パレスチナ自治区とイスラエルの関係が悪化していた2012年冬。当時私が所属していたイスラエルの舞踊団は1か月のイギリスツアー中だった。アラブ系移民の多いイギリスでのツアーはデモにあう可能性が高いだろうとツアー前から噂されていたが、結局、1か月・全16回の本番のうち、プロテスターがあらわれなかった回はなかった。劇場の外にはプロテスターが集まり、劇場に入っていく観客に対して「そのチケットは血で汚れている!」と非難の声をあげた。チケットを買って劇場内に入ったプロテスターは上演中に「パレスチナを解放しろ!」と叫びながら舞台に突進した。他の観客はプロテスターの声を掻き消すように拍手をし、プロテスターは警備員に連れていかれる間もずっと叫びつづけた。そんなことが一カ月続き、私は多くの出来事をイスラエルから来たダンサーと経験した。バーで飲んでいたらイスラエル人というだけでお酒を頭にかけられる友人、戦争に向かった恋人と連絡が取れず眠れない友人、「どこからきたの?」という質問に答えるのを怖がる友人。平和ボケの私はショックをうけてしまって、初めてのイギリスで何を観光したのか、何を食べたのか、ほとんど記憶に残っていない。誰を責める気分にもならず、イギリスの空みたいに鬱々とすごした。
ツアー中盤のある日、昨夜泣きべそをかいていたはずの友人が勇敢な戦士のように踊る姿を舞台袖からみていた。照明を浴びた体は発光しているみたいだ。躍動する筋肉は生の喜びを歌っているみたいだ。いつ誰が舞台上に飛び込んでくるかもわからない状況に裸ひとつで答えるダンサーたち。今更ながら自分が足を踏み入れた舞踊芸術の世界が、生きている体の美しさ、命の尊さをみせてくれる世界だということに感動した。もう作品も終わるという頃に、舞台に近い客席で人が立ち上がる気配がした。この日も数名のプロテスターがいたので、まだいたか・・・とビクつきながら顔をあげると、そこには顔を真っ赤にして拍手をする少年の姿があった。興奮した様子の少年は誰よりも素早く立ち上がり、キラキラとした目で舞台をみつめている。少年の興奮に満ちたまっすぐな目。その目をみた瞬間、救われたような、紐がスルスルほどけていくような感じがした。その夜ホテルに戻った私はノートに言葉を書いた。「抗議をするために劇場に来た人が、ダンスを観て、続きが気になって、抗議するのを忘れてしまうようなダンスをしよう。」
ルノワールの「劇場にて」という絵に出会ったのはこのイギリスツアー中のことだった。約150年前に制作されたその絵にはまっすぐに舞台をみつめ、静かに興奮する少女の姿が描かれていた。ダンスは観客を選ばない。宗教も歴史も越えて、個人的な体験として、別の立場の人と繋がり、共感できる可能性をもっている。
まっすぐに舞台をみつめるルノワールの描いた少女、真っ赤な顔をして拍手してくれた少年、カーテンの横から発光するダンサーをみた自分自身。命の美しさに魅せられた人間は、命を傷つけるようなことはできなくなる。
どんな目でダンスをみつめるのか、誰に向かって踊っているのか。繋がるための踊りを。それは未来への一歩。
(セッションハウスannual report 2013より)