入居者名・記事名・タグで
検索できます。

遠くへ行きたい気持ちを料理に変えている

図書館の中の暴風

「図書館の中の暴風」は、わたし(坂中茱萸)と中田幸乃さんが毎月第二金曜日と第四金曜日に交互に更新する、交換日記のような連載です。

———-

毎日料理のことばかり考えて暮らしています。

最近、お弁当生活を再開しました。元々料理が好きで、今年の初め頃まではお昼にはお弁当を持参していたのですが、色々あって中断していました。色々というのは以下のような、超・個人的な理由です。

プラスチックのお弁当の蓋の裏につく水滴が嫌/開閉するときのかちゃかちゃという音が嫌/オフィスに広がる匂いが嫌/(一段弁当の)ご飯におかずの汁気が混じるのが嫌/そもそも料理が義務になっているのが嫌 などなど。

そんなこんなでお弁当作りに嫌気が差して、それにまつわるあらゆる負担から一度解放されたいと思い、しばらくお弁当持参を止めていました。それはそこそこ楽だったのですが、最近人と一緒に住むようになり、気持ちが変貌しました。というより兼ねてから密かに持っていた「誰かにご飯を作りたい欲」がふつふつと顔を出し始めたのです。その欲望が叶えられる環境となったので(同居人は料理をしない人です)、わたしは(ほぼ)毎日のお弁当生活を再開すること至りました。ちなみに上記のあらゆるストレスは、お弁当箱の形や素材を変えるなどしてほとんど回避できました。なんとまあ。

料理をするとき、わたしは何はともあれ無心になれます。やったことないけれど、編み物とかヨガとかもこういう感じなのかもしれないなあと思います。わたしにとって料理は、動いた心を戻す作業なのです。単純で創造的でマルチタスクでありシングルタスク。科学と文学の交差する台所で(なんのこっちゃ)、できることなら腰を据えて料理職人となって一生を終えたいものだとすら思います。

愛が趣味になったら愛は死ぬね…テーブル拭いてテーブルで寝る/雪舟えま『たんぽるぽる』

愛が趣味になると愛は死ぬのだという。言い切られたらそうかもしれないと思ってしまう。わたしは弁当作りが嫌になった理由として「料理が義務になったから」と挙げましたが、飽きてからが生活の本番だと思います。さてどうしよう。

二つほど話を戻して、そういう「職人」という意味で、幸乃さんが最近働いているという鮮魚売り場のTさんはわたしも憧れるだろうなと思いながら読みました。バウムクーヘンのように言葉に厚みを持ちたいものですよね。幸乃さんは、「余計な装飾のない、これまで経験してきたことが滲み出てきているような言葉を使う人が、自分にとっての信頼できる人なのかもしれない」と書いていましたが、わたしはあなたの文章もまた、自分の言葉で話している言葉だなあと感じて、信頼できます。何はともあれ、良い職場のようで羨ましいなあ。

今日はハムときゅうりのサンドイッチとコロッケのサンドイッチを作りました。レシピを調べたところ、ハムは折りたたんで並べるとふんわりボリュームが出る上に、断面がうつくしくなるのだそう。また、きゅうりは大きく斜め薄切りにして水気を切り、パンを切ったとき均等に並ぶように配置するとよいとのこと。早速実践したところ、今までの雑さとは違う出来栄えで驚きました。手間をかけると、見た目にもおいしくなるんですね。

わたしは、どこか遠くへ旅に出たいという気持ちを料理に変えているのかもしれません。

幸乃さんは今日何を食べましたか。朝夕は涼しくなってきました。あたたかくおいしいものを食べて暮らしてくださいね。

水を切りハムを挟んで整える 鳴らしてもいい鈴があります/坂中茱萸

坂中 茱萸

坂中 茱萸

短歌同人「えいしょ」所属の歌人未満です。

中田 幸乃

中田 幸乃

1991年、愛媛県生まれ。書店員をしたり、小さな本屋の店長をしたりしていました。

Reviewed by
佐々木ののか

旅に出たいという気持ちを料理に変えているのかもしれないという坂中さん。サンドイッチのハムの挟み方、キュウリの切り方などを工夫するお話を聞いて、料理とは自分で耕せる、最も身近な”辺境の地”あるいは”異界”なのかもしれないと思いました。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る