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3F/長期滞在者&more

絵空事

長期滞在者

コロナとの共存生活が長くなると、時々人にあっても、なんとなく暗い話題が増えてくる。

特に僕たちの周辺はフリーランスが多いから、出口の見えない状態が長引くとなんとなく暗い気持ちになる。ただの風邪だ!と豪語してコロナに感染したどこかの国の大統領は論外としても、何十億年の地球の営みという大局的な見地からすれば、この星はちょっと風邪を引いたくらいのものかもしれぬ。そのうち必ず治ると信じて、意識的に目先を変えて毎日を送るしかないのだ。

そして、アフターコロナ、New Normal など、その後を見据えた仕事のありかたを模索するような、言説があちらこちら飛び交っている。ウイルスが目に見えない訳のわからない恐怖だとすれば、アフターコロナの仕事術云々は、小手先で子供騙しの仕事にしか感じられない。そういう情報が時々目の前を擦過したりいて目障り極まりない。何度追い払っても、繰り返しまとわりつく小さな羽虫のように鬱陶しい。

似た者同士が顔を突き合わせて、ディスカッションしたりなんて、それこそが不要不急の集まりというもので、コロナであろうがなかろうが、世の中は常に変化し続けるものであって特別なことでも何でもない。

商売人は目の前のお客様と誠実に向き合ってさえいれば、世の中は常にいろいろな風が吹き、それを受け止めていれば風向きによって常に右にも左にも揺れ動くもの。さもなければ、船は転覆するからだ。事業のゴールさえ決めていれば、常にバランスを取りながら、細かく帆を操るのは、前に進むためだ。これは誰かに習うことではなく、生きるために、自然と身につく技術のようなものだ。

そのうち、仕事術の部分が「アート」に置き換わった言説が、ネット上に出回ってくるだろう。

そもそも、今日使われる和製英語の「アート」「アーティスト」という言葉が大嫌いだ。美しい放物線を描く本塁打を量産する「ホームランアーティスト」テレビの賑やかしの駒に過ぎぬアイドル風情がちょっと自作のポエムを作詞と言葉を置き換えた挙句に「アーティスト宣言」するのと、僕たちが愛してやまない作家さんたちの世界を、世の中で「アート」と一括りにされるのはまっぴらごめんだ。新宿の劇場でクラスターが起きたことも、その公演がカネに目が眩んだ制作者による演劇もどきの覚悟のない素人感丸出しだったことが、怒りの火に油を注いでいるとしか思えない。

『真の芸術家とは、戦争中に花畑の絵を描ける人』と言ったのは、関西前衛芸術の巨匠、嶋本昭三さんだが、真の表現とは、今ではなくずっと先のことを僕たちの心の中に灯してくれるものだ。たとえそれが、今目の前にある出来事を映し出していたり、遠い昔の記憶のようなものを呼びおこすようなものだとしても、常にぼくたちは、その作品を通じて、明日よりもずっと先に生きている仮定で、作品に向き合い、与えてもらった小さな灯を通じて、生きることに役に立つのだと信じたい。

キューピーコーワゴールドは、飲んだ日の午後には効いている気がするけれど、表現がいつ自分に効くのかはいろいろだ。3年後かもしれないし、コロナが終わった後に初めて気がつくこともあるかもしれない。 そこまで人の心の中に積もり重なる澱のように、静かに自分の中に居続けている作品こそホンモノの表現である。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

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