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2F/当番ノート

ダンスラブレター3:共感する体

第48期

「くっせー!電車の中ってまじくせーよな!」

乗車してきた小学生男子がそう言いはなった。小学生男子たちは私の前を通り過ぎ、少し遠くの座席へとむかう。表情や手が生き生きと大きく動き楽しく話している様子が遠くの私にまで伝わってくる。うーん、表情や動作を通した気分の伝染力はあなどれない。実際、彼らが乗車してきただけでさっきまで眠たげだった車内の雰囲気がガラッと変わったし、私なんて一言も話していないのにちょっと愉快な気分になっている。共感能力、おそるべし。。体は共感しあう。悲しんでいる体を目の前にすれば、こちらの背中まで丸まってしかめっ面になっていくし、楽しんでいる体を目の前にすれば、どことなくクスクスと笑いたい気持ちになってくる。相手がなんで泣いているのか笑っているのかなんていう理由を必要としない、脳みそを経由しない「身体的な共感」。

このあいだ、長年連れ添ったカップルの写真を使った実験について読んだ。結婚したばかりの複数の男女の写真を夫婦がセットになるように合わせるというもので、結婚して25年後に撮った写真とその正解率を比較するというものだ。25年後に撮った写真の方がうんと正解率が高いという結果だったのだが、印象に残っているのはこの類似性が幸せなカップル程大きかったということ。近くにいて沢山感情を共有しているうちにお互いがお互いの中に入ってしまうのかもしれないな~と、ほっこりした。

近頃ではダンス映像作品も増えて、劇場に行かなくても多くの人が映像でダンスを目にする機会がふえた。それはとても喜ばしいことだがダンス関係者はいまだに「ダンスはやっぱりライブでみてほしいよね…」とライブ上演にこだわる。それはなぜだろう。ダンサーは本人の体をコントロールするだけではなく、その体の延長とでもいえるようなイメージやオーラまでを意識して踊るように日々トレーニングしている。映像には映らないこのオーラのようなものをダンスが大切にしてきたからこそ、いまでもライブ上演が重要視されるのだろう。そのオーラは、目線から、息づかいから、筋肉の弛緩から、生身の体同士が向き合ったときに溢れだす。人と向き合ったときに相手の気分を知らず知らずのうちに感じてしまうのは、猿時代から何千年も受け継がれてきたこの生物としての本能だ。ダンスはその本能を際立たせる。

満員電車に乗るときに隣に立つ人を感じないようにしているように、現代生活をしているとふとした時に人の体を無視している自分に気づく。猛スピードで作り上げられた人間社会に適応できないまま、生物としての能力に蓋をしているような感じがして不安な気持ちになる。

いちど体に聞いてみたい。おーい、からだよ、人が人として生きられる場所に連れてっておくれ?

私はそこにダンスの可能性をみてしまう。

stilness13

かきざき まりこ

かきざき まりこ

香川県出身。旅人ダンサー。
音楽を聴いては踊りだしてしまう幼少期。
高校までオリンピックを目指して中国人コーチのもと新体操に没頭。
大学でダンスに出会い雷に打たれるほどの衝撃をうける。
大学卒業後にBATSHEVA舞踊団(イスラエル)入団。
三年間のイスラエル生活後、タフさとラフさをみにつけ、LEV舞踊団に入団。世界中の大劇場をまわり、踊る生活。

最近東京のすみっこに部屋を借りる。
世界の大劇場と東京の小さな部屋がつながっていく日々の記録です。

Reviewed by
朝弘 佳央理

自分が良いと思うもの、好きだと感じるものを他のものと比べたときに、それをどうしても説明できないことがある。
何故印刷物にした途端に精彩を欠く絵と、印刷物になっても立体を失わない絵があるのか。
何故わたしは、フィルム写真に惹かれるけどデジタル写真には全く興味が持てないのか。(その2つをどう見分けているのか、見分けられているかどうかもよくわからないのに)
何故このひとの踊りには迫ってくるものがあって、なぜもしかしたらより技術的に高度なことをしているあの踊りは扁平に見えるんだろう。
わたしは、小さい頃からそれを「厚み」と捉えてきた。
分厚い感じがするから好き。
ぺらぺら奥行きがないから素通りしてしまう。

でもその「分厚い」ってなんなのか、自分でもずっとよく分からなかった。
紙みたいに実際に立体的なわけでもないし、輪郭が太いわけでもない。
ただ自分の感覚に触れてきたときに「厚い」と感じるなにか。

頭で分からなくても身体が知っていることはたくさんある。
「からだとこころは繋がっている」という言葉を多くの人が使うと思うけれど、普段実感する以上に、からだはあらゆることを捉えている。
ある分野のことは、頭のほうがうんと鈍感で、遅い。
(もちろんその逆もあるだろうけど)

ダンスの見方がわからないと良く言われるし、私も昔はそう考えていたこともあるけれど、今はこの「からだは知っている」というところに任せることでいいんじゃないかな、と思う。
よくわかんないけど怖かった。
よくわかんないけどどきどきした。
子供の頃のことを思い出した。
なにか匂いが流れてきた。
いや、これらのような感覚を認識しなくたっていい。
その場に、からだをただ浸してみる、それだけで。

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