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3F/長期滞在者&more

リズムを取り戻す

長期滞在者

もうすぐ、デイジーの鍋敷きが編み終わりそう。最近はすっかり寒くなって冷え性の私にとってはきつい季節なのだけど、膝で寝ているモネの体温を感じつつ滑らかな毛糸を一目一目編んでいくと、自然に体が暖かくなってくる。冷えると強張ってしまう体の痛みも少しずつ和らいでいくようだ。先月10月、デイジーの編み図(編み物の設計図)を始めて見た時は、まるで暗号が書かれているようで全く読めずにいたのだけど、毎日簡単な作品から編んでいたらいつの間にか読めるようになった。その前の9月、編み図なんて全く読めなくて、ネットの動画を何度も再生し見様見真似で編んでいた。その前の8月―

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真っ暗な部屋。布団の中で横になり、両手で肩を抱きかかえながら何かに怯える女性の姿。足元にいる犬が不安げな顔で女性を見つめている。部屋には彼女の嗚咽する声だけが響いてる。舞台の中央にゆっくり女性が歩み出る。

「今日は、お集まりいただきありがとうございます。しばらく休んでいたのですが、アパートメントでまた文章を書いていこうと思います。私は6月19日に自分で自分を殺めようとしてしまいました。以下にはその描写が含まれておりショックを受ける内容かもしれません。どうぞご注意ください。」

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8月、私は今よりずっと死の恐怖に怯えてた。6月19日に自分で自分を殺めようとして、「自殺」に対するハードルがぐっと下がってしまったのだ。自殺を試みる時は、まるで背中が勝手に誰かに押されているように、自分の意志とは関係なく体が死ぬ方向に動きだす。いくら私が怖いと心の中で叫んでも、それをかき消すかのごとく猛烈な勢いで私は私を殺そうとしてしまう。アンデルセン童話の「赤い靴」は、主人公が赤い靴を履くと勝手に体が踊りだし止まらなくなってしまう話だ。彼女は最後、斧で足を切り落とすまで踊り続けた。自殺に向かう瞬間というのは、まるで赤い靴を履いた主人公のようだった。

6月19日から1週間ほど入院し、死にきれなかった思いとともに家に帰った。一日に何度も何度も、猛烈な勢いで私の背中を何かが押してきた。押された先にはいつも切り立った崖が見え、やばい!と思った瞬間足を踏み外してしまう。私は断崖絶壁の淵に手をかけ、必死に落ちまいと手にぐっと力を籠める。下を絶対見ないようにしながら、足を岩にかけてみるものの、かけたとたんに足場は脆く崩れ落ちてしまう。何度も何度も岩と格闘し、何とか体を陸に上げることが出来た。息が上がってしまい疲れ切って動くことが出来なくなった私は、しばらく腹ばいになってた。視線の先にはたくさんの人たちが何事もなかったかのように日常を送ってて、誰も私に気が付かないようだ。しばらく体を動かせずにいた私も、ゆっくり立ち上がって服に付いた小石を手でパンパンと払いのけ、皆と同じように何事もなかったかのように日常に戻った。

こんなことが一日何度もあるものだから、何も手が付けられなくなっていた。本を読んでも、モネの散歩をしても、背中に気配を感じてしまう。恐怖が私にまとわりつきびくびくしながら生きていた。そんな時、箪笥の奥に毛糸玉が5玉ほど余っているのが目に付き、私が連載していたウエブマガジン「アパートメント」で私のレビュワーを務めてくれていたまいざさんのことを思い出した。彼女は自分で服を作っていて、彼女の服作りに対する思いは『Body in Clothes - Roxane Gayの” Hunger “を読んで –』(https://apartment-home.net/long-visiter/bodyinclothes/)というエッセイで読んだことがある。とても力強い文章で、私も服作りをしてみたくなったのだけど、私、不器用だしな・・・と自分に言い訳し、その時は始めなかったのだ。しかし、何も手に付かない今、下手でもいいから何か編んでみるのもいいんじゃないだろうかと、早速ネットで編み物セットをポチる。そして届いた次の日から「編み棒の持ち方」「糸の持ち方」など検索し、見よう見まねで編んでみることにしたのだった。

