの柱、誘ってくるキャンプにも行かなくなったし、畑への興味も失せた。
そんなこんなで大学生、私は上京し、さらに関係は希薄になる。一度父が東京に出張で来た時、一緒に居酒屋でおでんを食べながらお酒を飲んだぐらいだ。父のこと、嫌いではないけれど、むしろ好きだけど、ずっとこのまま父の記憶は更新されずにいくのかな。年々、鰹節を削るみたいに、少しずつ、少しずつ、幼少期の記憶のストックが削れて、気づいたら、ただ顔立ちに父を思い出すだけになるのだろうか。それは嫌だなあと思った。
「目標があって、絶対に父親を超えたいんだよね」
と、恋人が居酒屋で真剣な顔で言った時、一瞬わからなくて、ぽかんとしてしまった。で、我に返って、将来仕事に就く上でそれを目標にできる恋人を尊敬したし、羨ましいと思った。男同士だからというのもあるだろうが、でも父を超えるという発想がそもそもなかった。恋人は自分の父親について饒舌に話した。それはとても魅力的で、恋人の父親と自分の父親を比べた時に恋人の方が魅力的に見えたというわけではなく、ただ「父親」という観念が最高に素敵に感じた。私も父について何か言おうと思った。えっと、父でしょ、父、父の仕事、尊敬、超える、尊敬、父親、父を超える、……。言葉が脳を巡って、でも一つも父とうまく結びつかなくて語れなかったのは、やはり私が父のことを知らないからであった。
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お父さんへ
お元気ですか。私は元気です。今、明日からの舞台入りのために、荷造りをしていた手を休めてこれを書いています。そちらはまだ寒いでしょうね。
さて突然ですが、お父さんにいくつか質問をしたくて、お手紙出します。
お父さんが一番好きな食べ物ってなんですか。
お父さんが一番好きなゲームってなんですか。
お父さんはお母さんのどんなところが一番好きですか。
お父さんの将来の夢はなんですか。
お父さんのお父さんはどんな人でしたか。
お父さん今楽しいですか。
お父さんが生きる上で大事にしているものってなんですか。
お父さんが自分自身のことを一番光っていると思う瞬間ってなんですか。
雪はまだ降っているのかな。風邪をひかないように気をつけてください。お返事待っています。またおでん食べに行きましょう。
明