幸せ (絵 矢野ミチル→ 文 中島弘貴)

第8期(2013年4月-5月)

パッチは雇われの冒険家だった。依頼内容と報酬次第では、世界中のどんな僻地へも赴く。幾多の冒険を乗り越えた彼の体には大小様々な傷が刻まれ、危険な動植物や巨大菌類などとの対決を経たその体には植物や地衣・苔類や粘菌が同居し、根や葉や茎や花や実、そしてそのどれともつかぬものからなる多くの器官が形成されていた。それらはもはや彼と密接な共生関係を築いており、取り除こうとすれば命に関わるのだ。
そんな奇妙な外見をした彼だが、「世界で五指に入る冒険家」と謳われるほど腕は確かだったので、依頼には全く不自由せず、気に入らないものは容赦なく撥ね付けるのだった。

その依頼には破格の好条件がついた。一億ガレの報酬金のうちの半分は前払いで、仕事にかかる諸経費は全て依頼者持ち。期限はかっきり十五年で、任務に失敗しても前金を返す必要がない。
依頼人のワシリスは医療界の大事業家で、意識不明で寝たきりの愛妻を治すために尽力していた。彼の経営する企業傘下の優れた研究所をあげて妻の病気の正体を突き止めた結果、その治療にはかつての仕事仲間の力が必要だと分かった。その男は変わり者として知られる傑出した南洋医で、豊かな毛で覆われた体に天文学的な数の病原体を住まわせており、それを元にして薬を作る。彼は自然下にある病原体を求めて世界各地を回っているので、滅多に連絡がつかない。しかも、この十年ほどは連絡が完全に途絶えていたのだ。
「そのスーマー・グリズリーという男の消息を突きとめてもらいたいんです。もしも彼の生存が実際に確認できたなら、私の元へ連れて来て頂くか、妻の病気を治す薬の元になる病原体を彼からもらって来て欲しいんです」
ワシリスはパッチに言い、
「しかし、彼の居場所の手がかりは何もありません。なので、提案が一つあります。私の知る、とある探索家と共に仕事をして頂けませんか。第六感を使って人を探す天才で、名前をミカといいます」
と、さらに続けた。
その数日後、ワシリスを介してパッチはミカと対面したが、彼女はなんと十歳にも満たない小さな女の子だった。
「こんな娘っ子に何が出来るって言うんです?おれはこんなお荷物と一緒に仕事をするなんてお断りですよ!」
ミカの名前と能力しか聞かされていなかったパッチは激昂して言った。
「しかし、彼女の力なしに仕事を達成できる見込みはゼロに近いんじゃないでしょうか」
と、ワシリスが返す。一方のミカは無表情で、どこを見ているのか、何を考えているのかも分からない様子だ。
「その力が本当にあるのかだって怪しいもんです。役に立つどころか、仕事の邪魔になる可能性の方が高そうに見えますけどね」
「ミカにはこれまでにも何度か仕事をしてもらったので、その点は保証します。しかし、パッチさんほどの方が、たった一人の女の子の同伴によって仕事に支障を来たすとはとても信じられませんが…」
そう言われて、パッチはミカの同伴を渋々了承したのだった。

パッチはミカを連れて方々を探し回った。移動を急ぐときやミカが疲れたとき、あるいは二人で危険なところへ踏み込むときには、パッチが腰に付けた巻貝製の青く大きな鞄(かばん)の上に彼女を乗せて歩いた。ミカは鳥のように軽く、しかも大変おとなしかったので、頑強なパッチの苦にはならなかった。
ミカの探索能力は大したものだった。ワシリスからスーマーの名前を聞き、彼の写真を数枚見せてもらっただけで、その居場所を感じ取ることができた。死人に対してミカの第六感は働かないので、スーマーが生存していることは明らかだった。
「だけど、おかしいの。健康であればもっと強い気が発されるはずなのに、スーマーさんから発される気はこれまでに経験したことのないほど微弱なものだわ。瀕死でいるのかも知れないし、他に未知の理由があるのかも」
と、ミカは焦点の定まらない眼をして、子供らしくない論理と言葉遣いで抑揚なく話すのだった。
探索は困難を極めた。スーマーから発される気は不規則に強くなったり弱くなったりしたので、ミカでさえも感知できない期間があり、長いときはそれがおよそ一年にも及んだ。また、彼の移動はのろのろしているかと思えば信じ難いほど速くなるので、追跡の苦労も多かった。その上、スーマーは頻繁に海を渡るので尚更だった。
というわけで、旅立ってから四年が経とうとしていたとき、二人はようやく彼と会うことができたのである。

そこは陰気な湿地帯だった。ぼこぼこぽこぽこと音を立ててそこら中から気泡が吐き出されている広大な泥沼の中に、小さな陸地があった。背の高い草で覆われたその上には、一匹の巨大な軟体動物がいた。鞄の上に乗ったミカが言うには、徐々に弱くはなっているものの、スーマーの気は間違いなくその動物から発されているとのことだった。
「スーマーさんですか?」
恐る恐るパッチが訊くと、軟体動物は体の中から仄かな光を帯びた。そのやわらかい光が少しずつ強くなり、内部にいるスーマーの姿が明らかになった。

