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あなたにとってのかにぱん、わたしにとってのコアラパン

図書館の中の暴風

世の中、有益な物語が溢れている。そこには起承転結があり、感情があり、共感がある。あなたの生活はどうですか。面白いですか。有益ですか。オチがありますか。感動はありますか。わたしの生活は無駄ばかりです。考えて動いているつもりでもほとんどは多分無意識で手を動かし、足を動かしているでしょう。脳みそは半分以上眠っています。

わたしたちはもっと、無駄な話をしましょう。後に何も残らないような、オチも物語もない物語を読み語りましょう。飲み会の翌朝、帰り道に見た薄汚れた川がきれいだったみたいな余韻だけが残るような、そういう話をもっとしましょう。分かり合えない一方通行を繰り返すことで、自分では捉えることがないものを知りたい。たとえばあなたにとってのかにぱんは、わたしにとってのコアラパンかもしれない。共感と感動の端っこでオチのない話をあなたとしたい。

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これが最後の往復書簡になります。これまでご覧くださったみなさま、レビュアーのののかさん、早間さん、そしてお手紙のお相手をしてくれたゆきのさん、いつもありがとうございました。またお話ししましょう。

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もしこれがレコードであったのなら、文字通り擦り切れるまで聴いたであろう曲を聴いている。眠れないのでウィスキーを飲みつつだらだらと音楽を聴いていたら、いつの間にか明け方近くになっていた。もうすぐ弟が帰宅する時間だ。

わたしの住むこの川沿いのマンションに、弟が転がり込んで来たのは昨年のことだった。大阪府内の大学に進学が決まり、実家のある洲本から通うのは大変だということで、「ちょうどいい家があった」と言わんばかりに身一つで引越してきた。そんな弟は現在夏季休暇中で、バーテンダーのアルバイトに精を出している。

窓の外に目をやると、土佐堀川の黒い水面にきらきらと街灯が反射しているのが見える。少し西へ下ると安治川、そして東へ上ると大川という名前で呼ばれるらしい。厳密にはどこから名前が変わるんだろうと不思議に思う。
この川は都会の中を這うように流れているので、—いや、川を街が覆ったのかもしれない、挟んでお向かいさんが見える。川というよりプールのようだと思う。

この部屋に住むと決めたのは、いつでも部屋から水辺を眺めることができるからだった。大阪は水都というけれど、本当に水辺を近くに感じながら住むとなると、案外部屋選びというのは限られていた。わたしは根拠のない心の拠り所として川を求めていた。(根拠のある心の拠り所などあるだろうか?)
だから、たまたまこの土佐堀川沿いの家に空きが出たのは本当に運が良かった。でも、それは一つの拠り所であって全てではなかった。わたしは多くのことを、手に入れるまでは何も知らないのだ。

弟はもうじきに煙草とアルコールの匂いを漂わせつつ帰ってくるだろう。それらからは生々しい夜の匂いがするので、「昨日の夜」を持ち帰ってきている、といつも思う。もし世界が朝から始まったのなら、弟とわたしの交差する時間は、世界の終電間際の時間だ。

わたしはあくびをしながらテレビを見ていた。テレビでは深夜だか早朝のニュース番組をやっていて、フランスとイギリスのほたてにまつわる漁業争いだとか、サマータイム導入に関する賛否の話だとか、そういう話をしていた。
聴きたい話はどこにもない。どこにもないのだ。

鍵穴を開ける音と電話のベルは、往々にして暴力的である。
弟はやはり昨日の夜の匂いをまとわせながら帰宅して、「ああ今すぐ、ぐっすりと眠りたい」と言いながらどさっとソファに座り込み、煙草に火をつけた。

「わたし、バックパッカーになろうかなと思うんやけど」
「なんで急に?」
弟はため息のようにふーっと煙草の煙を吐き出した。
「自由を求めて」
「バックパッカーもまた制約の中を生きてると思うけど」
「もし行ったらついてくる?」
「まあ行くかな」
「それはなんで」
「行動力の問題やな」
わたしは淹れたばかりの熱いコーヒーを飲みながら考える。どちらも本質的に一人で生きていられないのかもしれない。

「雷、鳴らへんかなあ」
退屈しのぎができればなんでもいいのだ。もしくは今という時間を忘れる何かさえあれば。膨大な量の時間がじりじりとわたしを押しつぶしている。

どこか遠くに行かなければ、と思う。どこか遠くに。でもわたしは、自分がどこにも行けないことを知っている。
もうすぐ夜が明ける。

坂中 茱萸

坂中 茱萸

短歌同人「えいしょ」所属の歌人未満です。

中田 幸乃

中田 幸乃

1991年、愛媛県生まれ。書店員をしたり、小さな本屋の店長をしたりしていました。

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