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余白考

図書館の中の暴風

茱萸さんこんばんは。

先日、こちらでは初雪が降りました。冬の佐渡に何度か遊びに来てはいたけれど、生活の中に「雪」という天気が巡ってくるのは初めて。朝、目が覚めたとき、窓から入ってくる光がいつもと違うのです。やわらかなまばゆさ。雪景色がうれしくて、写真を撮って母に送ったり、雪を触ってみたり、猫に雪を見せてみたり(無表情)していたら仕事に遅刻しかけました。浮き足立ちますね。

さて。茱萸さんの「おはぎ」の話、うっとりとしながら読みました。呼び名のこともそうだけど、ぼた餅に、緑茶ではなく珈琲を合わせてみる好奇心にときめいた!

わたしは緑茶どころか、そもそも飲み物を用意することすら億劫がるような人間です。ひとり暮らしの頃は、食事のときに水道水を飲んでいました。まともに料理もしていなかったので、水道水で充分だったのですよ…。

わたしはつくづく「自分のためにひと手間かける」ということが苦手なのだと、人と暮らして実感しました。ひとりだと「面倒くさい」が常に勝っちゃうけど、他者の存在があることで、なんとか面倒くさいに負けずにいられる(負けるときも多い)から毎日料理を作ることができている現在。そして、毎日作り続けていたおかげで、料理を作る過程の中に「余白」が生まれてきたように思います。腹を満たすためだけではない、何か。テーマを決めて作るとか、あれこれ調理法を試してみるとか、そういう試行錯誤をする余裕が出てきて、ようやく料理が楽しくなってきました。

ひとり暮らしの生活を思い返すと、ずるずると時間を持て余していたけれど、余白があったようには思えない。余白というのは、じっと待っていて手に入るものではなくて、思考したり、手を動かして試してみたりするための時間や体力が必要なのかもしれません。自力で見つけよう、神様。ひとり暮らしの頃は、お金がなくて生活するのに精一杯だったから、余白にたどりつく余裕がなかったのかもしれない。いや、怠惰なだけか、わたしの場合は…。

「おやつのような存在でいたい」という願望、すごくいいね。今、社会から余計なものが削ぎ落とされていっているような気がします。わたしは、ただなんとなくそこにある、うまく言えないけれど好き、みたいなぼんやりしたものが、ぼんやりしたまま存在していてほしいと思っています。誰もが納得する意味も理由もなくていい。そして、余計なものは、特権階級の人たちだけの楽しみではなくて、誰もが自由に楽しめるものであるべきだと思います。

抗いたいです。

さあ年末年始、茱萸さんはどんな風に過ごすのでしょうか。わたしはスーパーでのアルバイトにつき、大晦日は夕方まで仕事です。お正月の食べ物がたくさん並ぶようで楽しみ。お刺身が余ったら持って帰りたい(いつももらっている)。新年はお休みなので多分ポケモンをするでしょう。

茱萸さんがよい年末年始を過ごせますように。そして、来年からもどうぞよろしくお願いします。

それでは!

翻訳家の岸本佐知子さんが「存在そのものが邪悪」「(夜道で遭遇してしまったら)横に回り込んで車輪に鉄棒を差し入れて脱線させる」と言って恐れているトーマスが佐渡に封印されていました。
中田 幸乃

中田 幸乃

1991年、愛媛県生まれ。書店員をしたり、小さな本屋の店長をしたりしていました。

坂中 茱萸

坂中 茱萸

短歌同人「えいしょ」所属の歌人未満です。

Reviewed by
早間 果実

「抗いたいです。」
その前後の行の谷間に、たくさんの思いが詰まっているように感じられました。
それは言葉にしきれない、するのが難しい、もしかしたらできるのだけど、してしまったら陳腐になってしまいそうな、けれどもとても大切で複雑な何かなのかな。
あ、これこそ自力で見出せる余白、なのでしょうか。ちょっと本文との文脈とは逸れますが。
私も最近は余裕がなくて、キッチンに立つのが億劫になってしまっています。
けれども、余裕のない状態に素直に白旗を上げ、思い切って外食しようと街に繰り出すと、そこでまた面白い出会いがあったりして。
一緒に見つけさせてください、神様。

Merry Christmas and Happy New Year!

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