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3F/長期滞在者&more

ノイズ混じりの向こう

長期滞在者

個人ではもう使わなくなったと思うけど、仕事の現場では今も、注文や、見積もりをファックスで送ったり、送られてきたりすることが多い。それでもいまは、文字や簡単な手書きの図表程度ではあるが、電子メールが普及する前は、写真の絵柄のやりとりも頻繁にファックスでやっていた。本や、生原稿を複写して送信するのだけれど、これがまた不鮮明な画像で、中には、真っ黒にしか再現されない場合も多かったが、とりあえず情報として相手に伝わればよかったので、それでも問題なかったのです。
それでも、原理は全くわからないけれど、アナログの電話回線の電気信号によって、自分の書いたものや、写真画像がジジジ、ジジジと、その面影を保ちつつ立ち現れてくる様は、あれはあれで不思議だし面白いものでした。

アナログのコピー機も昔は似たようなもので、ハーフトーンの出ないコピーを使って、ギャラリーの床一面に、その不鮮明な図像を複写したものが、積もり積もった落ち葉のようにフワフワと堆積しているようなインスタレーションなどを観た記憶があります。1990年代の初め頃、そういう手法は、誰もがやっていた訳ではないけれど、特殊とか異端な表現ではなかったと記憶しています。出始めの高価なカラーコピー機を使った作品もしばしば目にしました。いまはだいぶマシになりましたが、昔のカラーコピーは、写真を複写するとオリジナルの面影は全くなくなり、独特のベターっとした変な画像に変わります。

現代では、コピー&ペーストは、そっくり瓜二つのものを移植することですが、当時の写真のコピーは、物事の忠実な再現から最も遠いところに連れて行ってくれる破壊的な写真行為だったのかもしれません。

不鮮明な画像は、情報伝達の用を為さないし、視覚芸術の世界では、基本的な技術力と品質が伴っていないとされ、大抵の場合、全否定されます。

でも、再現力、描写性が明らかに劣っているものでも、なんらかの感情が湧いてくることもあります。ノイズ混じりの画像の向こう側に広がる、訳の分からない迷宮に引き込まれていくような、本来の意味や目的からはるか離れた地点で、なぜか自分の感情とスパークする時が稀にあります。

そういう大きな声で言ったら炎上しそうなことを、肯定的に捉えていた数少ない大人が、先ごろお亡くなりになった須田一政先生でした。その果てしない自由さをぼくが受け止めきれずに、先生を怒らせてしまったこともありましたが、絶えずご自身が完成させたスタイルを乗り越えて、まだ観たことのない視覚的な体験への飽くなき好奇心を持ち続けていく姿に色々学ばせていただきました。

一見デタラメな行為と感じてしまうようなスタイルにも、権威に対してちょっかいを出すかのような、刺激的な意思表示を感じることもあります。適当に自由気ままにやっているのか、何らかの意味が込められているのかは、その作家さんの立ち振る舞いや、展示の雰囲気などでも手がかりを掴むことができると思います。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

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