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2F/当番ノート

ダンスラブレター4:子守ダンス

第48期

お母さんが子守唄をうたうように。

唄い手の横手ありささんのレコ発記念ライブにゲストとして参加した。ありささんに出会ったのは8年前。どすんと座ったハッピーオーラで歌うその姿に、肝っ玉母ちゃんが歌ってる!とびっくりした私は、その日のライブ後すぐに友達になってくださいと声をかけにいった。その後何回か一緒にライブもして、いまでは大切な友人の一人だ。今回そのありささんが、新しいアルバムを発売するというのでお祝いにやってきた。久しぶりにありささんの声をきけるぞ~と思って会場にいくと、会場からは赤ちゃんの泣き声。ありささんは本物の母になっていた。生後4か月にしてはとにかくでかいその赤ちゃんはお母さんの声を聴くと安心するようで、大声で歌う母の胸ですやすやと眠っていた。

無事にライブが始まり、赤ちゃんは子守のおばあちゃんと一緒に会場の外へ。ライブも後半、のびやかな唄声に皆がうっとりしていたそのとき、突然「ごめんなさい、ちょっと失礼」と立ち上がるありささん。トコトコトコと会場のドアから出ていったかと思えば、泣きじゃくる子を抱いて戻ってきてそのまま楽屋に消えてしまった。遠くからかすかに聞こえた子の泣き声が母の耳には気になってしかたがなかったのだろう。しばらくしてステージに戻ってきたありささんの腕にはまだぐずっている赤ちゃん。赤ちゃんは私が動くたびに怖がって泣き出しそうだ。さっきまでは曲の世界観とか、会場の空気感を相手に踊っていたのが、いきなり目の前の泣き出しそうなベイビーが相手になった。

赤ちゃんの脳は五感を分けてとらえられないという説を聞いたことがある。音を聞いては色を感じ、形をみては質感を感じる、共感覚のようなものだという。好奇心と恐怖心のあいだでじっと私を見つめているこの目は、私を人間として認知していないだろう。私の踊りを味わっているのか?触れているのか?聞こえているのか?匂っているのか?ともかく、その目になんとか優しい曲線やエネルギーとしてうつろうとした。なんといっても、いきなり驚かさないこと、急な動きをしないこと、それにつきる。目標は赤ちゃんのベッドの上で揺れているモビールのおもちゃだ。それは、私の人生初めての子守ダンスだった。芸術になる前の、コミュニケーションとしてのダンス。ダンスの根源の一つに出会わせてもらったようなありがたーい気持ちになった。

という話をしたら、友人の母ちゃんダンサーが「泣く子の前で踊るのも楽しいけどね!」と一言。泣く子の前で踊るダンスか。。怒っている人や泣いている人に言葉でなくダンスで対抗する、そんな世界はどうなんだろう。体を動かすってそれだけで可笑しい。道端でスーツ姿のおじさんが屈伸している様子とかお尻がプリッとしてかわいいし、体がちょっと動くだけで世界にかわいさが増える。このあいだ焼き肉屋から出てきたおじさん2人が消臭スプレーをかけあっていた。消臭の魔法をかけあいながら、その霧の中でくるくる回る様子がとてもかわいかった。

かきざき まりこ

かきざき まりこ

香川県出身。旅人ダンサー。
音楽を聴いては踊りだしてしまう幼少期。
高校までオリンピックを目指して中国人コーチのもと新体操に没頭。
大学でダンスに出会い雷に打たれるほどの衝撃をうける。
大学卒業後にBATSHEVA舞踊団(イスラエル)入団。
三年間のイスラエル生活後、タフさとラフさをみにつけ、LEV舞踊団に入団。世界中の大劇場をまわり、踊る生活。

最近東京のすみっこに部屋を借りる。
世界の大劇場と東京の小さな部屋がつながっていく日々の記録です。

Reviewed by
朝弘 佳央理

いつかの夏に、踊っていたらとんぼが指先に止まったことを思い出した。
長いことそこに滞在して何時間ももうそこで踊っていて、その日はそういうことが起こったので、なんだかその場所に馴染めたような気がして嬉しかった。

私はいわゆる共感覚者で、文字に色がついて見えるし、時々聴覚と視覚が混ざってしまうし、意識的に自分をしっかり区分けしていないと混沌としてきてしまう。
まだほんの小さかった頃に初めて「ことば」を認識した記憶があって、そのときに私はすでに日本語でものごとを考えていたことを覚えている。
けれど、わたしはものごとを分けて考えたり感じたりするということをそのときに初めて意識して、そしてその前にあった世界がとたんにぼやけてしまった。

分かたれていなかったあの世界のことを思って踊っている。
分かたれていない目で、手で、耳で、舌で。

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