「…ああ、随分と久しぶりにその名前を呼ばれたよ。私に何かご用かな?」
スーマーは半ば眠っているように、うっとりとした様子で言った。パッチはワシリスからの依頼内容を話した。
「ご覧の通り、私はずっと前からこの動物に取り込まれているんだ。だから、君達と一緒に行くことはできない。だが、その病原体なら私が確かに持っているよ。ほら、持って行くといい」
夢見心地のスーマーがそう言うと、軟体動物の胸に小さな穴が一つ空き、そこから病原体を含む、とろみを帯びた薄桃色の液体が分泌され始めた。手袋をはめたパッチが、それをガラス瓶に入れてゆく。その採取が終るか終らないかというところで、スーマーは突如として体をびくりと震わせ、眼を大きく開いた。
「まずい!私の中の鳥が眼を覚まそうとしている。一刻も早くここを離れないと、君たちも体を乗っ取られるぞ!あいつは凶暴で、人間の体に卵を植え付けるんだ!さあ、早く行きなさい!早く!」
つまり、スーマーは軟体動物と鳥という、二つの生物に寄生されていたのだった。探索の際に分かった、頻繁に海を渡るという彼の行動は、鳥の働きによるものだったのだ。ともあれ、急がねばならなかった。軟体動物の体が左側から裂け、みるみるうちに双頭の鳥が現れる。パッチは鞄の中にガラス瓶を素早くしまうと、ミカを乗せたまま、ぬかるみの中を全力で駈けた。
「パッチ、急いで!あの鳥が飛行して追って来る!スーマーの気はもう感じ取れないから、何をしてくるか見当も付かないわ!」
迫り来る身の危険を感じたミカが、かつてなく激しい調子で言った。

家を出たばかりのワシリスの元に、一人の女がふらつきながら駆け寄って来た。
「ワシリスさん…」
「おお、お前はもしかして、十年以上前に仕事を依頼した探索家の…」
「はい、ミカです」
「そうそう、ミカだ。ところで、体は大丈夫かな?どこかで休んでもらってから話を聞いてもいいが」
「いいえ。時間があまりないので、ここで結構です。体なら平気です。自然の発作ですから…」
「分かった。しかし、冒険家の男はどうした?」
「…パッチさんは行方不明です。恐らく、今も一羽の鳥として生きていることでしょう」
「一体どういうことだね?初めから説明してくれないか」
ミカは手短かに、必要なことだけをワシリスに話した。スーマーと出会えたこと。スーマーに寄生していた鳥に二人が襲われたこと。逃げ切れなかったパッチがとっさの判断でミカを巻貝製の青い鞄の中に隠し、留め金を使ってその蓋を閉じたこと。卵を植え付けられて人格を失ったパッチと共に、ミカも青いものを集める習性を持つその鳥に鞄ごと連れ去られたこと。そして、巣に持ち帰られたミカは、鳥から再び軟体動物に変身したスーマーによって鞄から救出されたこと。しかし、その巣は断崖絶壁にあり、そのままでは脱出が不可能だったこと。それを可能にするために、人格を保ったまま体を植物にする病原体をスーマーからもらったこと。そして、長い蔓を持つ植物に変身した彼女は数年を要して断崖絶壁を這い、その麓(ふもと)に辿り着いたこと…。
「それから、一時的に人間の姿に戻ったので、どうにかしてここまでやって来たというわけです」
話を終えると、ミカは震える手を懐に入れ、薄桃色の液体の入ったガラス瓶を取り出した。
「ワシリスさん、これがご依頼の病原体です」
「ミカ、本当にご苦労だったね…。しかし、妻は三年前に他界したよ」
「そうですか。何と申し上げればいいか…」
「いや、もういいんだ。妻はとても穏やかに逝ったよ。今になると、あれはあれで幸福だったのかも知れないと思える。…そうそう、彼女と同じ病気にかかった人が現れるときのために、これは頂いておくよ。どうもありがとう」
「はい、どうぞ。それでは、私はこれで失礼します」
「待ちたまえ。すぐに約束の報酬を用意するから。それに、体調が悪そうだから私の家に泊まっていったらどうだ?」
「いいえ、私は間もなく植物に戻ります。ご覧下さい、小さい花がもうこんなに…。ご厚意はありがたいですが、植物にはお金も宿も必要ありませんから」
「そうか。他に、私に何か手伝えることはないかね?」
「ありがとうございます。しかし、滅多に雨の降らない断崖絶壁で生き抜いた私です。ご心配には及びません」
「そうか、そうだね。…それでは、君が幸せでいられるよう願っているよ」
ワシリスがそう言うと、ミカはやわらかに微笑んだ。
「私は幸せです。植物でいることは性に合っていると思えるし、植物として生活をしていると、ただの人間にはない愉しみもたくさんあるんですよ。…そういえば、スーマーさんも同じようなことを言っていました。『もしも、ワシリスさんと会うことができたら伝えてくれないか。こんなでも私は幸福だから心配しないで欲しいと』…言い方は少し違うかも知れませんが、そんな内容でした」
「スーマーがそんなことを…。確かに承ったよ」
「ワシリスさんもどうかお幸せに。それでは」
「ああ、どうもありがとう。それではね」

矢野ミチル  →  文 中島弘貴