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火を焚く

図書館の中の暴風

「図書館の中の暴風」は、わたし(中田幸乃)と坂中茱萸さんが毎月第二金曜日と第四金曜日に交互に更新する、交換日記のような連載です。


 

山に夕闇がせまる

子供達よ

ほら もう夜が背中まできている

火を焚きなさい

 

山尾三省という人の詩の一節です。わがやはお風呂を薪で焚いているのですが、佐渡に来て、初めて自分ひとりで火を焚けたとき、すぐにこの詩を読み返しました。詩の中に「オレンジ色の炎の奥の金色の神殿」という表現があります。パチパチと小さな音を鳴らしながら燃えている炎は、じっと見れば見るほど、美しく、荘厳で、小さな火なのにとても大きく感じられ、「神殿」という表現の的確さに感動すらしてしまいます。

山に夕闇がせまる頃、ひぐらしの声と一緒に、涼しい風が部屋に入ってきます。部屋の灯りをつけて、(手際が悪いので)そわそわと夕飯の準備をしていると、ガタガタと建付けの悪い戸を開ける音がする。ただいまー、の声と、出迎えに走ったねこの鳴き声が重なる。

一日の中で、この時間が一番好きかもしれません。

先日、仕事終わりの耕さんと、近くの海までドライブしました。誰もいない、静かな海。お世辞にも綺麗とは言えないゴミだらけの砂浜、そこを這うようなネコノシタの群生、突き立てられた大きな流木(根を張っているのでは?と思うくらいしっかりと立っている)。瀬戸内海の、小さな島がぽこぽこと点在している風景を見慣れているわたしには、ひたすらに広い日本海が、まだ少し怖い。見慣れない草花、打ち寄せる波の音、隕石のような岩を見渡して、異世界に連れてこられたかのような心細さになる。だから、肌寒さを口実にして、耕さんにくっついてみようかと考えたのだけど、静かに海を眺めている横顔を見たとき、咄嗟に、近付けない、と思いました。

今、この人の世界にわたしはいない。奪ってはいけない、わたしのいない世界を。わたしが登場してはいけない。そう思った。そして、どうしようもない孤独感に襲われました。

一緒にいる時間が長くても、その間どれだけ対話を重ねても、本当の心は分からない。当たり前のことなのに、寂しい海を前にして、こんな、打ちのめされたような心持ちになるのは、分かり合えていると思い込んでいたからでしょう。この人のことを誰よりも分かっているのは自分だ、とすっかり思い込んでいたから。

いつも一緒にいるから、そう錯覚してしまうのかもしれない。あるいは、そうでも思っていないと、一緒にいる自信がなくなるから。突然、落とし穴に落っこちたようでした。

とはいえ、日々の暮らしは、海から離れて進んでゆきます。絶望的な孤独感は薄らいで、また、なんとなく分かり合えているような気持ちになる。最高に楽しくて愛おしい瞬間があれば、むかついたり、不安になったりする時もある。でも、それでいいのかもしれません。茱萸さんの言うとおり、わたしは、わたしのできることをするしかないのです。

冒頭で火の話をしたのは、茱萸さんにとって「怖いけど、圧倒的で、透明で、いつもそこにあっていつも姿を変える」という川の表現を、火を焚きながら思い出したからです。

どんなに心が暴れていても、火を見ていると落ち着きます。「できることをするしかない」という気持ちにたどり着くことができる。それはつまり、ひとりの自分に戻ることができる、ということなのだろうと思います。

先日、ある人から、「落ち込んでいるからわたしの好きなところを教えて」というLINEが深夜に届きました。パートナーと諍いがあって、落ち込んでしまい、そのメッセージを何人かに同時に送ったそうなのですが、すごくいい方法だと思ったのです。好きなところはたくさんあるので、もちろん、喜んで返信しました。

その人とパートナーの話を聞いていると、思い当たる点がたくさんあります。相手の存在が大きくなりすぎて、いつも自分の見える範囲にいてくれないと不安になる。それは自分の自信のなさが原因で、一緒に暮らし始めて、物理的に手の届く範囲にいられるから安心しているだけで、知らない部分や、侵してはいけない領域が現れると、彼を失うかもしれない恐怖に支配される。

わたしはそういう自分の自信のなさを嫌悪して、封印しようとしていたけれど、目を逸らすのではなくて、向き合うべきなのだろうと思います。自分にとっての耕さんの存在を薄めようと努力するのではなくて、大切にしながら、他にも足場を持つ方がいい。

一人の人と向き合い続けて自信をなくしそうになったら、「わたしの好きなところを教えて」と友人たちに聞けたらいいな、と思う。そうやって、自分の輪郭をたどり直してゆけたら。感情が暴れだしそうになったときは、火を焚く。川を見る。圧倒的で、いつもそこにあっていつも姿を変える存在があることを、お守りのように覚えておく。

茱萸さんのつくる短歌も、川であり、焚き火の火であり、夕暮れの風であるように感じます。透明なもの。

家の前には川が流れています。

それでは、また。

中田 幸乃

中田 幸乃

1991年、愛媛県生まれ。書店員をしたり、小さな本屋の店長をしたりしていました。

坂中 茱萸

坂中 茱萸

短歌同人「えいしょ」所属の歌人未満です。

Reviewed by
佐々木ののか

かけがえのない存在はかけがえないゆえに恐ろしく、最初からなかったほうが良いのではとさえ思うこともあります。けれど、そうではないことを、幸乃さんは今回の手紙の中で教えてくれています。

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