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世界と自分の当事者であること

ひとと企業のPlaybook

「もう組織や企業の時代は終わりだ。これからは個人の時代だ」と新しい働き方を提唱する人たちがいる。

そういう本の著者プロフィールを見ると、たいてい有名な大企業で何をしてきたかという実績が誇らしげに書かれている。

やっぱりまだ企業が大事な存在なんじゃないか、と思ってしまう。

もちろん、時代や歴史は変わっていくのだろうけど、それはおそらくとてもゆっくりとした変化であって、慌てて何かをする選択は、きっと早すぎた適応になるのではないかな。

…ということは僕もわかっている。

でも、有名な企業で働くことに、そもそも疎外を感じがちなひとも、やはりいるのだ。

僕は前回の記事を書いたあと、色々な人達と会った。

つい考えてしまうのは、「みんななんのために働いているのかな」ということだ。

4000億円の企業価値がある大きな会社の人に「会社で最も影響力のある人は誰ですか」と聞いたら、「会長です」と言っていた。

社長でも会長でもいいのだけど、でもその会社で働くたくさんの人たちは、会長と話をしたり、会長の意思決定を信じたりする機会はそんなにないだろうな。ではなんのために会長と一緒に働くのかな、というような事を僕は考えてしまうのだ。

そしてその会長はなんのために働いているのかな?ということも。

もちろん「会社は自分がやりたい事をする環境としてはよい所だよ。そんなに期待せずに、うまく付き合っていけばいいじゃない」という考え方もあるだろうね。

それはとても幸福な関係だとも思う。

でも僕は、なんのために、だれと共に、どんな責任を負うのか、という事を働く上でつい気にしてしまう。

僕のファーストキャリアは、フィーチャーフォンサイト(ガラケーだね)の運営をしている会社だった。

そこでスポーツニュースを配信するサイトを主に担当していたのだけど、日々どれだけたくさん働いても、どうしても世界から疎外されている感じがしたんだ。

僕が責任者だったサイトは、多いときで月に1億3000万くらいのPVがあって、日本で多くの人が使ってくれていたし、楽しんでくれていたのだろうとは思う。

でも僕には、100万人を超えていたユーザーのことを、伸ばすべき数字だとしか考えられなかった。ひとりひとりの顔を見ることも、生活を想像することもなかった。働くたびに消耗していったんだ。

それは多分、巨大なニュースサイトだからどうこうではなくて、

・そもそもぼく達はなんのため(誰のために)に、この仕事をするのか
・どんな仲間たちと、この仕事をするのか
・うまく行ったとき、失敗したとき、それぞれどんな責任があるのか

といったことを、一切考えないまま、日々の業務に埋もれていったのだろうね。働けば働くほど、自分の人生と仕事の関係が希薄になるという図式だ。

「たくさん働くと、知らず知らずのうちに、自分と世界の関係が失われていく」この問題はぼくの中に深く根を張ってしまった。

これは僕だけが感じることなのかな。それとも、みんな似たような事を感じているのかな。

みんな、どう思う?

…と、ここまでで今回の原稿を終わらせようとしていたのだけど、もうちょっとがんばって続きを書いてみよう。

僕はおそらく、これからの人生において、なんらかのポジションで「プロフェッショナルなビジネスパーソン」になることはないと思うんだ。

プロの経営者や、よきプロダクトオーナー、新規事業の立ち上げ屋さん。きっとどれにもなれない。

僕が働く上で求めているのは、そもそも、プロフェッショナルというよりも、表現に近い。

音楽を奏でたり、絵を描いたり、直接的な生産性とは別のなにか。でも誰かの人生には影響を及ぼすこともあるなにかという意味で。

何かを表現しながら生きたい。そのためのスキルとしてのビジネスがあるといった順番だ。

これまでいくつか事業をつくって来たので、ここ数年は「新規事業を企画し立ち上げること」をミッションとして人と話すことが多かったのだけど、そこで困難を覚えるのは、やはり「なんのために、だれと共に、どんな責任を負うのか」が自分でも見えないことだ。

これって、企業が歴史を重ねるほど、大きくなるほど、見えにくくなるんじゃないかな。

働くことで世界のつながりは豊かになるのか、それとも失われてゆくのか、が気になってしまうのだろうね。

「つながりが失われる」の逆の意味の言葉として浮かぶのは「当事者であること」だ。

事業活動の当事者であること。そのうえで、世界の当事者であること。自分の当事者であること。それを諦めないこと。

これはなかなかに難しい。

企業というのは、たくさんのつながりで成立している。

経営者、経営メンバー、従業員、お客さん、取引先、提携先、株主、金融機関、メディア、オフィスビル、その他もろもろ。

この中で例えば株主、資本構成だけを取り出して考えてみたって、「なんのために、だれと共に、どんな責任を負うのか」という筋を通すのは生半可なことじゃない。

でもまあ、自分の人生の当事者であるということは、面倒を引き受けるということでもあるだろう。

考える事を委託しないこと。
責任を委託しないこと。
人生を委託しないこと。

どうしたらそんな事ができるだろうか。

僕は今も試行錯誤している。

東藤泰宏

東藤泰宏

1981年生まれ。自身のうつ経験をもとにした会社「U2plus」を創業、その後株式会社LITALICOへ事業譲渡。株式会社CAMPFIREにて「GoodMorning」をつくる。現在は大手企業にて新規事業開発に関することをしている。

仕事は上手ではないが、仕事を考えるのは好き。

Reviewed by
moto

原点回帰の趣のあるとうどうさんの1月の記事。

人は何のために働くのか。企業は何のために存在するのか。自分と世界との関係にとって、働くということはどういう意味を持つのか。

「たくさん働くと、知らず知らずのうちに、自分と世界の関係が失われていく」

身に覚えのある人はいないだろうか。

それに耐えられる人もいれば、どうしてもやり切れない人もいるだろう。

自己を使い果たすほどに世界から自分が切り離されていく感覚に対して、長い長い思索の果てに今東藤さんが一つの答えとして見出すのは、「当事者であること」。どういうことか気になったら、頁を開いてみてほしい。

同じことを考えたことのある人なら分かるはず。それはどこまでも終わりの無い道のりだ。

とうどうさんの試行錯誤はまだまだ続く。

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