暗中模索の再出発、不安も憂うつもダッシュボードには収まり切らず

第1期(2012年2月-3月)

また二日酔いだ・・・。
というより今、いったい何日酔いなのだろう・・・。
安酒を来る日も来る日も浴びるように飲んで、時に暴れ、叫び、泣き、記憶を失くして頭痛と共に道で目覚める。
鉛のように重たい体を引きずりながらアルバイトに向かう道すがら、また思う
「俺は馬鹿か・・・」と。

去年4月、6年間苦楽を共にしてきたバンドが解散した。
理由は簡単、全員が全員と一緒に居る事にうんざりしたから。
積み上げてきた日々、仲間やファンを天秤にかけて、それでもそれらを乱暴にぶち捨ててしまうほど僕らは互いに疲弊してしまっていた。
青春の大半を費やしてきたバンドは多少惜しまれつつも事の他あっさりと消えてなくなった。

以来行きどころを失くし、力を持て余した僕は非常に解りやすくぐれあがった。
酒に溺れ、悪いと言われる事から順にやって暴れまわる。
遅めにやって来た思春期のごとく駄々をこねて、さながらチャールズ・ブコウスキーにでもなった気でいたのだ。

文字通りの自暴自棄を繰り返して、悪友すらも近寄らなくなった頃、見かねた元メンバー(今のレーベルの社長)が声をかけてくれ、半ば拾われる形で彼の新しく立ち上げたレーベルの一員になった。
社長に連れられて関係各所に謝罪回りをしてる時の情けなさときたら・・・。
そうして一通りの恥をさらし切った僕は、未だボロボロのまま、缶ビール片手に約八ヵ月ぶりにうっすらとホコリをかぶったギターを手に取った。
腕はなまり切っていた。

年が明けて2012年。
リハビリのような生活をしながら暗中模索の作曲をする僕のもとに、破天荒な母から連絡がきた。
なんでも自分のやっていたブログを引き継いでほしいというのだ。
母の事はまた別の機会に書くとして、あまり深く考えずにブログを承諾すると、そこからはあれよあれよという間に朝弘さんから連絡が来て、あれよあれよという間にこの初回の日記を朝方までタイピングして現在にいたる。

まったく何の意図も心つもりもないまま初めてしまったこの日記。
思いがけず手に入れた「アパートメント」の一室。
ここには様々な方が同居なさっているようだが、社交性も協調性もかけらも持ち合わせていないこの僕に上手くやっていけるのかどうかはなはだ不安である。
しかし、奇しくもその社交性と協調性こそ僕の目下のリハビリ課題。
どうかどうか温かい目で見守ってほしい。