youtubeで編み物好きな人々(編み物系ユーチューバーといったところか)が、色んな作品の編み方を1から解説してくれてたので、始めはそれを見ながらレッグウォーマーや、スヌードを編んでみた。最初は編み棒も上手く持てずとてもぎこちない手付きで編んでいたのだけど、ちょっとずつでも編んでいったら、手の下に作品が出来てくるのが面白く、また、編み目を丁寧に一つ一つ見つめながら編み進めていると、まるで瞑想のように心がスーッと静かになってくる。私の背を押すあの恐ろしいやつもその時は遠くにいるようだ。4か月毎日編み続けると、動きが身についてきて大分スムーズに編めるようになってきた。

私は小さなころから、ずっと何かに急き立てられるようにして生きていた。特に勉強に関してはそうだった。勉強を一生懸命やればやるほど焦る気持ちが出てきてしまう。もう止めたいと思っても「まだまだ!!」という心の声に動かされ必死に勉強してた。お陰で成績がよくなり先生や家族に褒められるので、余計にもっと勉強しようという気持ちになり、小さい頃の私は家族にとって自慢の娘だった。家族は私に”価値”を身に着けてほしかったのだろう。我々家族が日々担ってる、社会から弾かれている重度障害者の伯母の”ケア”は社会的に何も価値のないものだったからだ。家族がどれだけきつい思いでケアを担っていても誰の目にも止まらないし、この能力主義の世の中で彼女の存在自体が無いものとされている。社会的価値が与えられないことの大変さを身に染みて感じているのだから、子供にはそうなってほしくない。成績が悪いと叱られたり、体調を崩して休学した時に辛辣なことを言われたり、すべては私のためを思ってのことだった。

勉強以外も日常に溢れる全てのことに対し、小さいころから誰かに背中を押されるように「もっと!」「早く!」と声が聞こえてきた。お陰で「なんでもやることが早くて、てきぱきしてて、マルチタスクができる人」と人には見られていたのだけど、本当はいつも何かに焦っていて、何もしていない時間も常にまとわりつく焦燥感のせいでじっとしていられないだけだった。

最近、自分のリズムを取り戻しつつあると感じる。編み物を始めて1か月位はすごく気持ちが先走っていた。途中なんだか疲れてしまって、ふと自分に問いかけた。

なんでそんなに急いで編んでるの?誰と競争しているの?

早く編めても誰にも褒められないし、誰かから早く編まないと!と言われることも無い。好きなものを好きなだけ、好きなペースで編んだらいい。だってこれは完全に「私の時間」なのだから。

そう思えてから、ゆっくり一編み一編み、丁寧に編めるようになった。ずっと私は焦燥感に悩まされ、何かに取り組むときも焦燥感から逃れるためにやっていた。焦燥感から逃れたくてやった活動も焦燥感に掻き立てられて急いでしてしまうのだから、段々空気が足りなくてパクパクする金魚のような気分になってくる。しかし、ここ最近、生まれて初めて焦燥感がぐっと薄くなり、腰を据えて座っていられるようになってきた。そして体の重心が下に移動したのを感じる(これは今やっているフェルデンクライスメソッドのおかげでもあるのだけど、それについては後日書く)。何もしたくない時は編まなくてもいいし、編みたい時に編めばいい。一日1段でも編んでいたらいつかその作品は完成するのだから。

先月くらいから編み図が少し読めるようになって編める作品の幅が増えてきた。私が出かけるところは病院くらいしかなかったのだけど、急に毛糸屋さんに毎週通うようになった。色とりどりの毛糸玉たちがラックにぎっしり陳列されているお店に入り色んな毛糸を手に取って、その肌触りや色使いを見ていると、ふわふわした毛糸たちは私の心を緩ませる。毛糸屋さんの店員は、ひたすらじっくり編み物をしてて、服屋に入ったときみたいに「そちら、今月の新作です!!」「その服、最後の一着なんですよ!」「お客様にはこちらのブラウスもお似合いです!!」とあーだこーだと話しかけられ作り笑いで対応する必要もない。好きな質感、好きな色を好きなだけ眺めて、次はどの糸でどの作品を作ろうかと考えていると、勝手に手がうずうずしてしまう。

