お母さんが子守唄をうたうように。
唄い手の横手ありささんのレコ発記念ライブにゲストとして参加した。ありささんに出会ったのは8年前。どすんと座ったハッピーオーラで歌うその姿に、肝っ玉母ちゃんが歌ってる!とびっくりした私は、その日のライブ後すぐに友達になってくださいと声をかけにいった。その後何回か一緒にライブもして、いまでは大切な友人の一人だ。今回そのありささんが、新しいアルバムを発売するというのでお祝いにやってきた。久しぶりにありささんの声をきけるぞ~と思って会場にいくと、会場からは赤ちゃんの泣き声。ありささんは本物の母になっていた。生後4か月にしてはとにかくでかいその赤ちゃんはお母さんの声を聴くと安心するようで、大声で歌う母の胸ですやすやと眠っていた。
無事にライブが始まり、赤ちゃんは子守のおばあちゃんと一緒に会場の外へ。ライブも後半、のびやかな唄声に皆がうっとりしていたそのとき、突然「ごめんなさい、ちょっと失礼」と立ち上がるありささん。トコトコトコと会場のドアから出ていったかと思えば、泣きじゃくる子を抱いて戻ってきてそのまま楽屋に消えてしまった。遠くからかすかに聞こえた子の泣き声が母の耳には気になってしかたがなかったのだろう。しばらくしてステージに戻ってきたありささんの腕にはまだぐずっている赤ちゃん。赤ちゃんは私が動くたびに怖がって泣き出しそうだ。さっきまでは曲の世界観とか、会場の空気感を相手に踊っていたのが、いきなり目の前の泣き出しそうなベイビーが相手になった。
赤ちゃんの脳は五感を分けてとらえられないという説を聞いたことがある。音を聞いては色を感じ、形をみては質感を感じる、共感覚のようなものだという。好奇心と恐怖心のあいだでじっと私を見つめているこの目は、私を人間として認知していないだろう。私の踊りを味わっているのか?触れているのか?聞こえているのか?匂っているのか?ともかく、その目になんとか優しい曲線やエネルギーとしてうつろうとした。なんといっても、いきなり驚かさないこと、急な動きをしないこと、それにつきる。目標は赤ちゃんのベッドの上で揺れているモビールのおもちゃだ。それは、私の人生初めての子守ダンスだった。芸術になる前の、コミュニケーションとしてのダンス。ダンスの根源の一つに出会わせてもらったようなありがたーい気持ちになった。
という話をしたら、友人の母ちゃんダンサーが「泣く子の前で踊るのも楽しいけどね!」と一言。泣く子の前で踊るダンスか。。怒っている人や泣いている人に言葉でなくダンスで対抗する、そんな世界はどうなんだろう。体を動かすってそれだけで可笑しい。道端でスーツ姿のおじさんが屈伸している様子とかお尻がプリッとしてかわいいし、体がちょっと動くだけで世界にかわいさが増える。このあいだ焼き肉屋から出てきたおじさん2人が消臭スプレーをかけあっていた。消臭の魔法をかけあいながら、その霧の中でくるくる回る様子がとてもかわいかった。