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2F/当番ノート

ダンスへのラブレター1:踊るときにおこること

第48期

「なんだって10年続けてみてやっと自分が何をやっているか分かってくるのよ。」

むかし学校の先生に言われたその言葉をときどき思い出す。

コンテンポラリーダンスに出会って13年。先生が言ってた区切りの10年を3年も過ぎてしまった。どうだろう、何かわかってきたのだろうか。うーん、全然わからないままダンスの周りをふらふらしている気がする。。。今回の連載ではダンスについて書く。書くことでダンスのことをもっとわかりたい!という熱い気持ちが根底にある。そうこれは記録・現状報告の形をした(だいぶマニアックな)、私なりのダンスへのラブレターなのだ。

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ダンスへのラブレター1:踊るときにおこること

「ウォーミングアップ」
朝起きて、ベッドから立ちあがり、コーヒーを飲んで、スタジオに行く。ゆっくりと体を動かし、そろりそろりと今日の体を確認する。疲れているところや痛いところ、昨日までの体とは違う、今日の体。体の構造を知らない赤ん坊のように新しい体を発見する。体と向き合うほどにクリアになる頭の中。溢れていたノイズが体の状況に集中することで消えていく。体の「今」の様子が直接頭に響き始める。体が頭に、頭が体に。ダンスのはじまり。全部がひとつになっていく。わたしはライオンに襲われたことも、人を殴ったこともない。穏やかな気持ちで生活できる文明社会、バンザイ。でもダンスはその日常を飛び越える。ワイルドさへと繋がる。体が日常を飛び越えると、心も日常を飛び越える。なぜだろう。経験したこともないのに、確かにこういう風に人を殴ったという感じがするのは。

「練習」
振付を練習する。体の動きを確認すると同時に、その振りをしたときに心がどう動くかも確認する。踊る体は踊る心。動きと一緒に心の動きも確認することで、振付が安定していく。

「本番」
カーテン裏で最後のチェック。調子がいい時も悪い時も、その日の体と振付が交じり合えるように最後まで確認する。客席の電気が消え、カーテンの向こうのざわめきがスッと静かになる。舞台上の照明が消え、ゆっくりとカーテンが上がっていく。その隙間から、客席の沈黙と集中が水のように流れ込み舞台を襲う。沈黙。静けさに包まれながら、深海の中で音を響かせるように体を動かす。ブラックホールのような客席の引力、気を抜いたら倒れてしまいそう。綱引きのようにそのエネルギーを引っ張り立っている、自分の存在の強さをしる。

「終演後」
ブラックホールが観客に戻る。顔が見える。体にみなぎっていたエネルギーがスポッと抜けて、着ぐるみのような、容器のような体だけが残る。頭が独立して動き始める。客席の様子を確認する頭、お行儀よく立っている体。ああ、また体と頭が離れていく。

終演後、友人に「Did you enjoy the show?」と聞かれて、スムーズに答えられない自分。それは旅に似ていた気がする。体ぜんぶでいろんな景色と出会った。楽しい瞬間も、悲しい瞬間も、怒りの瞬間もあった。たとえ上演時間が一時間と短くても、それは確かに、人生と同じ、時間を生きた、経験だった。私は答えた「I survived.」。

ソロ.7

(2017記録)

かきざき まりこ

かきざき まりこ

香川県出身。旅人ダンサー。
音楽を聴いては踊りだしてしまう幼少期。
高校までオリンピックを目指して中国人コーチのもと新体操に没頭。
大学でダンスに出会い雷に打たれるほどの衝撃をうける。
大学卒業後にBATSHEVA舞踊団(イスラエル)入団。
三年間のイスラエル生活後、タフさとラフさをみにつけ、LEV舞踊団に入団。世界中の大劇場をまわり、踊る生活。

最近東京のすみっこに部屋を借りる。
世界の大劇場と東京の小さな部屋がつながっていく日々の記録です。

Reviewed by
朝弘 佳央理

身体を動かしてみると、そこになにか、とっても小さいけれど、なにかが生まれる。
それを見逃さないように返答をする、またはその「なにか」がやりたいように自由にさせてみる。
とてもささやかだから間違っているかもしれない、でもそれでも構わない。
だんだん道すじが見えてくる。
見えなくても仕掛けてみればいい。
耳では捉えられない音が押し寄せてくる。
いつかの風のことを思い出す。
または、知らない風のことも。
なんとなく、自然に、動いてみちゃうこともできるけれど、これでしかないというぎりぎりに絞って飽和させる。
爆発するまで我慢して、ぐっと押し留めて、煮詰めて、待って、ついに噴火させる。
でもわたしは、とても静かなままだ。


身体を自由に動かすことって実はとてもむつかしい。
からだとこころは繋がっていると良く言うけれど、自由に動くためのその「自由」には、そのひとの「自由」のありようと切り離すことができないような気がする。

なにかがあって、身体が動く。
身体が動いたらなにかがやってくる。
やってくるけどそれを静観する。
やってくる前に呼び水みたいにそれをリードする。
自分の手で、自分の肌を触れるみたいに、触れているし触れられている、動くこととうごかないこと、身体のはたらきと心に浮かんでくることとは絶えず行ったり来たりする。


2ヶ月間、紹介文を書かせていただくことになりました。
まりこさんと同じく私も踊ることをしているので、さいこさんが繋げてくださったのです。
同じダンサーといっても、わたしとは違う身体で積み上げてきたまりこさんの感じていることや考えていることを知ることができるのはとても楽しみだし、喜びです。
まりこさんの踊りにも文章にも、観客を未知の場所まで連れて行ってくれるようななにかがあるような気がして、そんなわけで2ヶ月間、ぜひお楽しみ下さい。

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