私はもともと、大阪のアメ村の古着屋さんが好きだった。アメ村には、よそにはないような個性的で派手な古着が沢山ある。神戸の古着屋さんで何個か服をレジに持っていたところ「大阪からきたんですか?」と店員さんに言われたことがある。はい、と私が返すと、「やっぱり~大阪の人はこういう色の服を絶対買うからわかるんですよ」と店員さんがにんまり笑った。

アメ村の古着屋さんにあるような服は絶対人と被らない。人と一緒じゃない服を着るということは、家族のしがらみに息苦しさを感じていた私にとって唯一のガス抜きだった。学生の頃は、ほぼ毎週古着屋さんに通って、古着のスモーキーな香りを嗅いだり、目がちかちかするような配色のブラウスを見て、向こう1週間分の元気を貰ってた。しかし、段々、もう歳だし落ち着かないとと思い始めて、アメ村の古着屋さんから足が遠のき、皆が好むようなブランドで万人受けするような服を選ぶようになった。はっきり言ってそういう服を着ていてもあんまり楽しくないのだが、病状が悪化するにつれ服を楽しむ余裕もなくなっていった。結局、私はファッションで自分を表現するということを放棄し、「みんな」の中に埋没していった。

しかし、毛糸屋さんで毛糸玉を買うとき、作品を作るとき、もう歳だから・・・なんて考えなくって全然かまわない。これは完全に「私の時間」なのだから。私はとにかく人と被らないものが好きなのだから、よそで売ってなさそうな色の組み合わせで作っている。こないだ編んだ、赤や青、オレンジのグラデーションの帽子はとても素敵だった。もし、学生の頃こんな帽子が古着屋さんで見たら絶対に買うだろう。先日、初めて編み図を読みながら編んだ、キャンディみたいなブルーとピンクの巾着もとても気に入っている(こんなおいしそうな配色の巾着は中々探しても見当たらない!)。自分で好きなものを作るということがこんなにワクワクすることだなんて知らなかった。ところどころ編み方を間違っていたり、編み目もそろってないのだけど、どの作品も自分の子供のようにかわいい。編み物の本を見るのも好きで、夜寝る前にパラパラめくっていると、部屋の無機質なLEDライトの明かりが、ふんわりした黄色や赤、青などの毛糸色に変わってく。色んな素敵な作品を見て満足しながら布団に入ると編み物をする夢を見る(夢の中でも編めるなんて最高ではないか!)。以前は酷いダルさを抱えながら布団から這うように起きてきていたのだけど、最近は「今日は何を編もう」と思う気持ちが、体に張り付いたダルさを軽減してくれる。

編み物の本を読んでいるとどんどん「編みたい欲」が増殖して来て困ってる。今持っている本の作品を編むだけでも向こう1年はかかるだろう。ベテランの人は自分でデザインして、編み図を書いてるらしい。そしたら今よりもっともっと好きなものを編めるのだ!編み物を始めて、急におちおち死んでられなくなってしまった!

自分を殺めようとした日からフラッシュバックに酷く襲われるようになった。ただテレビをぼーっと見ていても、ネットの検索をしていても、どこで地雷を踏んでしまって過去に引き戻されるか分からない。襲われたが最後、体中にぎゅっと力が入り身動き一つとれず、いくら空気を吸おうともまるでどんどん部屋が真空になってくるかのように息が出来なくなってしまう。こうなると部屋の隅っこで蹲り、時が過ぎるのを待つしかない。これに対しても編み物は、すごい効果を発揮する。なんせ、完全に自分を閉じてしまえるのだから。あと、次回以降書こうと思っているフェルデンクライスメソッドというボディワークも完全に自分を閉じることが出来る。外の世界を遮断して自分の世界に閉じこもって地雷を踏まないようにしていたら、思いがけずそれが自分と向き合う時間になり、私が知らなかった”私”を知りつつある。そして過去に生き延びるために手の内でぎゅっと握らなくてはならなかった色んな”癖”が体の内側から手放していけているのを感じてる。

