あまり気にならないことについて。

第6期(2012年12月-2013年1月)

タカヒロさんからご紹介いただきまして、ちょっとこちらに文章をということとなりました。
短い間ですがよろしくお願いいたします。

あまり気にならないことについて。
過去、未来、現在、記憶力、宇宙の力みたいなもの。

自分は記憶力が非常にない方で、しょっちゅう目的を見失い、道に迷う。
そんな自分が書く昔ばなしだから当然正確さを欠く訳だけど、
特に誰かにその間違いを指摘される訳でもないだろうから、記憶のままにとにかく書いてみる。

そしてまずこの話しの前提として、時間というものはさほど不可逆でもないんじゃないのか、
時間の経過をきっちりと証明できる術なんて実はないんじゃないのか、
だから未来の先にその未来の過去があったり、また過去の前にその過去の未来があったとしても、
さほどなくはない話じゃないのか、と自分は思っている。

輪廻転生とかタイムスリップということではなく、つまりは宇宙は巨大だが有限な箱のようなもので、
その箱の中に様々な銀河系の過去と現在と未来が1ダーズぐらい入っているだけだから、
ちょっとした瞬間に捩じれることもあれば折れ曲がることだってあんじゃないのか、と。

確かに今日と明日ではその違いを微塵も感じられはしないが、3ヶ月前と今日を比べると、
『嗚呼、俺の中のテロメアがちょっと短くなったんだな、なんだか悲しいな』という身体的な実感がある。
薄い恐怖がある。時間は老化という過程として、過去から現在を経て未来へ向かっているとわかる。
だぶん99.9999%そうだろう。

そこで時間という呼び方をちょっと変えてみる。呼び方さえ正しければ、それがすべてだ。ではなんだろう。
時間=時+間=Time+Hour
Hourの方は主観的な概念だから、Timeの時の方だけ考えてみる。

タイム、、ツーと秒針が滑らかに回る時計はリアルすぎてなるほど怖く、
そこに分け入る隙はないように見えるが、
大丈夫、そこは煮込んだ寒天のごとく冷やして賽の目にしてやればいい。

とすると、ここでもう1つの身勝手な前提。
0、-1と+1、-10と+10、-100と+100、-1000と+1000、-10000と+10000、-100000と+100000、、、、
宇宙の始まりがゼロだとして、今が-100000000000000000と+100000000000000000のゼロ。
まるでBoseのノイズキャンセラーヘッドフォンのように、逆位相をぶつけた無音。
マイナスの爆音とプラスの爆音からできた無音。

自分はよく道に迷う。
そして、よく時間にも迷う。

昔よく通っていた近所の駄菓子屋で、俺はいつものホームランバーのホームランを今度こそ当ててやろうと、
アイスボックスの中に頭を突っ込んでゴッソゴッソとホームランバーをかき回していた。(当時6歳)
そして手応えがあった。カキンッと景気のいい音も鳴っていたと思う。皆が空を見上げていた。
俺は選び抜いたそのホームランバーを握りしめ、駄菓子屋のばあさんに力強く冷たいその手を差し出した。
まさしく時が止まった。
おれの手のひらにあるはずの50円玉がない。子供ながらに目眩がする。
慌ててポケットを探すも50円玉があった形跡すらない。当然ばあさんも固まっている。
耳鳴りがして、喉が渇いた。もう何も聞こえない。50円玉が消えた。
物が消えるという現象をこの時初めて知った。
俺の鮮明な記憶はそこまでで、どうやって家に帰ったのかもわからない。
ホームランバーを盗み、走りながら頬張った記憶もない。恐らく目を見開いたまま、
茫然自失で帰路についたんだろうと思う。

でも今は知っている。自分の記憶の中にそれを見つけたのか、あるいは知らぬ間にアカシックレコードにでもアクセスしたのか、おれはあの日、手のひらに50円玉を握りしめて家を出た。そして駄菓子屋で、その手を開いてホームランバーの海を泳いだ。

俺の50円玉はあのアイスボックスの底だ。アトランティスと共に沈んだ金塊さながらに静かにそこにある。

時はその極めて粒だった特性として、未来に過去が、過去に未来が混じり合う。
現実的な物体として。リアルな素粒子の固まりとして。もう時間と物質の区別はない。

そして思う。あの時のあの50円玉が、ふと開いたこの手のひらに光り輝くことを。