昨日編み終えたデイジーの鍋敷き
最近アクリルだわし作りにもハマってます。

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11月25日追伸

明日、この原稿が公開されるにあたって、家族がこれを読んでまた何か思われるのではないかと、段々息苦しくなっている。さっきから小沼さん(アパートメントの管理人さん)に「やっぱりやめます」と連絡しようかとslackを開けたり閉じたりしているのだが、私は何かにびくつきながら生きるのをもう止めたい。そして小沼さんに連絡する代わりに、この気持ちも正直に書いてしまおうと思う。私は病気だから、家族に色んなことを手伝ってもらわないといけないし、経済的にも全く自立してない。そういう人が文章を書くことは生意気かもしれない。実際、書くことがまるで遠心分離機のように家族の文化から私を遠く遠くに運んでく。(「ノーマライゼーション育ての父」と言われるリィニエは、1970年にスウェーデンで知的障碍者たちと共に自分たちの「自己決定」について話し合い「親の会」で発表した。すると親たちから「障碍者に自分で考えることを教えている!」と批判され危険人物視され、結果的に自身の古巣であるスウェーデンを去らなくてはならなかった)。

私はもう、何かにびくつきながら、生きるのを止めたい。

強張りを手放して、体本来の滑らかな動きを取り戻したい。

久里子

久里子

1985年生まれ。線維筋痛症、慢性疲労症候群を患って12年目。

いつか書く仕事がしたい人。

Reviewed by
Maysa Tomikawa

そうか、久里子さんも編み物を始めたのか!って、読み始めてワクワクした。それと同時に、しばらく休んでいた間に、大変なことがたくさんあったのだなと思って。他人事だから無責任なことが言えるんだと怒られるかもしれないけれど、久里子さんが生きてくれて本当によかった。

レビューなのに自分のことを話すのは気がひけるけれど、わたしも以前は書くことでしか自分を救えないころがあった。本当に重症で、うまく人と交流できなくて。ブラジルでの高校時代は、ノートの中に書き殴っていた文章がわたしの世界だった。現実の世界とうまく向き合えなくて、差し伸べられた手さえ拒絶したりして。外の世界と関わることを、極度に恐れていたのだと思う。

いつしか書くことが辛くなるようになって、少しずつ距離を取るようになった。今でも物書きへの憧れはあるのだけれど、書くためには本当にいろんな苦しいことと向き合い続けなくてはいけなくて、今の自分には辛すぎる。職業として割り切って書ける人も、苦しいと思いながら書き続けることができる人もきっといるけれど、少なくとも今現在のわたしにはできないことで。

その点、編み物は言葉を使わない表現ができるから心地が良い。自分が美しいと思うものや、突然の思いつきや、面白い色の組み合わせや、編み方、いろんなことを正直に、思うままに表現できる。自分がつくるものに、自分自身で勝手に意味づけをして。だからこそ、今の私は編み物をしている。設計図を作って、このわがままに作ること、言葉に依らず表現できること。自分が好きな形の服に袖を通したときの、言いようもない嬉しい気持ち。設計図を書くことは、この気持ちを、編むことを通して別の誰かに経験してもらうこと。口下手だからこそ、この表現方法が自分に合っているのかなと思ったりもする。

わたしの思い込みかもしれないけれど、今の社会では言葉はあまりにも鋭くて、容赦がない。自分が発した言葉が、無数の、匿名の、顔のない言葉たちに切り刻まれることもある。それに疲れたときは、言葉を使わない方法もあるのだということが、久里子さんの選択肢の中にあること、本当に本当によかった。


頑張りすぎるからこそ、いくつかの道があるといいよね。編むことも、書くことも、どうかどうかほどほどに。大事なのは多分、下手なりにでも生きることだから。

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